幕間9:この世界の悪意~後編~
「……こいつの動向は、さらに追う必要がある。実家に戻った後、奴がどんな行動をとったのか、ログを進めるぞ」
恭が展開している観察窓が、音を立てて早送りされていく。
押し寄せる焦燥感の中、恭は観測窓の時間をさらに早送りした。
だが、その道中での松岡の振る舞いは、実に狂気そのものだった。
しかし、彼の異常性はそれだけにとどまらない。
目的の情報を引き出しつつ、まるで時間が止まったかのように美しい死体たちを並べておぞましい箱庭を完成させた松岡は、満足げに微笑むと、次なる禁書の手がかりを求めて再び別の国へと移動を始めていた。
「奴は恐らく時間停止の能力を駆使して、効率的に禁書を探したんだろうな。滞在している筈の時間が、調べものをする量と比例していない気がする。」
「しかし、異世界に渡ってまで、禁書探しの片手間に自分の悪趣味な死体コレクションを作り上げるとは……救いようのない猟奇殺人者だな。」
恭が不快感に眉をひそめ、さらに松岡のログを追いかけようとした――その瞬間だった。
ズキン、と。
手のひらに熱が走り、何もない空間から赤黒い『刃のオーラ』が立ち上る。
さらに視界の端で、指の軌跡をなぞるように動かすと空間に絵を描けるようになり、『黒い生物』のようなものが実体化して空中に浮かび上がった。
「……なんだ? 新しい能力が二つ、同時に流れ込んできたぞ」
恭は自らの手を見つめ、ハッと息を呑んだ。
恭は松岡の過去ログを追っていた観測窓をキャンセルし、意識を集中させた。
そこには、血に汚れた服を着た母親(玲奈)と、スケッチブックを抱えた幼い娘(愛奈)が怯えたように立ち尽くしている。どうやら、魔獣に襲われ、能力を開花させて撃退した直後のようだ。
「……生きてはいるようだな。だが、あの二人に一体何が起きた――」
恭が、二人に生きていてくれたという思いで安堵したのも束の間、観測窓の端から、一人の男が草むらを掻き分けて姿を現した。
「……嘘だろ?」
恭の喉から、掠れた声が漏れた。
「今度は幸せになってほしい」と願って逃がした無力な母子の逃走ルートが、現在進行形で松岡の移動ルートと完全に交錯してしまったのだ。
「まずい……! 今このタイミングで奴と出くわしたら、確実に殺されるぞッ!」
観測窓越しでは干渉することも、声を届けることもできない。
『落ち着いてください。あなたたちを害するつもりはありませんよ。……私も、あなたたちと同じ被害者なのですから』
松岡は刃物を抜くどころか、優しい声音で完璧な『善人』を演じて母子に歩み寄っていた。
警戒して身を固くする母親は、松岡が語る現世の記憶と同じ境遇という言葉に毒気を抜かれ、幼い娘もまた、その穏やかな声音にすんなりと懐いていく。
「……は?一体、何が起きている?」
ベルゼの指摘に、恭はギリッと奥歯を噛み鳴らした。
「……おかしい。ルミナスでは息をするように女を殺し、禁書探しのついでに自分の悪趣味な箱庭を創り出した異常者だ。……自分の欲求を抑え込んでまで、なぜあの母子だけは殺さずに『保護』している?」
恭の研ぎ澄まされた理性が、その異質な矛盾を鋭く看破する。
「ただの気まぐれじゃない事は確かだ。」
「こいつは……あの母子が『現世』から転移してきたことを知っているということか?」
「まぁ、そうか。奴も転移経験者だ。現世の人間とこの世界では服装は異なる。見たら当然わかるだろう。」
「それにしても奴は、何を考えている?駄目だ。……思考追い付かない。」
恭は、激しく思考を回したが確信に迫るものを見いだせずにいた。
とはいえ、殺人鬼が手間暇かけて無力な母子を囲い込む理由。それが何であれ、ろくな結末を招かないことだけは確かだ。
救われるべきだった母子が、殺人鬼の言葉巧みな話術によって懐柔されていく異常な光景。
「ひとまず、あの母子は無事なようだな。それだけでも僥倖か。……奴が何を企んでいるのか。このまましばらく、動向を注視する必要がありそうだな」
恭は観測窓の向こうで優しく微笑む松岡の姿を睨みつけながら、悪い予感が的中しないことを祈るばかりだった。




