幕間7:加速する世界
空間に展開された半透明の観測窓。
その向こうで、凄まじい暴風の魔術が聖堂の床を砕く轟音が響いた。 鼓膜を揺らす音も、肌を刺す風圧も、現世には届かない。恭は自室の椅子に深く腰掛け、手元のコーヒーから立ち上る湯気越しに、その極彩色の惨劇を冷徹な瞳で見つめていた。
『しかし、覚醒したまま観測窓を現世に繋げられるようになるとはのぅ』
恭の脳内に、天獄から直接響くベルゼの重厚な声が、どこか面白がるように揺らいだ。
『以前は眠りにつき、意識を深く沈めねば我と繋がることも、この盤面を覗き見ることもできんかったというのに。器が広がったというべきか、いよいよ人間離れしてきたというべきか』
「……皮肉のつもりか? 歓迎はしてないさ。人間離れする事はごめん被りたいね。」
恭はコーヒーを一口啜り、観測窓から目を離さずに薄く息を吐いた。
「時間停止に、空間を跳躍する転移魔術。あんな脈絡のない能力が立て続けに俺の身に降りかかってきたせいだろうか。嫌でも世界のシステムとのパスが太くなり、起きている間でも、脳の処理領域を分割して強引に観測窓を維持できるようになっただけだ。しかも、巻き戻し機能付きな。」
『くくっ、いよいよ人間離れしてきたのぅ。だが、これでいつでも過去の盤面を俯瞰できるようになったのは事実じゃ。……して?』
ベルゼの声色が、一段階深く、鋭くなる。
『恭はどう見るんじゃ、この悪趣味な人形劇を』
観測窓の向こう――『エデン』の廃聖堂では、文字通り死闘が繰り広げられていた。
圧倒的な暴風魔術を放つ後衛と、それを庇うように立ち塞がり、血を流しながら痛みを肩代わりする前衛。その二人のハーフエルヴンの少女(藤原姉妹)は、首筋に黒い糸を突き立てられ、完全に自我を奪われている。 そして、その糸を梁の上から弄び、狂気的な笑顔で見下ろしている元凶――朋美。
対する冬夜と瑞希、ルナの三人は、操られている双子を殺すわけにもいかず、防戦に次ぐ防戦を強いられていた。
「何度見ても、反吐が出る戦術だな。互いを想い合う双子の因果を逆手にとって無限に火力を上げさせ、肉の盾として使い潰す。……朋美という女の執着と悪意は底が知れない」
『あの過負荷に耐え、まだ立っておるあの三人も大したものじゃがな。……どう転ぶにせよ、盤面は大きく動くぞ』
恭は手元のカップをテーブルに置き、思考の海へと深く潜っていく。
「冬夜たちの粘りは評価するが、ジリ貧だ。だが、俺が気になっているのはこの局地戦の勝敗じゃない。……この状況を『外から見ているであろう存在』の沈黙だ」
『……フィスト、か』
女神の声が、かつての宿敵の名を口にして微かに冷気を帯びる。
「ああ。美憂を利用して現世の事故で魂を刈り取らせ、夏芽や朋美、それにあの双子たちをエデンへ送り込んだ元凶だ。俺が送った冬夜や瑞希まで巻き込んで、こんな悪趣味な状況を作り出しておきながら、フィスト自身は直接介入してこない。不自然なほどにな」
『奴は混沌と絶望を好む。この潰し合いを特等席で楽しんでおるだけやもしれんぞ?』
「それもあるだろう。朋美という駒と、それに抗う冬夜たちが削り合って共倒れになれば、奴にとってこれ以上面白い見世物はない。だが、それだけじゃないはずだ。」
恭の目が、画面の奥にある見えない意図を探るように細められる。
「フィストは神だ。単なる快楽主義だけで動くとはとても思えない。手出しをせず『静観』を決め込んでいるのは、この激突が奴の計画に影響を与えないからなのか……あるいは、この騒ぎを陽動として利用している可能性があるのか?」
『なるほどのぅ。けれども、フィストはお主が観測している事に気づいているかのぅ。』
「それは、わからない。だが、用心するに越したことはないからな。……観測の目線を、あの聖堂の惨劇だけに縛られるわけにはいかないな」
画面の中では、冬夜の放った反撃が双子の防御に阻まれ、さらなる爆風が上がっていた。 恭は極めてドライに状況を処理していく。誰が生き残り、誰が倒れるかよりも、この戦いが世界のシステム全体にどのような波紋を呼ぶのか。それこそが恭の関心事だった。
「さて、エデンの状況は把握した。フィストの動きは今後も警戒しつつ、もう一つの懸念事項を洗うとするか」
『懸念事項じゃと?』
「ああ。あの異常な男……松岡の動向だ」
恭の意思に呼応するように、空間に浮かんでいた猛風の廃聖堂の映像がノイズと共に掻き消え、全く別の静かな風景へと切り替わった。




