シーン6:野良猫の仲介
休日の午後。よく晴れた空の下、マンションの裏手にある小さな緑地スペースで、後藤光彦は一人しゃがみ込んでいた。
「ほら、美味いぞ〜。怖くないって。おいで……って痛っ! 噛むな!」
手にしたスティック状の猫のおやつを差し出すも、先日エントランスで遭遇した野良猫は、鋭い爪と牙で後藤の手を容赦なく攻撃してくる。
「痛ぇっ、だからお前のためを思って……あだっ!」
「ふふっ……」
不意に、背後から小さく吹き出すような声が聞こえた。
後藤が振り返ると、そこにはエコバッグを提げた高橋優子が立っていた。口元を手で覆っているが、その目は三日月のように細められ、明らかに笑っている。
普段のどこか影を落とした表情からは想像もつかない、年相応の無邪気な笑顔だった。
「あ……ご、ごめんなさい。あまりにも必死そうだったから……」
「いや、笑ってくれて全然いいっす! ていうか、こいつめちゃくちゃ凶暴で……」
優子は小さく笑いながら近づいてくると、後藤の隣にしゃがみ込んだ。
「貸してみてください。……ほら、おいで」
優子が優しく声をかけながらおやつを差し出すと、後藤にはあんなに威嚇していた野良猫が、喉をゴロゴロと鳴らしてすんなりと優子の手にすり寄っていった。
「うわ、マジか。俺の時と態度違いすぎません?」
「ふふ、動物にはリラックスして接しないと、緊張が伝わっちゃうんです」
優子が猫を撫でるのを、後藤は横顔を見つめながら半ば呆然としていた。
(ヤバい。笑った顔、破壊力高すぎだろ……)
と、その時。優子がしゃがんだ拍子に、エコバッグの中から一枚のチラシがハラリと地面に落ちた。
後藤が拾い上げ、そこに印刷されたタイトルを見て目を丸くする。
「あ、それ……『黄昏のレクイエム』の単館リバイバル上映っすか?」
優子は驚いたように猫から顔を上げた。
「え……後藤さん、この映画知ってるんですか?」
「知ってるも何も! 音楽が最高なんすよ。特にラストの、主人公が雨の中で振り返るシーンとか……」
優子の瞳に、パッと明るい光が灯る。
「そう、そうなんです! あの振り返る瞬間の間が、本当に切なくて……私、あの映画がすごく好きで……!」
少しマニアックな古い名作映画。同世代で知っている人は少なく、優子も誰かと語り合ったことなどなかった。
共通の話題を見つけたことで優子の口数が自然と増え、二人は猫を挟んで熱心に映画の魅力を語り合った。
ひとしきり盛り上がった後、優子がチラシを見つめながら少し寂しそうに微笑んだ。
「ずっとスクリーンで観たかったんですけど……私、人混みがあんまり得意じゃなくて。一人で行く勇気が出なくて、迷ってたんです」
(今だ!!!)
後藤の脳内で、ファンファーレが鳴り響いた。
彼はわざとらしくコホンと咳払いをして、最大限の爽やかさと誠実さを装って口を開く。
「だったら、俺と一緒に行きませんか?」
「え……?」
「俺もこれ、デカいスクリーンで観たかったんすよ! 俺がボディーガード代わりに人混みから守るんで、どうっすか?」
少し強引だが、嫌味のないまっすぐな誘い。
ボディーガードという言葉に、優子は少し驚いたように瞬きをした後――ふわりと、嬉しそうに頬を染めた。
「……はい。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
「しゃっ! じゃあ今週末の日曜、駅前で待ち合わせで!」
「ふふ、はい。楽しみにしています」
優子が立ち上がり、軽く会釈をして自分の部屋へと戻っていく。
その後ろ姿を完全に見送った後、後藤は誰もいなくなった緑地で、野良猫に向かって全力のガッツポーズを決めた。
(猫様、マジでありがとう!! あとで高級な缶詰買ってくるからな!!)
来たる週末のデートに向け、後藤のテンションは最高潮に達していた。
「優子さんは、お休みの日は何してるんすか? もしよかったら、今度近所の美味しいカフェでも……」
「ふふ、ありがとうございます。でも、あまり外に出るのは得意じゃなくて……」
(くぅ〜、ガードが固い! でもそこがイイ!)
めげることなく、あの手この手で優子との距離を縮めようと、後藤は気ままなアプローチを続けていくのだった。




