シーン4:黒歴史を辿る旅
ルミナスを背に、朝日に照らされた広大な街道を出立したあの日から、すでに数日が経過していた。
教団の追手と手配網が本格的に回り始めるのを警戒した冬夜たちは、途中で街道をはずれ、あえて人目を避ける険しい獣道を北西の国境へ向けて進んでいた。
底冷えのする夜の森。息を潜めるように野営の火を囲む5人の顔を、パチパチと爆ぜる小さな炎が赤々と照らし出している。
冬夜の手元には、地下書庫から持ち出した分厚い革表紙の禁書が開かれていた。そこに記されていたのは、異界から器を奪って定着した魂の歪みと、自分たちが世界の理を崩壊へ導く『イレギュラー』であるという不吉な真実。
あの廃聖堂で佐伯朋美の黒い糸に自我を蹂躙され、操り人形にされた恐怖を思い出した悠希と莉子は、今も時折、寒さに耐えるように互いの肩を寄せ合っている。だが、その瞳に宿る光は死んでいなかった。冬夜や夏芽、そして瑞希の不器用な優しさに触れた双子のハーフエルヴンは、「もう二度と誰の道具にもならない」と、静かに、しかし確かな覚覚悟を燃やしている。
重苦しい真実の共有が一段落し、沈黙が落ちかけた頃。場の空気を切り替えるように、冬夜がパタンと禁書を閉じた。
「……ま、自分たちがイレギュラーだろうが何だろうが、やるべき事は変わらねえ。これからの広域移動や情報網へのアクセスについて確認しておきたいんだが……お互いの冒険者プレートのランク、今はいくつになってる?」
現実的な戦力の確認。地下書庫へ潜んで教団から追われる身となる前――廃聖堂での激闘と藤原姉妹の救出という大規模なイレギュラー解決の功績がルミナス総本部に認められ、彼らのプレートには莫大な特例ポイントが加算されてランクの更新が行われていたのだ。
その問いかけに、夏芽がピンと元気よく手を挙げた。
「私はCランクに上がったよ! 後衛の支援術士として、アビス・ヴァレーからだいぶ場数踏んできたからね」
「私たちもです。……お三方に助けていただいた特例の功績もあって、Cランクに引き上げてもらえました」
悠希と莉子も、少し控えめにプレートを見つめながら手を挙げる。
「俺は今回の件でBランクに昇格した。最前線で死ぬ気で討伐をこなしてきた甲斐があったな。」
冬夜が腕を組んで得意げに鼻を鳴らす。
そして、全員の視線が自然と、焚き火の向かい側に座る一人の少女へと集まった。
その中心にいた瑞希は、なぜか居心地悪そうにモジモジと体を揺らし、真っ赤になりながら視線をさ迷わせている。
「……えっと、その……」
「なんだよ瑞希。お前も一緒にあの大立ち回りを演じたんだ、ガッツリ上がってるだろ?」
「……こ、この間、グラニアの樹海からここまで来る道中でコツコツ魔物を狩っていたポイントに……今回のルミナスでの功績ポイントが合算されまして……その……」
瑞希は消え入りそうな声で、観念したように指を一本立てた。
「先日……Aランクに、上がりまして……」
水を打ったような静寂が、野営地に落ちた。
一瞬の空白の後、冬夜が素頓狂な声を上げて身を乗り出した。
「はぁぁっ!? お前、いつの間に俺より上にいってんだよ!!」
「ちょっと待って瑞希ちゃん!? 私たちみんなで一緒にランクアップしたのに、いつの間にトップランカーになってるの!?」
夏芽が目を丸くして瑞希の肩をガシガシと揺さぶる。双子の姉妹も、お姉さんぶっていた手前「私たち、一番年下の瑞希ちゃんに完全に置いていかれている……」と両手で顔を覆って崩れ落ちた。
「い、いや、その、私ルミナスに来る前にもう既にBランクだったから! 今回の特例ポイントで一気にAへの壁を越えちゃったみたいで……!」
「すげえなおい……! この中で一番の出世頭じゃねえか。格下が偉そうに指示出して悪かったな、Aランク様!」
「ちょ、冬夜さんまでからかわないでくださいよー!」
顔を真っ赤にして照れ隠しに両手で顔を覆う瑞希の姿に、殺伐とした逃避行の空気が嘘のようにほぐれ、森の中に温かい笑い声が広がった。
その和やかな雰囲気に乗じ、夏芽がクスリと悪戯っぽく笑う。
「にしても、流石はギルドで噂の『アルディシアの閃光』だねぇ!」
「っ……! お願いだからその恥ずかしい二つ名で呼ぶのはやめてぇっ!」
膝を抱えてうずくまる瑞希を見て、冬夜も声を上げて笑った。だが、その「アルディシア」という言葉が出た瞬間、彼の瞳にふと理知的な光が過った。
「……待てよ。アルディシアって……お前がその二つ名を付けられる原因になった街だろ?」
「うぅ……そうだよ。グラニアのギルドで冒険者登録して、ルミナスに向かう途中で通りかかって……あの街の近くで商隊を助けちゃったせいで変な噂が広がったんだよ……。言ってみれば、私の黒歴史生誕の地だよ……」
瑞希がいたたまれなさに顔を伏せる。
だが、その和やかな空気は、冬夜の冷静な分析によってすぐに引き締められた。
「……のんきに笑ってられねえな」
冬夜が険しい顔つきで焚き火を見つめる。
「『白の執行者』の魔の手は、すでに周辺都市のギルド網にも伸び始めているはずだ。クロムウェルとかいう執行者に顔を見られた以上、俺たちの手配書が回るのは時間の問題だろう。このまま一般の冒険者身分でコソコソ逃げ回ってちゃ、そのうち権力に押し潰される」
「たしかに……。ルミナスの地下であんな大暴れをしたんだから、ブラックリスト入りは確実だわ」
悠希が青い顔で同意する。
逃げ続けるだけの旅には、いつか限界が来る。では、どうすれば国家規模の圧力を跳ね返せるのか。
その答えに真っ先に気づいたのは、他ならぬ瑞希だった。
「……待って。それなら、ギルドの仕組みそのものを盾にすればいいんじゃない?」
瑞希がパッと顔を上げる。
「冒険者ギルドの最高峰――『Sランク』。そこにまで登り詰めれば、ギルドが持つ強大な自治特権と政治的不可侵の絶対的な庇護を得られる。そこまでの権限を持てば、いくら教団でも公式に手出しすることはできなくなるはずよ!」
「なるほど……!」
夏芽がポンと手を叩く。
「教団といえど、全大陸の冒険者を牛耳るギルドの最高幹部・Sランクを理不尽に討伐しようとすれば、ギルド組織全体を敵に回す政治的リスクを負うことになるってわけか!」
「そういうこと! しかも、私……すでにAランクだから、Sまであと一歩のところまで来てる。実績さえ積めば、絶対に手が届く!」
瑞希の言葉に、冬夜はニヤリと野性的な笑みを浮かべた。
「決まったな。教団からコソコソ逃げ隠れるのはもう終わりだ。これからは、俺たちが堂々とギルドの階段を駆け上がり、トップの座を奪い取る。――おい、頼りにしてるぜ、エースの瑞希ちゃん。黒歴史の地での凱旋、盛大に飾ろうか」
「もう、だからからかわないでってば……! でも、うん。絶対にやってやろうじゃない!」
目標は定まった。
逃げるための旅から、世界をひっくり返すための「Sランクへの登竜門」へ。
それからの道中、彼らは決して瑞希の隠密スキルだけに頼るような危うい真似はしなかった。
ハーフエルヴンである悠希と莉子が持つ現地人としての正当な知識を活用し、商人の荷馬車に紛れ、時には関所の役人をいなしながら、手堅く国境のチェックポイントを突破していく。それぞれが自分の役割を果たし、一つの完璧なパーティとして機能し始めていた。
数日間の過酷な道中を経て、険しい国境の山々を抜けた彼らの目に、ついにその景色が飛び込んできた。
地平線の向こう側に広がる、世界中の物資と金、知識莫大な情報が集う巨大な石造りの城壁。
「……見えてきたよ。あれが、私の黒歴史の地……商業都市連合アルディシア……!」
恥ずかしさを押し殺すようにつぶやく瑞希を笑い合いながら、傷だらけの『アニマの器』の5人は、新たな決意を胸に、活気あふれる巨大都市アルディシアの門へと力強い一歩を踏み出したのだった。




