シーン13:真実と逃走と
「走って……! 足跡は私が全部消すからッ!」
ルミナス地下深層から続く、陽の当たらない隠し通路。夏芽が震える手で短杖を振りかざし、一行が駆け抜けた直後の石畳を泥濘へと変え、泥臭い逃走の痕跡を次々と塗り潰していく。
その後方、暗闇の奥からは、金属が微かに擦れる冷徹な足音が迫っていた。純白の法衣を纏った『白の執行者』たちの気配。一切の焦りも怒りも感じさせない、ただ機械的に「異端」を狩り立てる死神たちの足音だ。
「くそっ、教団の暗殺部隊ってだけあって、鼻が利きすぎやがる……!」
冬夜が忌々しそうに舌打ちをした。あの『音叉』による魔力封印空間から脱したことで、左肩からは再び紫電と火炎が立ち上っている。だが、ここで派手に立ち回れば、上にいる無数の聖騎士たちまで呼び寄せることになる。
「冬夜さん、ここは……私に任せてください!」
瑞希が小剣を構え、深く、肺が破れそうなほど息を吸い込んだ。
「範囲拡張――【透明な拒絶】ッ!!」
瑞希を中心に、不可視のドームが展開される。本来、己一人の気配を消すための固有能力を、強引にパーティ5人全体へと広げたのだ。
魔力の過剰消費により、瑞希の鼻筋から一筋の血がツーッと流れ落ちる。だが、その代償に見合う効果は絶大だった。
冬夜の放つ雷炎の熱源も、5人の荒い呼吸音も、心臓の鼓動すらも、世界から完全に「拒絶」され、掻き消える。
「……ッ、気配が消えた。完全にだ」
数秒後、通路の曲がり角に到達した執行者たちがピタリと足を止める。わずか数メートル先の暗がりに冬夜たちが息を潜め、瑞希が血の滲むような思いで能力を維持しているというのに、彼らはまるで石壁を見つめるように視線を滑らせ、別の通路へと走っていった。
「ふぅ……っ、はぁっ……」
追手が遠ざかった瞬間、瑞希が糸の切れた人形のように膝を折る。それを、悠希と莉子が両側から必死に抱きとめた。
「すごいわ、瑞希さん……。このまま一気に、地上へ抜けましょう」
「うん、裏口の結界なら、私とお姉ちゃんでごまかせるはずだから……!」
瑞希の命を削るような隠密と、夏芽の痕跡偽装。そして双子のハーフエルヴンによる魔力干渉。
持てる力のすべてを振り絞り、幾重にも張り巡らされた教団の死線をスレスレで躱し続けた彼らの頬を、やがて冷たい夜風が撫でた。
気がつけば、一行はルミナスの巨大な白銀の城壁を背にし、郊外の深い森にひっそりと佇む廃聖堂の陰へと逃げ延びていた。
◆
「はぁ……っ、はぁ……っ」
崩れかけた冷たい石壁に背を預け、5人は泥に塗れた体を投げ出して荒い息を吐いた。
「助かった……。瑞希、お前がいなかったら確実に狩られてたぞ」
冬夜が義手の熱を冷ましながら労うと、瑞希は青白い顔で小さく笑った。
「私一人じゃ無理でした。夏芽ちゃんや、藤原さんたちのサポートがあったから……」
だが、無事に生き延びた安堵の空気は、ひどく短く、そして重苦しいものだった。
ルミナスで生まれ育った双子の姉妹――悠希と莉子は、互いの手を握りしめたまま、小刻みに震えていた。
エリスとエレナの記憶において、光の教団は絶対的な正義であり、救済の象徴だった。しかし、地下の奥底で目撃した「狂気的なまでに美しい死体の山」と、感情を殺して人を狩る「白の執行者」の冷酷さは、彼女たちの信じていた世界の輪郭を、あまりにも残酷に引き裂いていたのだ。
「……これが、この世界の現実なんだわ」
悠希が血の引いた唇を震わせる。
「私たちが知っていたルミナスは……教団が作り上げた、幻影にすぎなかったんだ……」
「悠希……」
夏芽が痛ましそうに寄り添うと、冬夜は無言で立ち上がり、傷だらけの手で悠希の華奢な肩を、乱暴に、だが確かな体温を込めて叩いた。
「綺麗事だけじゃ、化け物は倒せない。……だが、俺たちはここで死ななかった。ここにいる全員で、あの地獄から生き延びた。それが今の俺たちの唯一の真実だ」
冬夜のぶっきらぼうな言葉に、悠希と莉子はハッと息を呑み、わずかに顔を上げた。
絶望的な現実を突きつけられながらも、互いに命を預け合い、同じ死線を越えた5人の間に、「本物の仲間」としての連帯感が静かに、しかし強く結びついていく。
「……さて、現実を見るついでだ」
冬夜が視線を落とした先には、夏芽が胸に抱えて死守してきた、分厚い革表紙の「禁書」があった。
「教団がひた隠しにしたかった『世界の真実』……見せてもらおうか」
夏芽がランタンの淡い光の下で、埃を被った禁書を開く。
エリスとエレナの身体に残る現地の知識と、現世の知識を持つ冬夜たちが照らし合わせながら、難解な古代文字を読み解いていく。そこには、教団の教義を根底から覆す、異端の学説が記されていた。
「これ……!」
ページをめくっていた悠希が、息を呑んだ。
「この世界には、元々『魂の循環』……純粋な『転生』という正規の理が存在するみたい。でも、私たちが経験した転生は、それとは違う……」
「どういうことだ?」
「……異界からの魂が、既に存在している命を無理やり押し退けて器に宿る、理に反した転生……。そして、肉体を奪われて本来そこにあったはずの魂は、消滅したわけじゃないって書かれているわ」
「消滅したんじゃない……!?」
夏芽が両手で口元を覆った。
「じゃあ、ルナちゃんやエリスさんたちの本来の魂は……?」
「……『理の外側へ弾き出される』。そうとしか書かれていないわ。どこへ、どうやってかは分からないけど……でも、まだどこかに存在している可能性があるのよ!」
その事実に、一行の間に微かな希望の光が差した。自分たちのせいで消滅してしまったと背負い続けていた罪悪感。だが、もし元の魂がどこかで囚われているだけだとしたら、救い出すことができるかもしれない。
だが、禁書がもたらす事実はそれだけではなかった。
冬夜と瑞希が覗き込んだ次のページ。そこには、赤黒いインクで警告するように、不可解な「イレギュラー」について記されていたのだ。
『異界の魂が器を奪うことすらも理に反するが、世界を崩壊へ導くさらに忌まわしき特異点が存在する。それは、魂の器ごと境界を越えし者の存在である。
交わらぬはずの二つの線が同じ世界で重なる時、理は崩壊し、大いなる――』
「……魂の器ごと、境界を越えた者……」
瑞希の顔から、さっと血の気が引いた。震える瞳で、冬夜の顔を見上げる。
「それって……私たちのことだよね。私たち、肉体を持ったままこの世界に落ちてきた……」
「交わらぬはずの二つの線が重なる……?」
冬夜は眉間にシワを寄せ、その先の文字を指でなぞった。しかし、重要なその部分は意図的に削り取られたようにかすれており、読み解くことはできなかった。
「どういう意味だ。なんで俺たちが、世界を崩壊させるイレギュラーなんだよ……」
自分たちがただの迷い人ではなく、教団から「排除されるべき特異点」として名指しされている不吉な事実。何が起きるかは分からない。だが、自分たちの存在そのものが、この世界の深刻な理の綻びであるという不吉な予感が、冬夜と瑞希の背筋を冷たく撫でた。
「……分からないことだらけだな」
深い沈黙の後、冬夜は苦い息を吐き、禁書をパタリと閉じた。
「俺たちが世界の理を乱すイレギュラーだろうと、神々の思惑に巻き込まれていようと……今の俺たちに関係あるのは一つだ。弾き出された魂を救い出し、この狂った世界の真実を全部暴いてやる」
冬夜は立ち上がり、夜明けが近づく東の空を見据えた。
「クロムウェルに顔を見られた以上、明日には俺たちの手配書がルミナス中に回る。表のギルド(オルディナ)に居座ることはもうできないかもしれない。」
「そうね……。教団の監視が届かない、別の国へ拠点を移すしかないわ」
悠希と莉子も力強く立ち上がり、瑞希と夏芽もそれに続いた。
自分たちが抱える存在の異常性と、世界を揺るがす重大な秘密の断片。
追われる身となった絶望を恐れるのではなく、確かな覚悟に変えた5人は、夜明けの森を抜け、新たな手がかりが眠るという『商業都市アルディシア』へ向けて、静かに力強く歩み出したのだった。




