シーン10:悪意の残り香
光の都と呼ばれるルミナスの地下に、これほど広大で淀んだ空間が広がっているとは想像もしていなかった。
教団の監視網の死角を突き、隠された螺旋階段を下りるごとに地上の喧騒は遠ざかり、代わりに重く湿った空気が肌にまとわりついてくる。
瑞希が掲げる魔石のランタンが照らし出すのは、幾星霜もの時を経て風化した巨大な石組みの迷宮だ。壁面には不気味な古代の意匠が彫り込まれ、足元には黒苔がびっしりと群生している。
「……足元に気をつけて。所々、石畳が崩落してるわ」
先頭を歩く瑞希が、小剣を片手に慎重に歩みを進める。俺たちの目的は、エデンに伝わるあの『四行詩』の謎と、ポゼッションを解く鍵が眠る『禁忌の地下図書館』を見つけ出すことだ。
だが、地図すらないこの地下深層は、まるで巨大な怪物の胎内を歩かされているような錯覚を抱かせる。遠くで水滴の落ちる音が反響し、どこからか得体の知れない静寂が常に付きまとっていた。
入り組んだ通路をいくつも抜け、さらに深い階層へと足を踏み入れた時のことだ。
「……ちょっと待って。空気が変わった」
瑞希がピタリと足を止めた。彼女の研ぎ澄まされた隠密の感覚が、地下特有のカビの臭いとは違う、何か異質なものを捉えていた。
行き着いたのは、薄暗い通路の最奥。そこには、周囲の風化した石壁とは不釣り合いなほど重厚で、頑丈な鉄の扉が半開きになっていた。
隙間からは、肌を刺すような異常な冷気が白い霧となって漏れ出している。
「禁忌の地下図書館……って雰囲気じゃないな。なんだ、この異常な寒さは」
俺が義手の左腕をかばいながら警戒しつつ扉を押し開けると、冷気に包まれた部屋の全貌が青白い光に照らし出された。
「……ひっ」
背後にいた悠希と莉子が、同時に息を呑んで顔を背けた。
そこは、異様なまでの静寂に支配された「展示室」だった。
壁際に沿って、十数体もの若い女性たちが、まるでお洒落なショーウィンドウのマネキンのように行儀よく立ち並び、あるいは優雅な椅子に腰掛けている。
だが、彼女たちは作り物ではない。全員が、正真正銘の人間――いや、死体だった。
「なに、これ……。趣味が悪い……ッ!」
悠希が両腕をさすり、激しい嫌悪感に顔を歪める。莉子も姉の背中に隠れるようにして、ガタガタと震えていた。
ただの死体を見たからではない。彼女たちの魂の奥底に刻まれたトラウマが、この部屋に充満する『完璧な美しさへの異常な執着』を無意識に感じ取り、警鐘を鳴らしていたのだ。
俺は警戒を解かず、最も手前に飾られていた豪奢なドレス姿の少女の死体へそっと近づいた。
「……おかしいぞ。死斑ひとつない。外傷も見当たらないし、腐敗の臭いも全くしない」
冷たくなったその頬に触れてみるが、死後硬直特有の不自然なこわばりすら感じられない。
「まるで、生きている状態で『時間』が完全に止まっちまったみたいだ……」
俺の呟きに、夏芽が青ざめた顔で周囲を見回す。
「うそ……これ、全員人間なの……? ルミナスの地下で、こんなことが……」
「どっかのイカれた魔術研究者か、人体収集家の仕業ね……。自分の欲望のために、若い女ばかりを攫ってこんな風に飾るなんて」
瑞希が吐き捨てるように言い、小剣を握る手にギリッと力を込めた。
部屋の中には、彼女たちを陳列するための台座や悪趣味な装飾品があるだけで、俺たちが探している『四行詩』の手がかりや、地下図書館に通じるような古文書は一切見当たらなかった。
この異常な部屋の主が何者であれ、今は俺たちの目的とは関係ない。
「……長居は無用だ。ここに俺たちの探しているものは何もない」
俺はそう告げ、震えの止まらない藤原姉妹を促して部屋の出口へと向かった。
「早く行こう。こんな狂った場所、一秒でも早く出たいわ……」
悠希が逃げるように背を向け、瑞希と夏芽も足早に後に続く。
重い鉄の扉を閉めると、強烈な冷気と異常な美しさに彩られた死体たちは再び暗闇の中へと封じ込められた。
このおぞましい箱庭の主が、かつて藤原姉妹の命を現世で理不尽に奪おうとした元凶――松岡雅紀の狂気そのものであることに、この時の俺たちはまだ誰も気づいていなかった。
ただ、得体の知れない悪意の残り香だけが、地下の冷たい暗闇の中でひっそりと俺たちの背中を見送っていた。




