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Re:incarnation of Fate   作者: ヴィシュヌ
3章:首都ルミナス

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シーン8:狂気のスケッチと呪われた刃

夜の冷気が肌を刺す。二つの蒼い月が照らす、見知らぬ森の中。 宮本玲奈は、荒い息を吐きながら自分の右手を見下ろした。


「お母さん……ここ、どこ……?」


隣で愛奈が、スケッチブックとクレヨンを抱えたまま虚ろな瞳で見上げてくる。


「わからない……。でも、私たちは生きているみたい……」


コートのポケットを探っても、スマホも財布もない。現世のすべてが消え去ったのに、玲奈の手にはあの男を刺し殺した血塗れの包丁が、愛奈の腕の中には心を閉ざすためのスケッチブックが、まるで手放すことを許されない呪いのようにへばりついていた。


カサ、と。 背後の茂みが不自然に揺れた。


「……ッ!」


玲奈が弾かれたように振り返ると、木々の影から這い出してきたのは、六つの赤い複眼を持ち、全身から腐臭を放つ巨大な黒狼だった。飢えた唸り声が、冷たい空気をビリビリと震わせる。


「愛奈、私の後ろに!」


玲奈は震える膝を必死に抑え、愛奈の前に立った。 相手は化け物。ただのパート主婦がこんな短い刃物で勝てるわけがない。それでも、あの四畳半の地獄からこの子を連れ出すと決めたのだ。一秒でも長く、この子を生かさなければ。


(この子を傷つける奴は、私が全部殺す……!)


玲奈の胸の奥でどろどろと煮え滾るような『殺意』が爆発した瞬間。 握りしめていた包丁の刃が、不気味な黒い脈動を打った。ステンレスの刀身から、陽炎のような赤黒いオーラが刃渡りを越えて鋭く伸び、禍々しい大鉈のような輪郭を形作る。


獣の強靭な後脚がバネのように縮み、玲奈の喉元めがけて一直線に跳躍した。 玲奈は恐怖を殺意でねじ伏せ、無我夢中で黒い刃を振り抜いた。


ズバァァァッ!!


手応えは、全くなかった。 玲奈の振るった包丁は、獣の分厚い毛皮も、その下にある鋼のような筋肉と骨も、まるで濡れた紙を裂くように何の抵抗もなく両断していた。 獣の胸から腹にかけて深い裂傷が走り、大量の鮮血が夜の森にぶちまけられる。


しかし、刃がどれほど異常な切れ味を持とうと、玲奈自身はただの脆弱な人間でしかなかった。


致命傷を負いながらも止まらない巨獣の質量が、そのまま玲奈の身体に激突する。


「あぐっ……!」


肺の空気を強制的に吐き出され、玲奈は泥だらけの地面を無様に転がった。


「お母さん……」


獣は内臓をこぼしながらも、残された最後の力で鬱陶しい獲物を噛み砕こうと、玲奈へゆっくりと牙を剥き出しにして歩み寄る。


「こ、来ないで……! 愛奈、逃げて……ッ!」


玲奈の悲痛な叫び。


しかし、愛奈は逃げるどころか、ペタンとその場に座り込んだ。

虚ろな瞳で迫り来る獣を見つめ、クレヨンを握りしめると、抱えていたスケッチブックを勢いよく開く。 ――ゴシゴシゴシゴシッ!! 紙が破れんばかりの尋常ではない筆圧。愛奈が狂ったように描き殴ったのは、顔の潰れた、赤と黒の渦巻く『何か』。


「……でておいで」


愛奈が感情の抜け落ちた声で呟いた瞬間。 スケッチブックの紙面から、ドロリとした漆黒の泥が溢れ出した。 玲奈が息を呑む前で、這い出た黒い泥は一瞬にして膨張し、愛奈が描いた通りの『顔の潰れた黒い人間』の姿へと歪に組み上がった。


『……ギ、ギィィィッ!?』


獣が本能的な死の恐怖を察知し、後退りしようとする。 しかし、黒いバケモノの腕がムチのように伸び、獣の巨体を空中で鷲掴みにした。 そのまま、一切の躊躇いもなく。


グチャァァァァァッ……!!


凄惨な肉の潰れる音と、おびただしい血の雨が森に降り注いだ。 さきほどまで玲奈たちを追い詰めていた凶獣は、紙くずのように握り潰され、瞬く間に絶命した。用を済ませた黒いバケモノは、再びドロドロと溶けてスケッチブックの中へと吸い込まれていく。


静寂が戻った森の中。 血溜まりの真ん中で、愛奈は顔に飛んだ獣の血を拭いもせず、虚ろな瞳で玲奈を見つめた。


「……お母さん。もう、痛くないよ」


壊れてしまった娘と、ただの絵から這い出た得体の知れない化け物。 玲奈はガタガタと震えながら愛奈へ駆け寄り、血に汚れたその小さな身体を強く、強く抱きしめた。


「愛奈……っ。愛奈……っ!」


玲奈は、地面に転がった自分の包丁を見つめた。 現世の台所で野菜を刻み、あの男を刺し殺した、どこにでもある安い包丁。男を殺して娘を守ったその凶器は、この狂った異世界でも、自分の殺意に呼応してあらゆるものを切り裂く『娘を守るための武器』として成り果てていた。 あまりにも皮肉で、悍ましい因果。 だが、玲奈の瞳に迷いはなかった。


「大丈夫……。お母さんが、絶対に愛奈を守るからね……」


未来など見えなくても構わない。


この包丁が血に塗れるたび、愛奈が狂気で敵を潰すたび、二人の歪な絆は確かなものになっていく。 玲奈は赤黒いオーラを放つ刃を拾い上げると、愛奈の手をきつく握りしめ、蒼い月が照らす森の奥へと静かに歩みを進めていった。


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