シーン5:断ち切られた糸と、深まる影
「夏芽、やるぞッ!!」
「うんっ! 【水土複合流・泥流の牢】っ!!」
夏芽が杖を地表へ突き立てると同時に、激しい泥と水の奔流が聖堂の床を削りながら溢れ出した。 狙うは後衛のエレナ(莉子)。粘度の高い泥流が旋風の威力を強引に相殺し、視界と足場を泥の檻で塞ぎ込む。
「無駄よ! そんなもので私のお人形は止められないわ!」
梁の上で朋美が指先を激しく躍らせる。 前衛のエリス(悠希)が凄まじい脚力で踏み込み、大剣を上段へと構えて冬夜の突撃を迎え撃とうとした。
だが、冬夜の狙いは最初から「倒すこと」ではない。
「ハァァァァァッ!!」
冬夜は左腕の封印器官を過剰駆動させた。火炎と紫電が全身を包み込み、代用の腕から血が吹き出すほどの激しいオーバーヒートを起こす。 命を削るほどの速度で迫り、エリスが繰り出した大剣の側面を、寸止めの精密な打撃と雷炎の衝撃波で連続して叩く!
ガガガガガガガアンッ!!
肉体を破壊しないギリギリの過負荷が、雷炎の衝撃となってエリスの全身を駆け巡った。
「ガ……っ、ハァ……っ!?」
姉の肉体が耐えうる限界ギリギリの過負荷。 大剣を落とし、崩れ落ちそうになりながら吐血する姉の悲鳴と衝撃が、『身代わりの盾』を通じて後衛の莉子へ強烈に伝波した。
その瞬間――。
泥の檻の奥で、無感情だった莉子の瞳の「黒い濁り」に、バキリと亀裂が入った。
脳を直接締め上げていた朋美の【マリオネットの呪い】の黒い糸。その冷たい支配を突き破り、莉子の胸の奥から熱い感情が爆発的に溢れ出す。
(お姉ちゃん……っ! 私のせいで……お姉ちゃんが……っ!!)
視界を染めていた氷のような虚無が消え去り、色彩が戻る。 瞳に宿る熱い光と、溢れ出す激しい感情。 自分の代わりに血を流し、ボロボロになって倒れそうになっている大好きな姉の姿が、莉子の視界を鮮明に捕らえた。
感情を奪われていた傀儡の顔が、激しい苦痛と、愛おしい姉を救いたいという必死の表情へと劇的に変化する。
「嫌……嫌ぁぁぁぁぁっ!! お姉ちゃんを傷つけないでぇぇっ!!」
莉子の口から飛び出したのは、黒い糸の呪いを完全に撥ね退けた、心からの悲痛な叫びだった。 その瞳から、堰を切ったようにボロボロと大きな涙の粒が溢れ落ちる。
誰にも踏み込めない、二人だけの深い絆。 「お姉ちゃんを守りたい」という莉子の魂の叫びが、内側から凄まじい魔力の奔流となって破裂し、朋美の【マリオネットの呪い】を内側から強烈に弾き返した。
——パキィィンッ!!
聖堂内に、目に見えないガラスが割れるような乾いた音が響く。 二人の絆が打ち破った呪いの反動により、首筋に深く突き刺さっていた黒い魔力の糸が、浮き彫りとなって大気中で大きく弛んだ。
魔力の接続が途切れた、僅か一瞬の隙。
「——今ですッ!!」
瑞希の声が空を切った。
冬夜の雷炎が弾けた直後、瑞希は固有能力【透明な拒絶】を発動。 気配も、足音も、空気の揺らぎすら世界から消し去り、完全不可視の影となって跳躍する。
標的は双子ではない。 空中に浮き彫りとなった、朋美の手首から伸びる黒い魔力の糸の集束点。
(もう……逃げない。過去の自分からも、朋美ちゃんからも!)
瑞希は死角から一瞬で交差領域へ踏み込むと、小剣にすべての魔力を奔流させた。
「この人たちを……誰の道具にもさせないッ!!」
無空から一筋の閃光が奔った。 覚醒した瑞希の刃が、空中を這うおぞましい黒い魔力の糸を、根元から
一刀両断する。
ブツンッ!!
「……あ」
糸を断たれた瞬間、双子の首筋から黒い靄が霧散した。 自我を取り戻し、涙を流していた莉子と、身代わりの痛みに耐えていた悠希の表情からすっと力が抜け、ふっと糸が切れたように意識を失って泥の床へと倒れ込む。
「は……? 嘘……嘘でしょう……!?」
梁の上で、朋美の可憐な顔が劇的に引きつった。 自分の絶対的な支配であった【マリオネットの呪い】が、瑞希の手によって鮮やかに切断されたという現実。
「私の糸が……切られた……? 瑞希……あなたが……私の邪魔をしたの……!?」
朋美の瞳が赤く濁り、眉間に青筋を浮かべて激高する。 そこにはかつての「優しい親友」の面影など微塵もなく、執着と怒りに狂った怪物の表情しかなかった。
「よくも……よくも私のお人形を壊してくれたわね……!! 瑞希ぃぃっ!!」
「朋美ちゃん……」
瑞希は小剣を構えたまま、毅然とした瞳で朋美を見据え返した。
「もう諦めて。これ以上、誰もあなたの思い通りにはさせない」
「ふざけないで!! あなたは私のものよ! どこへ逃げようと、どの世界へ行こうと、絶対に私の網から逃がさないんだから……っ!」
追撃しようと冬夜が地を蹴った、その瞬間。
「——『深淵の煙幕』!」
朋美が懐から取り出した漆黒の魔導具を床へ叩きつけた。 激しい爆音とともに、視界を完全に遮る濃密な黒煙が聖堂内を満たしていく。
「くっ……視界が!?」
「逃がすかッ!」
冬夜が雷炎で黒煙を吹き飛ばすが、煙が晴れた時、すでに梁の上にあった朋美の姿は消えていた。 聖堂の破壊された天井の隙間から、夜風に乗って朋美の狂気じみた歪んだ声だけが虚しく響き渡る。
『覚えていなさい、瑞希……! 今度はもっと素敵な網を用意してあげるわ……ふふ、あはははははっ!!』
声が遠ざかり、ルミナスの夜の闇の中へ完全に溶けて消えていった。
「逃げられたか……」
冬夜は激しく吐血し、左腕の過熱を収めながら膝をついた。
「冬夜お兄ちゃん! 瑞希ちゃん!」
夏芽が駆け寄り、二人の身体を支える。 満身創痍の『アニマの器』の三人。だが、その足元には、息を荒げながらも静かに眠る藤原姉妹の姿があった。
「助かった……んだよね、このふたり……」
夏芽がそっと姉妹の胸元に手を当て、脈拍を確認して安堵の息を漏らす。
「ああ。糸は完全に切れた。二人はもう、あいつの道具じゃない」
瑞希は静かに小剣を鞘に納めた。 朋美を倒し切ることはできず、闇の中へ逃げられてしまった。これから先も、朋美の執着という影が自分たちの旅に付き纏い続けるだろう。 だが、今の瑞希の胸に恐怖や迷いはなかった。
「ありがとう、二人とも。……私はもう、大丈夫」
月光が崩れかけた聖堂の天井から差し込み、傷だらけの三人と、無事に救い出された双子を優しく照らし出していた。
首都ルミナスでの理不尽なる戦いは、こうして一つの終わりを迎えたのだった。




