シーン4:絶望の中の抗い
「――『共鳴増幅』」
エレナ(莉子)の無機質な声とともに、旧ルミナス廃聖堂を崩壊させんばかりの風魔術が練り上げられていく。 前衛で血を流す姉・エリス(悠希)の傷に呼応し、短杖の先から放たれた暴風波は、もはや聖堂の床石を丸ごと削り取るほどの過剰な質量と化していた。
「夏芽! 瑞希の前に立て! 俺が正面で受ける!」
「は、はいっ! 【水土複合壁】っ!!」
冬夜の叫びに応え、夏芽が泥と水を練り合わせた極厚の複合防壁を生成する。 その直後、冬夜は封印帯を強引に引きちぎり、代用の左腕に宿る火炎と紫電を限界まで過剰発動させた。肉体が反動でじわじわと焼き削られ、繋ぎ目の胸元から血が吹き出す激痛。だが、それを構わずに前へ躍り出る。
ドガガガガガガアンッ!!
極大の暴風が防壁に激突。夏芽の土壁が瞬時に粉砕され、突破してきた風の刃の群れを、冬夜が雷炎の左腕を交差させて真っ向から受け止めた。
「グ、オォォォォっ!!」
大気を焦がす熱風と紫電の火花、そして削り取られる肉体の悲鳴。 爆発的な余波に呑み込まれながらも、冬夜は足を踏みとどまらせ、夏芽と瑞希への直撃を死守した。
「ハぁ……っ、ハぁ……っ! くそっ……魔術の威力が、さっきより上がっていやがる……!」
膝をつき、腕から煙を上げる冬夜。夏芽も魔力を絞り尽くして肩で息を吐いていた。 二人のダメージと疲労はすでに限界に近い。これ以上の極大魔術を受け止めれば、今度こそ全員が無事では済まない。
その時だった。
「――っ……」
短杖を掲げ、次の魔術を詠唱しようとしていた後衛のエレナ(莉子)の動きが、わずかに止まった。 無感情な傀儡の仮面。その瞳の奥が激しく揺らぎ、眉間を痛ましげに寄せる。 前衛で大剣を支えに必死に立ち尽くし、自分の代わりに右腕や背中から血を流している姉・悠希の姿。
それを目にした瞬間、莉子の瞳から、ポロポロと大きな涙の粒がこぼれ落ちた。
(ダメ……お姉ちゃんを……これ以上……傷つけたく……ない……っ!)
黒い魔力の糸に脳を苛まれ、自我を塗りつぶされながらも、心の中で悲痛な叫びを上げる妹。 『身代わりの盾』によって大好きな姉が傷ついていく残酷な現実が、朋美の冷たい支配を押し返そうと、意識の底で激しく抗っていた。
しかし、梁の上からそれを見下ろしていたセシリア(佐伯朋美)は、怒るどころか心底愉しそうに目を細めた。
「あらあら、可哀想に。お互いを想い合えば想い合うほど、お姉ちゃんが傷ついて、妹の魔術があなたたちを殺そうとするなんて……本当に最高のお人形ね」
朋美は指先をすっと動かし、二人の首筋に深く刺さる黒い糸を、容赦なく強く締め上げた。
「くっ……ガハッ……!?」
莉子の瞳から光が消え、再び濁った虚無へと戻される。 朋美はうっとりと頬に手を当て、壁際で震える瑞希へと残酷な視線を向けた。
「ねえ、瑞希? ほら見て。あなたが私から逃げたせいで、この子たちはこんな惨めなお人形になったのよ? あなたの新しいお友達が血を流しているのも、全部あなたが私を拒絶して、一人で勝手にいなくなったからじゃない」
「あ……ぁ……」
「学校でもそうだったでしょう? あなたが余計なことをするからいじめられて、私が助けてあげなきゃ何にもできなかった。……戻ってらっしゃい、瑞希。あなたが私のお人形に戻るって言えば、この子たちも、あのお友達も助けてあげるわ」
甘く、冷たい呪いの言葉。 瑞希の頭の中に、日本での惨めな記憶と罪悪感が激しい濁流となって押し寄せる。
自分が逃げたから。自分が生き延びて、みんなと出会ってしまったから。 朋美の言う通り、全部自分の存在が周りを不幸にしているんじゃないか――。 心がポッキリと折れかけ、瑞希が絶望の闇へと引きずり込まれそうになった、その時。
「――惑わされるな、瑞希ッ!!」
落雷のような声が、聖堂内に響き渡った。
傷だらけの身体を引きずり、冬夜が瑞希の前に立ちふさがっていた。 紫電を散らす左腕を抱え、荒い息を吐きながらも、その瞳には一切のブレもない力強い光が宿っている。
「お前に責任なんてあるわけねえだろ!! 自分のせいだなんて思うな!……お前が逃げたからじゃない、狂ってるのは全部あいつだ!」
「冬夜……さん……」
「俺たちは知ってるぞ! お前がこの世界で泥をすすりながら強くなって、誰よりも高く評価されてる冒険者だってことをな! 俺も夏芽も、お前の強さと凄さをずっと頼りにしてきたんだ! お前が自分を責める必要なんて、どこにもねえんだよ!!」
「そうだよ、瑞希ちゃん!」
夏芽も必死に駆け寄り、震える瑞希の両手を強く握りしめた。
「瑞希ちゃんは私の大事な友達! 誰も瑞希ちゃんのことを責めたりしないよ! だから……自分を嫌いにならないで!」
「夏芽ちゃん……」
温かい言葉と、固く握られた手の感触。 自分を「道具」ではなく、尊敬できる一人の「実力者」として、かけがえのない「仲間」として必要としてくれた二人の存在が、瑞希の胸の奥に灯火を宿す。
さらに――前衛で大剣を構え直した姉・エリス(悠希)の口元が、激しい葛藤に震えていた。 黒い糸に支配された虚無の瞳から一筋の涙が伝い、途切れ途切れの、けれど確かな意思のこもった声が漏れ出す。
「に……逃げて……っ! 私たち……もう……ダメだから……! 私たちを……殺しても、いいから……っ! あの子を……助けて……っ!」
身代わりの過負荷に苛まれながらも、妹を救いたい一心で糸の支配を押し返そうとする姉の魂の叫び。
その声を聞いた瞬間、瑞希の胸の中で、何かがパチンと弾けた。
日本でいじめられ、朋美の顔色ばかり気にしていた気弱な自分。 朋美に迷惑をかけたくなくて、逃げるように線路へ飛び込んだ愚かな過去。 そんなトラウマと恐怖が、完全に砕け散っていく。
(私は……もう、閉じこもって逃げるだけの私じゃない……!)
瑞希は立ち上がった。 小剣を強く握り直し、涙を拭って、梁の上の朋美をまっすぐに見据える。
「朋美ちゃん……。私は、あなたの道具にはならない。……そして、この人たちも、絶対にあなたなんかの道具にさせない!!」
覚醒した瑞希の瞳には、かつての怯えはなかった。 己の意思で未来を切り開く、一人の冒険者の凛とした光。
「冬夜さん、夏芽ちゃん……! 追撃の準備をしてください! 私に……突破口が見えました!」
「なに……!?」
冬夜が目を見張る。瑞希の研ぎ澄まされた洞察力が、眼前の双子と空中の糸の繋がりを冷静に見抜いていた。
「さっき、二人が抗おうとした時……首筋の黒い糸が、ほんの少しだけ緩んで魔力の接続が途切れていました。あの二人の絆は、朋美ちゃんの呪いよりも強い……!」
瑞希は一気に作戦を語る。
「冬夜さんの雷炎で、姉の方に倒れないギリギリの過負荷を与えてください! 二人の絆を極限まで刺激すれば、二人の自我が朋美ちゃんの支配を一時的に押し返して、必ず糸の接続が緩みます!」
「なるほど……その一瞬の緩みを狙うってわけか!」
「はい! 弛んだ瞬間の糸を……私が完全に切り断ちます!」
敵の防壁を逆手に取り、二人の強い絆を利用して支配を破る逆転の策。 格上の瑞希が見抜いた完璧な勝機に、冬夜の口元へ野性的な笑みが浮かんだ。
「よく言った、瑞希!……よし、乗ったぞ! 夏芽、全魔力でアシストしろ!」
「うんッ!!」
「な……なんですって……!?」
梁の上で、朋美の顔から高悦感が消え、苛立ちの影が走る。 絶望を乗り越え、完全に覚醒した『アニマの器』の三人が、反撃の陣形を整えていた。
「行くぞ……! 一発で決める!!」




