シーン2:運命の依頼
大自然の広がる街道を抜け、冬夜たちの視界に巨大な白銀の城壁と美しい尖塔群が飛び込んできた。
中央聖導国ルミナス。 エデンにおける信仰と魔術の中心地であり、6大国の中でも屈指の規模を誇る光の都。
「へぇ……ここがルミナスか。アビス・ヴァレーやグラニアとはまた雰囲気が全然違うな」
新たに新調した胸当てと右手に革の手甲を装着し、左手には自身の雷炎を抑える義手を嵌めた佐々木冬夜は、感心したように見上げた。
この異世界『ミラージュ・エデン』に飛ばされてから、すでに八ヶ月近くの月日が流れている。妹の夏芽を探し求めた旅の中、拳士としての格闘技術を磨き、幾多の修羅場を潜り抜けてきた彼の佇まいには、かつての高校生としての弱々しさは消え、逞しい冒険者の風格が漂っていた。
「すごい綺麗……! おとぎ話に出てくるお城みたい!」 隣で目を輝かせているのは夏芽だ。
「ねえ冬夜お兄ちゃん、瑞希ちゃん! まずは冒険者ギルドに行ってみようよ。何か面白そうな依頼や、旅の手掛かりがあるかも!」
「そうだな。情報収集が先決だ」 瑞希も静かに頷く。
冬夜、夏芽、瑞希の三人で結成されたパーティ――『アニマの器』。 彼らは街を行き交う聖騎士や巡礼者たちの人波をくぐり抜け、ルミナスの中心部に佇む冒険者ギルド総本部【天啓の天秤】へと向かった。
◆
【オルディナ】の内部は、異世界の熱気と熱狂に満ちていた。 天井高くそびえる石柱と、壁一面に設置された巨大な魔導掲示板。
「うわぁ……人、いっぱいだね」 夏芽が感心しながら掲示板を眺めていると、ふと、横にいた冬夜の足がピタリと止まった。
「……おい、夏芽、瑞希。ちょっとこれを見てくれ」
冬夜の声の緊張感に惹かれ、二人が駆け寄る。 冬夜が指さした一枚の羊皮紙――そこには、異世界の文字に混ざって、決してこの世界に存在するはずのない「異質な言葉」が刻まれていた。
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【特定人物・情報の捜索依頼】
探している人物:藤原悠希、藤原莉子、または如月美憂
キーワード:『東京』『埼玉』『日本』の知識を持つ者
差出人:【双翼の誓い】エリス・エレナ
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「……っ!? 『東京』……『埼玉』……!?」 夏芽が息を飲み、両手で口元を覆った。
「なんなんだ、この言葉……。まさか、俺たちの他にも『日本』からこの世界に飛ばされてきた奴がいるのか!?」 冬夜の胸に激しい衝撃が走る。 この世界に来て八ヶ月、自分たち以外の同郷の人間と出会う機会などなかった冬夜にとって、それは眩しいほどの驚きだった。
一方、夏芽の瞳には涙が浮かんでいた。
「藤原悠希……莉子……? 知らない名前だけど……私と同じ、あのバス事故の生存者かもしれない! あの惨劇から生きて、この世界で助けを呼んでるって事……?!」
夏芽が思い浮かべているのは、自分が巻き込まれた『1回目のバス事故』のことだった。
その後に起きた『2回目のバス事故』の存在など知る由もない夏芽は、自分と同じ事故の生き残りだと信じて疑わなかった。
「すぐにこの『エリス』と『エレナ』っていう人に会おう! 受付で聞いてみるわ!」
熱を帯びた夏芽に引かれるように、三人パーティ『アニマの器』は急ぎ受付カウンターへと向かった。
◆
「いらっしゃいませ。……あちらの指名公開依頼の件ですね」
『アニマの器』の提示した冒険者プレートを確認したギルドの受付職員は、思い出したように頷いた。
「実は、その依頼主である『エリス』様と『エレナ』様から、事前に伝言を預かっております。『もしキーワードの意味を理解できる人物が現れたら、ギルドを通さず、ルミナス郊外の【旧ルミナス廃聖堂】で待っていると伝えてほしい』とのことです」
「郊外の廃聖堂……? どうしてそんな場所で?」 冬夜が怪しむように首をかしげた。
「おふたりはハーフエルヴンでして、目立つことを避けたいとおっしゃっていました。街中では人目が多いため、静かな場所でゆっくり話がしたいのだと思います」
「そっか……ハーフエルヴンなら、人目が気になるのも無理ないよね」 夏芽は納得したように頷き、冬夜の袖を引いた。
「行こう、お兄ちゃん! 私たちの仲間が待ってる!」
「……ああ。行ってみよう」
冬夜は胸の奥に小さな引っかかりを覚えつつも、同郷の者に会える期待を優先し、深く深く頷いた。
それが、仕組まれた悪魔の罠とも知らずに。
◆
ルミナスの城門を出て、木々が鬱蒼と茂る街道をしばらく進んだ場所に、その【旧ルミナス廃聖堂】は静かに佇んでいた。
静寂に包まれた苔むす石造りの聖堂。 かつて祈りが捧げられていたであろう大聖堂の扉は半開きになっており、中から冷たい風が吹き抜けてくる。
「すみません……! 『指名公開依頼』を見て来ました! エリスさん、エレナさん……ですか!?」
夏芽が声を張り上げながら、聖堂の重い扉を押し開けた。 天井から差し込む月光が、崩れかけた礼拝堂の壇上を照らし出す。
そこに、ポツンと佇む人影があった。 全く同じ美しい顔立ちをした、二人のハーフエルヴンの少女――エリスとエレナ。
「あ……本当に、ハーフエルヴンの双子さん……」 夏芽が安堵の笑顔を浮かべ、一歩踏み出そうとした――その瞬間。
「待て、夏芽!!」
冬夜が叫び、夏芽の腕を強引に引き戻した。 無意識のうちに、研ぎ澄まされた格闘家としての直感と野性の勘が最悪の危機を告げていた。
「冬夜お兄ちゃん……!? 急にどうしたの――」
「違う……おかしい! この二人、気配が変だ……!」
月光に照らし出された双子のハーフエルヴン。 二人は夏芽たちの問いかけに一切答えることなく、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳――。 そこには生の感情も、同郷者と会えた歓喜も無く、まるで底なしの深い泥のような、冷たく濁った虚無だけが宿っていた。
カチ、と乾いた金属音が響く。 姉のエリス(悠希)が大剣を構え、妹のエレナ(莉子)が感情のない手つきで短杖を冬夜たちへと向けた。
「な……なんで……!? 私たち、味方だよ……!? 日本から来たんだよ!?」 困惑し、叫ぶ夏芽。
「無駄だよ、夏芽ちゃん……。この人たち、操られている……!」
冬夜が即座に素手を構えて手甲を締め直し、瑞希も小剣を構えて鋭い視線を天井の影へと向けた。
パチン――。
静かな聖堂内に、可愛らしい指鳴らしの音がこだました。 天井の梁の上から、闇を切り裂くようにして舞い降りてきた一人の少女。
可憐で清楚な冒険者の衣装に身を纏い、人目を引くほど愛らしい顔立ちをした見知らぬ少女――セシリア(朋美)。
「……久しぶりね、瑞希。追ってきてくれるって信じていたわ」
闇の中から投げかけられたその透き通るような声と、向けられた熱っぽい視線に、瑞希は息を呑んだ。 しかし、その顔に浮かんでいたのは再会の歓喜ではなく、純粋な困惑だった。
「え……?……嘘。なんで……なんで私の名前を知ってるの……?……あなた、誰……?」
瑞希の口から漏れた、あまりにも素気なく、自分を赤の他人のように扱う言葉。 その瞬間――セシリアの顔から可憐な笑みが氷のように消え去った。
「……は?」
空気が凍りつく。指先に絡みつく黒い糸が、ピキピキと音を立てて凶暴に震え出した。
「誰……? 今……誰って言ったの……? 瑞希……あなた、私を忘れたっていうの……!?」
セシリア――佐伯朋美の瞳が赤く濁り、血が滲むほど鋭く瑞希を睨みつける。彼女は狂暴な感情を隠そうともせず、怒りに体を震わせながら叫んだ。
「忘れるわけないじゃない!! 誰のおかげであなたが今まで生きていられたと思ってるの!? 学校で誰も味方がいなかった時、あなたを守ってあげたのは誰!? あなたの髪を整えて、手を引いて、いつでも隣にいてあげたのは誰なのよ!!」
怒号のような力説。 現世でいじめに苦しんでいた瑞希にとって、朋美はいつだって世界で一番の「いい人」で、自分を救ってくれる唯一の救世主だった。 だからこそ、瑞希はこう思っていたのだ――これ以上、私のせいで朋美に迷惑をわけにはいかない、と。
「……っ……! 朋美ちゃん……は、私に優しくしてくれた……。いじめられてる私を、ずっと助けてくれた……!」
瑞希は震えながらも、血の引いた顔で叫び返した。
「だから……だから私、これ以上あなたの荷物になりたくなくて……! 私のせいで朋美ちゃんまで嫌な目に遭うのが嫌で……迷惑かけたくなくて、あの時……電車に……っ!」
自ら線路へ身を投げた理由。それは朋美を嫌いになったからではなく、むしろ「大切だからこそ、自分の存在でこれ以上すり減らさせたくない」という、あまりにも歪んだ自己犠牲だった。 だが、その言葉を聞いた瞬間、朋美の表情が冷たく歪んだ。
「迷惑……? 私が、あなたを迷惑に思ったことなんて一度でもあった!?」
朋美の瞳に、激しい狂気が宿る。
「私のために苦しみ、私のために消えようとしたっていうの……!? 勝手に私から離れようとしたのよ、あなたは……! 私のすべてだったくせに、私を置いて一人で勝手にいなくなるなんて絶対に許さない……!!」
瑞希の脳裏に、かつて雨のホームで響いた朋美の絶叫と、今のこの少女の狂気が恐ろしいほど重なり合う。 目の前にいるのは、あの時自分を救ってくれたはずの「優しい親友」ではない。自分を自分の「網」から一歩たりとも逃がしようとしない、底なしの支配欲の怪物。
「……あ……嘘……嘘でしょう……!?」
瑞希の小剣を持つ手が、ガタガタと激しく震え出す。
「……朋美……ちゃんなの……!?」
「ええ、そうよ!! やっと思い出してくれたのね、瑞希……っ!」
朋美はおぞましくも可憐な笑みをその顔に咲かせ、うっとりと両腕を広げた。
「ふふ、最高の舞台でしょう? あなたの大切な新しいお友達(アニマの器)も一緒に連れてきてくれたのね」
朋美の指先から伸ばされた無数の黒い魔力の糸――【マリオネットの呪い】が、操られた双子ハーフエルヴンの首筋を容赦なく締め上げる。
「さあ、お人形さんたち。……あのお客様たちを、温かく歓迎して差し上げなさい?」
「――『了解』」
感情を失った双子の声が重なり、聖堂内に凄まじい風と魔術の火花が吹き荒れた。 朋美の歪んだ執着と、罠に落ちた『アニマの器』の絶望的な戦いが、いま幕を開けたのだった――。




