プロローグ:分かたれた魂と、双子の絆
鏡に映るその顔を、藤原悠希は何度見つめ直しても、自分のものだとは信じられなかった。
透き通るような白磁の肌。どこか人間離れした神秘的な美しさを湛える、深い碧色の瞳。
そして何より――耳の先端がすっと繊細に伸びた、精霊の血を引く異形の耳。
現世(日本)で二十二年を生きてきた「藤原悠希」の面影はそこになく、鏡の中にいたのは、中央聖導国ルミナスの街で生まれ育ったはずの【ハーフエルヴン】の美しい少女だった。
「……悠希、姉さん……?」
後ろから、不安げな声がかけられる。 振り返れば、そこに立っていたのは、自分と全く同じ顔立ちをした、もうひとりのハーフエルヴンの少女――妹の藤原莉子だった。髪型をわずかに短めのセミロングに整えていること以外、二人の容姿は双子そのものだ。
「莉子……大丈夫? 頭の痛みは……」
「うん、少し落ち着いた……。でも、まだ……頭の中で『誰か』が喋ってるみたいで……」
莉子は額を小さく押さえ、辛そうに眉をひそめた。 二人がいま存在するこの肉体は、もともとルミナスの下町でひっそりと助け合って暮らしていた現地人の双子の姉妹――姉の『エリス』と、妹の『エレナ』のものだった。
あの日、あの惨痛なバスジャック事故の最中、バスガイド・如月美憂の大鎌によって魂を刈り取られ、この異世界『ミラージュ・エデン』へと投げ出された。
現世での死と同時にこの世界へ到達したのは、きっと自分たちだけではないはずだ。
同じバスに乗っていた乗客たち――佐伯朋美や他の乗客の魂もまた、自分たちと同じ時期にこの広大な異世界のどこかへと同時に転生を果たしているのではないか?自分達の境遇を考えてそう思うようになっていた。
流行病で息を引き取ったはずのルミナスの双子の肉体。
そこへ、美憂の鎌によって切断された悠希と莉子の魂が吸い込まれるように「成り代わって」から、すでに数ヶ月の時が流れている。
「不思議ね……。私、この街の地理も、使われている言葉も、生活の仕方も……最初から全部知っている」
悠希は自分の華奢な手のひらを見つめながら、静かに息を吐いた。
「この身体の元の持ち主……エリスとエレナの記憶が、私たちの魂に溶け込んでいるのよ。……商人のお父さんとお母さんが病気で死んじゃって、二人で助け合ってきた思い出も……。でも、私の心の中にいるのは間違いなく『藤原悠希』で、莉子の心にいるのは『藤原莉子』……」
「……うん。転生してから最初の数ヶ月は、自分の名前すら分からなくなりそうだったけど……。でも、やっぱり怖いよ、姉さん」 莉子の声がかすかに震える。 「病気で死んでしまった可哀想なこの子たちの命を、私たちが押し退けて生きてるんじゃないかって……」
成り代わりの罪悪感と、記憶の混在。 自分自身が誰なのかを見失いそうになる恐怖の中、悠希は妹の肩をしっかりと抱き寄せた。
「大丈夫よ、莉子。私たちが生かされたことには、きっと意味がある。……それに、私たちはふたり一緒じゃない」
「……うん。姉さんがいてくれて、本当によかった……」
二人は静かに身体を寄せ合い、お互いの存在が「偽物」ではないことを確かめ合うように温もりを分け合った。
◆
二人がそこまでして正気を保っていられたのは、あの凄惨なバス事故――そして、すべての元凶である一人の男に対する激しい疑惑と怒りがあったからだ。
「……松岡先生」
莉子の口から漏れたその名前に、悠希の瞳が鋭く冷えていく。 中学時代の担任教師・松岡雅紀。 温和で爽やか、生徒思いの理想的な教師として校内でも人気が高かった男。だが、悠希と莉子は中学の頃から、彼が向けてくる視線の奥に、皮膚の裏側を這い回るような不気味でねっとりとした『何か』を感じ取り、密かに警戒し続けていた。
成人し、大学生となった彼女たちのもとへ、松岡は「教え子の成長を祝う親睦旅行をしよう」と笑顔で提案してきたのだ。 恩師としての顔を崩さず、親身に旅行の計画を立ててくれた松岡。
二人は過去の不気味な違和感を「ただの考えすぎだったのかもしれない」と自分に言い聞かせ、そのバスツアーへの参加を決めてしまった。
しかし――あの暗いトンネルの中で起きた惨劇。 突然立ち上がり、ナイフを舐めながら狂気的な笑みを浮かべた松岡の言葉が、いまも脳裏に焼き付いて離れない。
『悠希ちゃん、莉子ちゃん……中学の頃から待ち続けていたんだ。君たちが最も美しく、甘やかに熟すこの瞬間をね。私の完璧な死体コレクションとして、永久に保存してあげる』
「……あの人は、最初から……私達を殺すつもりでツアーを組んでいたんだわ」 悠希は拳を強く握りしめた。
「あの事件は、単なる交通事故なんかじゃない。あの男が仕組んだ、狂った殺人計画だったのよ……!」
事故の最中、自分たちを庇って傷つき、血を流しながらも「今、楽にしてあげますから」と涙を流して大鎌を振るったバスガイド・如月美憂。 激痛と恐怖の中で死を覚悟した自分たちを、苦痛から解放するように救ってくれたあの黒銀の光。
「美憂さんは……私たちを救ってくれた」 莉子が力強く頷く。
「現世で私たちがどう報じられているかは分からないけれど……美憂さんは殺人鬼なんかじゃない。私たちを、この世界へ逃がしてくれた恩人よ」
「ええ。だからこそ……私たちは引き下がれない」
二人はお互いに深く頷き合った。 松岡への恐怖を乗り越え、自分たちを救ってくれた美憂への感謝を胸に、この異世界で生きていく決意を固める。
◆
さらに、この新しい肉体へ宿ったことで、二人には現世では考えられない「不思議な力」が目覚めていた。 数ヶ月間、屋敷の中で人目を避けながら幾度となく検証を重ねてきた力――。
「莉子、もう一度……試してみましょう」
「うん!」
二人が部屋の中央で向き合い、そっと手を繋ぐ。 その瞬間、二人の体内を巡る魔術の回路が共鳴し、部屋の中に清涼な風とバチバチという紫電の火花が巻き起こった。
莉子が手にした短杖を掲げると、本来なら小さな風の刃しか出せないはずの魔術が、悠希との同調によって何倍もの威力へと膨れ上がり、部屋の防音壁を激しく揺らす。
「すごい……! 姉さんと手を繋いでいると、魔術の威力が段違いになる……!」
莉子の固有能力――『共鳴増幅』。
姉である悠希と同調し、魔力を借り受けることで、攻撃魔術の威力を爆発的に跳ね上げる力。
さらに、実験として莉子が自らの指先をナイフで軽く傷つけようとした――その瞬間。 「あっ……!」
刃が莉子の肌に触れた瞬間、血が流れたのは莉子の指ではなく、隣に立っていた悠希の指先だった。 刃の立った指には傷一つなく、悠希の指から一筋の鮮血が静かに滴り落ちる。
「姉さん!? ごめんなさい……っ!」 慌てる莉子に対し、悠希は痛みに眉一つ動かさず、静かに笑ってみせた。
「やっぱり……間違いないわ。私たちが命の危機で深く想い合ったからこそ授かった力……」 悠希の固有能力――『身代わりの盾』。
妹である莉子が受けるはずのあらゆる攻撃、ダメージ、傷の因果を、姉である悠希がすべて代わりに引き受ける絶対的な防衛能力。
「私が莉子の盾になる。精神の混乱も落ち着いて、ようやくこの力も自由に扱えるようになった。……ふたりでひとつの命を分かち合っているんだわ」
◆
そして転生から半年が過ぎた今日。 二人はルミナスの下町にある家を出て、中央聖導国ルミナスの冒険者ギルド総本部【天啓の天秤】の大門をくぐっていた。
整然と並ぶ巨大な石柱と、絶え間なく行き交う無数の冒険者たち。 受付カウンターへ向かった二人は、手渡された魔導羊皮紙へ、現地での本名を静かに署名した。
『パーティ名:双翼の誓い(ツイン・ブレイド)』
『メンバー:エリス(前衛・身代わり)、エレナ(後衛・魔導士)』
「はい、お預かりします。……『エリス』様と『エレナ』様ですね。登録完了です。これで正式に冒険者として依頼を受けられますよ」
受付職員の手から、二枚の鈍く輝く銅製の冒険者プレートが差し出される。 それを受け取ると、悠希は前持っておいた『依頼書』の羊皮紙を取り出し、職員へと差し出した。
「ありがとうございます。……それと、併せて『指名公開依頼』の手続きをお願いしたいのですが」
「指名公開依頼ですね。内容を確認させていただきます」
職員が羊皮紙を受け取り、目を通す。 『指名公開依頼』――それは討伐や素材採取といった通常のクエストとは異なり、特定の個人や条件に当てはまる人物を捜索するため、ギルドのネットワーク全体に情報を提示する特殊な依頼システムだった。
ルミナス総本部で出された指名公開依頼は、各国のギルド支部に設置された『魔導通信核』を通じてリアルタイムで共有される。遠方の街やダンジョンの掲示板にも情報が網のように行き渡るため、広大なエデンのどこかにいるかもしれない「仲間」へ届かせるには、これ以上ない手段だった。
さらに、名乗り出た人物とのやり取りは必ずギルド窓口が仲介するため、怪しい賞金稼ぎや悪意ある者からの突発的な接触を防ぐ安全策でもある。
「……なるほど。捜索対象のキーワード指定ですね」
職員が羊皮紙に書かれた文字を読み上げる。そこに記されていたのは、冒険者名義の『エリス・エレナ』ではなく、二人がどうしても会いたい人物たちへ向けた切実なメッセージだった。
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【特定人物・情報の捜索依頼】
探している人物:藤原悠希、藤原莉子、または如月美憂
キーワード:『東京』『埼玉』『日本』の知識を持つ者
内容:該当する名前や知識に心当たりのある方は、ギルド経由にて【双翼の誓い】エリス・エレナまでご連絡ください。相応の報酬を支払います
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「『東京』に『埼玉』……不思議な言葉ですね。地名でしょうか?」
「ええ……私たちの『大切な故郷』の言葉です」
悠希は凛とした眼差しで応えた。 現地での身分や生活を守るため、冒険者としての名義は『エリスとエレナ』で登録している。しかし、依頼文の本文中に自分たちの現世での本当の名前(藤原悠希・莉子)や、聞き覚えのある故郷の地名を仕込んでおけば――もし同じ事故で飛ばされ、どこかで生きているはずの同郷の人間がこれを見かけた時、一発で「自分たちの探している仲間だ」と気づいてもらえる。
自分たちを救ってくれたバスガイドの美憂。そして、同じ事故に巻き込まれ、同じ時期にこの異世界『ミラージュ・エデン』へと落ちてきたはずの生存者たち。
「この方法なら……きっと届くわね、姉さん」
「ええ。どれだけ遠くに離れていても、同じ言葉を知る人なら必ず気づいてくれるはずよ」
掲示板の最も目立つ場所へ貼り出されていく羊皮紙を見つめながら、二人はお互いの手を強く握りしめた。
「行こう、莉子。……私たちの新しい戦いを始めるために」
「うん、姉さん!」
陽光が降り注ぐルミナスの大通りへ、二人は力強い一歩を踏み出していた。




