幕間4:神崎恭の観測
夜の静寂の中、神崎恭はベッドの上で静かに瞼を閉じた。
神・ベルゼから授かった【死神】の権能。そして、そこから派生する【幻影電車】を手にして以来、彼の眠りは常にひとつの「夢」によって支配されていた。 まどろみの奥深くへ落ちていくたび、恭の意識は時空を越え、権能の恩恵によって遥か異世界にいる佐々木冬夜の近況を「夢」として鮮明に観測していたのだ。
(……ふふ。あいつ、向こうで頑張ってるのかな)
闇の中でまどろみながら、恭は心の中で静かに口元を緩めた。
かつて、暗闇の線路で冬夜を自らの電車で轢いてしまった直後は、人を死なせた恐怖や罪悪感に苛まれたこともあった。だが、夢を通して異世界での彼の動向を観測できるようになってから、恭の思考は少しずつ変わっていった。
現世で絶望し、自ら命を絶とうとしていた奴。 そんな存在が異世界という別の舞台でどう生きていくのか――。
大層な神気取りではない。けれど、死ぬはずだった者が向こうで足掻き、逞しく生き抜いていく姿を観測することは、恭の罪悪感を静かに和らげ、どこか気楽に彼らの頑張りを応援し楽しむような余裕を与えていた。
だが――今夜、落ちていった夢の闇の中で聞こえてきた二人の「会話」が、恭の脳裏に激震を走らせた。
『ねえ、お兄ちゃん……私ね、あのバス事故に遭った時、不思議なお姉さんに会ったんだよ』
『不思議なお姉さん……?』
『うん。どこか寂しそうで……バスガイドの『如月美憂』っていう人。あの人が私に言ったの……「大丈夫、死なせはしない。この理不尽な世界の理の外側へ逃がしてあげる」って……』
夢越しに届いた、ルナと呼ばれている少女の声。 その口から飛び出した「如月美憂」という予期せぬ名を聞いた瞬間、恭の全身に凍りつくような戦慄が走った。
(……待て……如月美憂……!? 冬夜の妹が……あの事故の時に美憂と会っていた……!?)
冬夜が向こうでずっと探し回っていた妹――夏芽。 その妹が、あの事故の最中に美憂と直接接触し、そんな言葉をかけられていたという事実。
(……おい、まさか……冬夜の探してる妹ってあいつ(ルナ)のことか……!? 美憂が何をしたっていうんだ……!?)
思考を凍りつかせるような衝撃のさなか、夢の中の意識の底に、低く思慮深い重低音がリアルタイムで割り込んできた。
『……ふむ。やはりそうであったか』
(……ベルゼ!? 今の会話を聞いたか!? 美憂が冬夜の妹に『世界の理の外側へ逃がす』なんて言ったって……お前、何か知ってるのか!?)
恭の切迫した問いに、天獄に囚われし神――ベルゼの声から戯れが消え、深く冷たい重みを帯びて響いた。
『落ち着け、恭。……以前、我がお主の周囲を検分した際、現世から姿を消した如月美憂という女の気配を密かに探ったことがあったのを覚えておるか? あの時はまだ微かな残り香に過ぎず、確信が持てなんだゆえお主には伝えておらなかったのだが……確かにあの女の背後から、我らとは異なる『異質な神』の気配を感じ取っておったのだ』
(異質な神の気配……!?)
『うむ。そして今、あの娘の口から出た『理の外側へ逃がす』という言葉、そして死肉を棄てさせて魂を別世界の器へと強制的に移し替える……俗に言う『成り代わり(ポゼッション)』の手口を見て、ようやくすべてが繋がったわ。……間違いない。如月美憂に力を貸しておるのは――『フィスト』じゃ』
『かつて我を裏切り、この天獄へ封印した宿敵の名じゃよ。神界を裏切り、冥界の力に手を染めたあの歪んだ存在……。人の魂を強引に刈り取り、次元のバイパスを繋いで別の世界の肉体へと成り代わらせるなどという芸当を行える神器を持っておるのは、この世界広しといえどフィスト奴以外にはおらん』
(……お前を裏切った宿敵……!? 美憂がそんな神と契約したってことか……!?)
『おそらくはな。我がお主の力を借りてこの天獄から脱出しようとしておるのも、元はと言えば奴を討ち、己の権能を取り戻すため……。だが、奴の権能が異世界に深く絡んでおるとなると、美憂が遺した惨劇の種は、お主が考えている以上に危険な歪みとなって根を張っておるぞ』
(美憂の背後にいるのは、ベルゼの敵である『フィスト』……。美憂がそいつの力を使ってるなら、現世の事件も、異世界の成り代わり(ポゼッション)も……全部繋がってるのか……っ!)
「くそっ……!」
夢から覚め、恭は目を開けて体を起こすと、苦々しく顔を歪めた。 あのバス事故の裏で動いていた美憂の影。そして、ベルゼを封印した宿敵「フィスト」という神の力を手にし、異世界に不気味な爪痕を遺して姿を消した彼女の存在。
(美憂の動向は完全に謎だ……。だが、冬夜たちに干渉してきた以上、絶対にタダじゃ済まない……)
恭の心に、気楽な関心とは裏腹に、拭いきれない大きな懸念の影が落ちていた。
◆
先日、ホームで自ら身を投げ、現世から消失していった女子生徒の余韻も冷めやらぬ、数日後の夜。
駅のホームの陰から、恭は傘もささず、静かに前方の暗がりを見つめていた。
黄色い線の内側に立ち、スマホの画面を見つめながら所在なさげに佇む一人の男。 その背後に、殺意と絶望を瞳に宿した少女が気配もなく忍び寄っていた。
少女は躊躇うことなく両手を伸ばし、男の背中を線路の上へと強く突き飛ばした。
「え……? うわっ――!?」
短く引きつった悲鳴とともに、男の身体が宙を舞い、冷たい線路へと落下する。
突然の事態。暗闇の線路の上で、男は突き落とした少女の顔を見上げた。 絶望と殺意に満ちたその表情を目にした瞬間、男の唇が、おぞましく歪んだ。
「――なるほど。あなたでしたか……」
ククッ、と小さく含み笑いを漏らした、次の瞬間。
直後、暗闇の奥から激しい金属音を響かせて進入してきた電車。
ゴオォォォォォンッ――!!
鉄の軋む音とともに男の身体は電車にはね飛ばされ、血痕ひとつ残さず現世からその存在を掻き消された。
雨の中、恭は静かにその場を後にした。
運命のピースがまた一つ、ミラージュ・エデンへと放り投げられたのだった。




