シーン2:死線の先、黄泉の足音
魔物が跡形もなく消え去り、路地裏に再び不気味な静寂が戻った。
「ハッ……ァ……ッ、ガ……ッ……!」
絶叫の余韻と同時に、冬夜は膝から崩れ落ちた。左肩から立ち上る火炎と紫電がすうっと霧散し、魔 腕の維持が解ける。
途端に、激しい魔力の摩耗と肉体の痛みが津波のように押し寄せ、冬夜は冷た い泥の中に顔をうずめた。
左腕はない。肩から先は、無惨に途切れ、焼き切れた断面があるだけだ。
激痛に耐え兼ねて荒い息 を吐き出しながら、冬夜の視界は、どす黒い血と泥の混ざり合う地面に固定されていた。
(……夏芽……ッ……)
ふと口をついて出た妹の名が、意識を「あの日」の記憶へと引きずり戻す。
雨の音。白く無機質な病院の臭い。冬夜の脳裏に蘇ったのは、モニターの無機質な電子音がただ虚 しく響く、集中治療室の光景だった。
『……残念ですが、脳波の反応が完全に途絶えました。』
医師が告げた、血の通わない淡々とした言葉。友達と楽しそうに出かけていったバス旅行。
その途 中で発生した痛ましい事故により、乗客だった夏芽は一命を取り留めたはずだった。……なのに、病 院へ担ぎ込まれた時には、なぜか魂だけが抜け落ちたように脳死状態へと陥っていたのだ。
『兄ちゃん! お土産買ってくるからね!』
出がけに見せてくれた、あの眩しい笑顔。
二度と目を覚まさない妹の冷たくなった手をいくら握り締め ても、温もりが戻ってくることはなかった。
夏芽のいない世界で息を吸うことが、耐えがたい罪のように思えた。
だから自分は、雨の降る夜、踏 切で接近する電車の前に身を投げたのだ。身体が鉄塊に押し潰され、感覚が吹き飛んだあの瞬間 を、冬夜ははっきりと覚えている。
「……間違いない。僕は、あのとき死んだんだ……」
冬夜は泥に右手を深く突き立て、歯を食いしばった。
電車に轢かれて生きていられるはずがない。なら、ここはどこだ。この幾何学的にねじれた不気味な 街並みも、襲いかかってきた黒い怪物も、腕から噴き出した炎と雷も――すべては、死んだ人間の魂 が行き着く「死後の世界(黄泉)」だからなのか。
「……待てよ……?」
ふと、過った疑問。 脳裏に、雷が落ちたような衝撃が走った。 自分が死んでこの「死後の世界」に辿り着いたのなら。あの事故で魂を奪われ、自分より先に逝って しまった夏芽も――いま、この世界のどこかにいるんじゃないのか?
「夏芽……そこに、いるのか……?」
胸の奥で、冷え切っていた感情が熱を帯びて爆発する。
自分がどこへ行き着こうと関係ない。地獄だ ろうと黄泉の国だろうと構わない。妹と再会できる可能性があるなら、なんだっていい。
「待ってろ、夏芽……!」
冬夜はよろめきながら、壁を支えにして立ち上がった。意識を研ぎ澄ますと、失われた左肩からバチ バチと紫電が走り、紅蓮の炎が異形の魔腕を再構築していく。激痛が脳を焼き切ろうとも、もう関係 なかった。
「神でも、この世界の化け物でも……僕と夏芽の邪魔をするなら、この左腕で全部焼き尽くす」
冬夜は紫色の歪んだ空を見上げ、狂気にも似た執念を瞳に宿すと、死後の世界だと信じ込む「ミラージュ・エデン」の街へと足を踏み出した。




