シーン10:黒曜の谷と狂暴化の暗雲
中央聖導国ルミナスの国境を抜け、瑞希が辿り着いたのは、黒々とした巨大な断崖に囲まれた街――『採掘と迷宮の街:黒曜の谷』だった。
ドシン、ドシンと遠くから響く採掘の打撃音。行き交う馬車に積まれた色鮮やかな魔鉱石。露店で威勢よく声を張る商人たちと、酒場から流れる荒くれ冒険者たちの喧噪。この街は、巨大ダンジョンからもたらされる膨大な富と資源の熱気に包まれていた。
瑞希は居心地の悪さを隠すようにフードを目深にかぶり、街の中心に佇む大きな石造りの建物――冒険者ギルド『アビス・ヴァレー支部』へと足を進めた。
ルミナスの首都にあるギルド本部【天啓の天秤】が全6大国のギルド網を統合する「総本部」であるのに対し、このアビス・ヴァレーのようにダンジョンを擁する前線都市には、実務を担う「支部」が置かれている。
活気あふれる支部の掲示板前を抜け、瑞希は受付へと向かった。
「すみません、情報収集でお伺いしたいのですが……『アニマの器』と呼ばれる二人組について、何か知っていますか?」
受付の女性職員は、瑞希の問いかけに即座に頷いた。
「『アニマの器』ですね。異形の左腕を持つ魔法拳士の青年と、魔法使いの妹さんの二人組でしたら、先ほどダンジョン深層への討伐レイドに向かわれましたよ。……実は今、ダンジョン内で非常に厄介な事態が起きているんです」
「厄介な事態……ですか?」
職員は表情を曇らせ、声を潜めた。
「ええ。ここ最近、ダンジョン内や街の周辺で『狂暴化の疫病』と呼ばれる不気味な現象が広がりつつあります。感染したモンスターは身体を黒く蝕まれ、理性を失って異常なまでに凶暴化するのです。しかも……ギルドの調査によると、その不気味な呪いのような魔力は、国の中枢の方角から流れてきているのではないかと囁かれています」
(国の中枢の方から……? 嫌な予感がする……)
瑞希の胸に不穏なざわめきが走る。
「複数の熟練パーティによる大型討伐レイドが組まれましたが、相手は通常の魔獣とは比べものにならない狂暴さです。彼らも含め、かなり危険な状況かもしれません……!」
「場所を教えてください! 私もすぐに向かいます!」
瑞希は手短に詳細を聞き出すとギルドを飛び出し、黒曜石の岩肌にぽっかりと口を開けるダンジョンへと駆け出した。
◆
ダンジョン深層。薄暗い広大な空洞には、絶望的な光景が広がっていた。
「ぐはッ……!?」
「ひ、引きあげろ! 攻撃が効かねえ……ッ!」
Cランク以上のベテラン冒険者たちが血に染まって倒れ込み、動ける者たちも傷ついた仲間を抱えて撤退を余儀なくされていた。
その前線に立ち、凶悪な巨獣――全身を黒紫色の魔力で禍々しく爛れさせた『剛殻暴竜』の猛攻を食い止めているのは、たった二人だけだった。
「くそっ……なんなんだこいつは! 皮膚が硬すぎる上に、傷を負わせても狂暴化が増していきやがる!」
紫電と赤熱の火炎を握り拳に纏わせ、決死のインファイトを仕掛ける魔法拳士――冬夜。その異形の左腕から放たれる凄まじい衝撃波をもってしても、暴竜を押し切れずにいた。
「お兄ちゃん、無理しないで! あの黒い霧……触れるだけで魔力を削られるわ! 『土壁』!」
背後から猫耳の少女――夏芽が放つ水と土の複合魔法が、襲い来る暴竜の爪をギリギリで防ぎ止める。だが、他の冒険者たちを庇いながらの連戦で二人の疲労は限界に達していた。
「ガアアァァァーッ!!」
暴竜が不気味な赤光を宿した眼で咆哮を上げ、崩れた土壁の隙間から無防備になった夏芽へ向けて巨大な尾を振り抜く。
「夏芽ッ――!?」
冬夜の叫びが響く。間に合わない。
その瞬間――世界からすべての『音』と『気配』が消え去った。
――シュッ。
風を切る音すら存在しない不可視のナイフが、完璧な精度で暴竜の右目を正確に穿つ。
「ガアッ!?」
突如として視界を奪われた暴竜の挙動が大きく崩れた。 そこへ、空間を滑るように現れた影が、夏芽の前に滑り込む。
【透明な拒絶】――解除。
「ふぅ……間一髪でしたね! 助けに来ました!」
何もない空間からすっと姿を現した瑞希が、小剣を構えてふり返る。
「な……誰だお前!? 気配がまったくなかったぞ!?」 「助けて……くれたの……?」
驚愕で目を見張る冬夜と夏芽に対し、瑞希は力強く頷いた。
「自己紹介は後です! 二人は正面から押し込めますか!? 私は死角から急所を狙います!」
「……言われなくても!」
瑞希の圧倒的な隠密技術と突入によって窮地を脱した冬夜は、すぐさま体制を立て直し、左拳に凄まじい雷炎を集中収束させた。
「行くぞ夏芽! おいお前、合わせろッ!」
「了解!」
三人の息の合った連携が炸裂する。 夏芽の土魔法が暴竜の足を止め、冬夜の重厚な魔法打撃がその巨大な身体を内側から吹き飛ばす。そして、敵が体制を崩した隙を逃さず、完全不可視となった瑞希が背後に回り込み、首元の装甲の隙間へ鋭い一撃を叩き込んだ。
「ガ……アァ……ッ!」
巨獣が膝をつき、どさりと崩れ落ちる。あと一息で止めが刺せる――誰もがそう確信した、その時だった。
――ドクンッ!!
暴竜の傷口から、不気味な黒紫色の魔力が爆発的に噴出した。
『……ガ……アアアアアアアッ!!!』
国の中枢の方角から漂う濃密な魔力をさらに取り込み、暴竜の皮膚が破裂するように膨れ上がっていく。その瞳からは理性が完全に消え去り、身体からはこれまでの倍以上の禍々しい気迫が溢れ出した。
更なる暴走と進化を果たした超狂暴化モンスターの咆哮が、ダンジョンの天井を激しく揺らす。
「な……何だこの魔力は!? さっきまでの比じゃないぞ……!」
「お兄ちゃん、気を付けて! 呪いが……変異して増幅してる……!」
絶望的な威圧感を放つ巨獣を前に、瑞希、冬夜、夏芽の三人は息を呑み、構えを固くし直した。
◆
はるか遠方。暗がりの中に佇む、ひとりの女がいた。
細い指先で弄ばれるのは、黒く不気味な魔力を帯びた蜘蛛の糸。
遥か彼方へと解き放った実験体――その魔力の揺らぎを遠隔で感じ取りながら、女は薄暗い影の中で不敵に微笑んでいた。




