シーン8:新たな希望と透明な拒絶
薄暗い森の樹上。岡田瑞希は息を潜め、眼下を這い回る巨大な魔物――大ツノイノシシの様子を伺っていた。
(ふーっ……落ち着け、私……大丈夫)
ぎゅっと小剣の柄を握りしめる。 現世(日本)での瑞希は、クラスでの陰惨ないじめに耐えかね、自ら電車のホームへ飛び込んで命を絶った。だが、冷たい闇の果てに待っていたのは、広大な異世界『ミラージュ・エデン』の辺境樹海国グラニアだった。
もともとゲームが好きだった瑞希にとって、ここはまったく新しい世界だ。辛かった現世での過去を背負いつつも、瑞希は「ここで心機一転、前向きに自分の足で生きていこう」と強く決意していた。
手に伝わる小剣の重み、肌を撫でる風の感覚。この世界に来てから気づいたが、自分の身体能力が現世とは比べものにならないほど上がっており、まるで身体が軽やかに動く。経験を積むほどに実力が底上げされていく感覚も、手応えとして理解できた。
(いける……! 異世界に来てからのこの半年で、私、ちゃんと強くなれてる……!)
魔物が木を揺らした瞬間、瑞希は深く息を吐き、自らの内に眠る力へと意識を集中させた。
固有能力――【透明な拒絶】。
覚醒したばかりの頃は、ただ周囲の目を欺いて身を守るための力だと思っていた。だが半年間の試行錯誤を重ねるうちに、自分の身体だけでなく、手にした武器や足元の領域にまで気配の遮断を広げられることに気づいたのだ。
(閉じこもるための力じゃない……私を守って、前に進むための大切なスキルだ!)
気配も足音も完全に消したまま樹上から無音で飛び降りた瑞希は、魔物の背後へ素早く忍び寄ると、正確に首元へ小剣を突き立てた。
悲鳴すら上げさせず、一撃で魔物を仕留める。 能力を解除して姿を再現させた瑞希は、ふうと胸を撫で下ろした。
「よし! ソロ討伐完了! 一歩ずつだけど、成長できてる……!」
◆
魔物の素材を持ち帰り、拠点にしているグラニアの冒険者ギルド【緑翠の抱擁】へと戻った瑞希。 無事に買取カウンターで報酬を受け取り、併設された酒場の隅で温かいスープを啜っていると、ドサリと隣の席に大きな影が落ちた。
顔なじみのベテラン冒険者・ガルドが、木樽のジョッキを傾けながら気安く声をかけてくる。
「よお、瑞希。今日も無事に生還か? 相変わらずお前さんの『気配を消す力』は見事なもんだな。この街に来てたった半年でランクBまで駆け上がるような新人は、この支部にもそうは居ねえぞ」
「ふふ、ガルド先輩! 先輩たちに教わった解体のコツのおかげですよ。……この力も、武器を隠したり色々応用が利いて助かってます」
「へえ、工夫して使いこなそうとしてるのは良い傾向だ」
ガルドはくっと酒を煽ると、ふと顎でギルドの壁に設置された青く光る魔導具――『魔導通信核』をしゃくってみせた。
「そういや瑞希、ちょっと面白い噂を話してやろうと思ってな。さっきあの通信核経由で本部からの情報共有を聞いたんだが……ここから遠く離れた中央聖導国ルミナスに、ちょっと変わった奴らが現れたらしい」
「中央……ルミナス……?」
「ああ。なんでも『アニマの器』って名のついたパーティを組んでてな。……噂じゃ、『別の世界から来た人間』が所属してるって話だ」
その瞬間、スープを飲む瑞希の手がぴたりと止まった。 『別の世界』――その一言が、瑞希の胸に強烈な衝撃を与える。
「別の……世界……!? ガルド先輩、それって本当ですか!?」
思わず身を乗り出した瑞希に、ガルドは驚きつつも頷いた。
「ああ。あの大都市ルミナスのギルド総本部【天啓の天秤】には、魂の偽りを見抜く神器『誓約の天秤』があるからな。ギルド公式が異邦人(転移者)の存在を掴んでるって噂だ」
瑞希の胸の奥で、カチリと何かが繋がる音がした。
(私と同じ……! 日本からあの死の闇を抜けて、この世界に辿りついた人が……他にもいるんだ……!!)
現世での冷たく暗い記憶。けれど、この世界で前向きに生きると決めたからこそ、同じ境遇を持ち、力強く生きているかもしれない「仲間」の存在が、瑞希の心を激しく突き動かした。
会ってみたい、話してみたいという衝動が溢れ出していく。
「ガルド先輩! 私……中央聖導国ルミナスに行ってみます!」
「おいおい、本気かお前!? ここからルミナスまでは他の国を跨ぐ長旅だぞ」
「大丈夫です! ランクBになれたのも伊達じゃないですし、私にはこの【透明な拒絶】もありますから! それに……先輩たちに教わった生き抜く術もあります!」
瑞希のまっすぐな瞳を見て、ガルドは呆れたように頭を掻いたが、すぐに力強く頭を撫で回して笑った。
「分かったよ。行くならしっかり準備しろ。ルミナスまでの地図とメモを書いてやる。……絶対に無茶して死ぬんじゃねえぞ、瑞希」
「ガルド先輩……! はい! 本当にありがとうございます!」
温かい先輩の激励を胸に、瑞希は満面の笑顔で頷いた。 過去のトラウマを振り払い、希望とまだ見ぬ仲間との出会いを求めて――岡田瑞希は、中央聖導国ルミナスへの新しい旅路へと足を踏み出すのだった。




