シーン2:仕組まれた孤立
キッカケは、本当に些細なことだった。
クラスの女子グループで回していた連絡ノートの返信が、瑞希のところで数日滞ったこと。体育の着替えの際、瑞希がうっかりクラスの中心人物の靴を踏んでしまったこと。
本来なら「ごめんなさい」の一言で済むはずの行き違い。しかし、それが致命的な「いじめ」へと発展するまでに、時間はかからなかった。
「……ねえ、岡田さんってさ。朋美ちゃんの側にいるから大人しそうに見えるけど、本当は人を見下してるよね」
「分かるー。朋美ちゃんに甘えてばっかで、自分じゃ何もしないし」
ヒソヒソと交わされる陰湿な悪意。瑞希の下駄箱には心無い落書きがされ、机の引き出しにはゴミが詰め込まれるようになった。
日を追うごとにいじめは激しさを増していく。教科書がズタズタに切り裂かれ、体育着には冷たい水が浴びせられた。物静かで主張の苦手な瑞希の性格も災いし、言い返すこともできず、事態は歯止めが効かないほど悪化していく。
言葉の暴力とあからさまな排斥に、瑞希の精神はすり減り、息をすることすら苦しくなっていた。
「瑞希……大丈夫? 酷いよ、みんなこんなことするなんて……!」
涙を浮かべて瑞希の肩を抱き寄せ、誰よりも怒り、誰よりも親身になって庇ってくれたのは、幼馴染の朋美だった。
瑞希の机を拭き掃除し、取り巻きの女子たちへ「瑞希にそんなことしないで!」と毅然とした態度で抗議してみせる朋美。瑞希にとって、狂った悪意の世界で温もりをくれる朋美は、まさに唯一の救世主だった。
「ごめんね、朋美……私、朋美にまで迷惑かけちゃって……」
「何言ってるの! 私たちは親友でしょ? 私が絶対に瑞希を守るからね」
涙を流して朋美の腕の中で震える瑞希。朋美がいなければ、自分はとっくに壊れてしまっていただろう。瑞希はただ、必死で朋美の腕にすがりついていた。
◆
「佐伯先輩! こんばんは……あ、岡田先輩も」
放課後。机を拭いていた二人へ、後輩の伊藤南が声をかけてきた。 南は憧れの眼差しを隠そうともせず、輝くような笑顔で朋美に駆け寄ってくる。才色兼備で校内の有名人である朋美は、南にとっても眩しい憧れの先輩だった。
「あら、南ちゃん。部活終わり?」
「はい! 朋美先輩、今日もすごく素敵です。……あの、何か困ったことでもあったんですか?」
南はちらりと瑞希の暗い表情や拭かれている机に目をやり、気遣う素振りを見せるが、その意識の半分は、廊下の向こうから歩いてくる人物に向けられていた。
人気教師の松岡雅紀――南が密かに想いを寄せ、日々その行動を目で追っている人物だった。
「おや、伊藤さんに佐伯さん。それに岡田さんも。まだ残っていたのかい?」
爽やかな笑みを浮かべて足を止める松岡。生徒から絶大な人気を誇る教師の登場に、南は分かりやすく頬を染め、嬉しそうに胸を躍らせる。
「松岡先生! ちょうど佐伯先輩とお話ししていたところなんです」
「そうか。何か困りごとかい? 先生で良ければ、いつでも相談に乗るよ」
どこまでも親身で温かい教師の顔。だが、松岡が瑞希に向ける視線の奥には、誰にも気づかれない冷徹な観察眼が隠されていた。絶望に追い詰められ、壊れかけていく瑞希の表情を、松岡は心の中で密かに楽しんでいたのだ。
「ありがとうございます、先生。でも大丈夫です、私が瑞希を支えますから」
朋美は完璧な笑みでそう答え、瑞希の肩を優しく抱きしめた。
「そうかい。佐伯さんは本当に頼もしいね。……じゃあ、あまり遅くならないうちに気をつけて帰るんだよ」
「はーい! 先生、さようなら!」
去っていく松岡の後ろ姿を、南は名残惜しそうに見つめている。憧れの朋美先輩と、大好きな松岡先生。その二人に挟まれた瑞希の存在は、南の目にはひどく小さく無力に見えていた。
◆
松岡と南が去り、再び教室に二人きりになると、朋美はそっと瑞希の背中を撫でた。
「ね、瑞希。誰も助けてくれなくても、私だけは味方だからね」
「……うん。ありがとう、朋美……」
瑞希は涙を拭い、朋美の手を強く握り返した。
瑞希はまだ何も知らない。 クラスメイトたちに不満の種を吹き込み、瑞希がいじめの標的になるよう巧みに誘導したのが、他ならぬ朋美だということを。
下駄箱の落書きも、教科書の破棄も、すべては朋美が裏で取り巻きたちを不快にさせ、焚きつけた結果だった。
瑞希の居場所を奪い、世界から孤独にさせる。 恐怖に怯える瑞希を唯一救い上げる「聖女」を演じることで、瑞希の心を完全に自分へと依存させるために。
(誰もあなたを助けない。誰もあなたを愛さない。あなたを救えるのは、世界で私だけ……)
俯く瑞希を見下ろす朋美の口元には、瑞希には絶対に見せられない、優悦感に満ちた歪んだ笑みが浮かんでいた。




