幕間2:冷たい指先と、偽りの救済
部屋の明かりを落としたリビング。 テーブルの上に置かれたスマホの画面が、暗がりの中でぼんやりと青い光を放っている。
(……恭くんは、今頃どうしているんだろう)
電話を切ったあと、美憂はソファに浅く腰掛けたまま、自分の両方の手のひらをじっと見つめていた。 肌は温かいはずなのに、指先の感覚だけがどうしても戻らない。あの事故の日からずっと、心の奥底が氷水に浸かっているような冷たさが抜けないのだ。
――すべては、あの時から始まった。
思い出すのは、すべてを奪われたあの日、薄暗い部屋に広がっていた凄惨な光景。 家に帰ってきた私の目の前に転がっていたのは、残酷に命を奪われた家族の肉体と、それを覆う不気味な影。神出鬼没の悪魔
――メフィスト。あいつが無差別に家族の命と魂を奪い去っていく瞬間を、私はただ震えながら見ていることしかできなかった。
絶望と、激しい憎悪に身を焦がしていた私の前に現れたのは、神を名乗る仮面の存在。
『家族の魂を奪ったメフィストに復讐したいか?』
そう言って差し出されたのが、この右手にある【刈り取る者】という力だった。 私たちの住む地球は神達からは原典世界と呼ばれており、それ以外にも鏡像世界という場所が存在すること。この力を使えば、魂をその鏡像世界へ送ることができ、そこで送られた魂は新たな命として救われること。そして、転生した魂が向こうで得る力を、自分も行使できるようになること――。
それを使えば、いずれメフィストに対抗できる。あいつに奪われた家族の魂を取り戻せる。そう吹き込まれ、私はその力を手に入れた。
――けれど、「対象を自らの手で殺害(刈り取る)しなければ発動できない」というあまりに凄惨な性質に恐れをなし、私は一度もその力を使えないまま、ただの一般人として日々を過ごしていたのだ。
あの日までは。
(……夏芽ちゃん)
初めて、そして唯一その力を使ってしまったのは、あの初回のバスツアーでの惨劇だった。 運転手が突然意識を失い、バスは激しく横転。乗客たちが一瞬で即死していく地獄絵図の中、目の前で血に塗れ、かろうじて息のあった少女――夏芽ちゃん。
『死にたくない……助けて……』と今にも途絶えそうな声で救いを求めた彼女を、どうしても死なせたくなくて。私はパニックになりながら、一心不乱にあの力を解放してしまった。
私の手によって、殺害という形を経て鏡像世界へと送られた夏芽ちゃんの魂。 彼女は今頃、向こうの世界で無事に目を覚まし、新しい平和な人生を送れているのだろうか。
(ねえ……夏芽ちゃんは、今、どうしているんだろう……?)
事故は世間的に惨痛な大惨事として処理され、美憂自身もかろうじて生き残った犠牲者の一人として救出された。誰も、彼女が事故の土壇場で何をしたのかを知らない。
(私は……彼女を救えたんだよね……?)
美憂は、自分の腕を強く抱きしめた。
その力が、メフィストが魂を効率よく回収するための実験に過ぎないことも。 エデンに送られた魂が、現地人の身体を奪うという残酷な「ポゼッション(成り代わり)」を引き起こしていることも。 そして
――七人以上の魂を刈り取れば、自分自身の魂すらも刈り取られて命を落とすという隠された代償も。
何も知らない彼女はただ、暗闇の中で家族の面影と、異世界へと送ってしまった少女の無事を祈ることしかできなかった。




