幕間:死神と交錯する回線
某年 7月。
ガタンゴトン……と規則的な重低音を響かせ、列車がホームに滑り込む。
『1番線に、電車が参ります。危険ですから、黄色い線の内側までお下がりください――』
駅の喧騒の中、構内の隅で三人の駅員がひそひそと顔を寄せていた。
「……なぁ、聞いたか?」
「何をだよ」
「昨日のマグロ(人身事故)の話だよ」
「ああ……今年だけでもう5回目だろ。勘弁してくれよ」
「マジで【死神】なんじゃねえのか? あいつが勤務に入る日に限って多すぎるだろ。目撃者の話じゃ、何かに引き寄せられてるなんて噂だぞ」
ひそひそ話を交わす駅員たちの横を、気にする素振りも見せず一人の青年が静かに通り過ぎていく。
「しかし、よく平然と会社に来れるよな。まともな神経してたら胃が潰れて辞めてるだろ……」
青年――神崎恭は、自らの持ち場へ向かうと、作業の手を止めていた先輩へ声をかけた。
「高橋先輩、お疲れ様です。休憩上がりました」
「ああ、お疲れ神崎。……しかしアレだな。お前、今年はもう5回目か。去年よりペース早くないか?」
「ええ、まあ」
「お前本人は割り切ってるつもりかもしれんがな……一昨年に入社して以来、関わったマグロはこれで合計27件だ。NR(Nippon Railways)始まって以来の異常事態だよ。上層部も本気で問題視し始めてる」
高橋は気まずそうに声を落とし、痛ましげに恭を見た。
「不吉な事故が相次いで、裏でついたあだ名が【死神】か……笑えない冗談だな」
「ええ、まあ」
「……涼しい顔して言いやがって。はぁ、まあいい。腐らずに仕事頑張れよ」
「ありがとうございます、先輩」
背を向けた先輩を見送りながら、恭は心の中で苦い溜息をついた。
(気にしてないわけないだろ……こんな不名誉なあだ名をつけられて。けど、俺にはこれしかないんだ。辞めることもできない……)
何度か転職を考え、退職届を書こうとしたこともあった。 だが、そのたびに原因不明の強烈な息苦しさと吐き気に襲われ、身体が拒絶反応を起こす。まるで「鉄道から離れること」を見えない何かが許してくれないかのように。
(何の因果か知らないが、呪われてるのかね……。それに、仕事を辞めたら……美憂との数少ない接点まで消えちゃうしな)
車掌業務に従事して約三年。 この時の恭はまだ知る由もなかった。己の身に降りかかっているこの異常な現象が、やがて異世界の命運をも巻き込む大事件へと発展していくことを。
◆
翌月
「ふぅ。今日の業務、無事終了!」
夏の強い風が吹き抜ける週末。恭は額の汗をぬぐいながら、弾む足取りで家路を急いでいた。 細身でスラリとした体躯に、整った眉目。嬉しそうな表情を浮かべる彼こそが、この数奇な運命の中心にいる男―
―神崎恭だ。
(さっさと家に帰って、愛しの美憂さんに連絡しないと!)
スマホを取り出し、耳にあてる。呼出音の代わりに流れてくるのは、アルカンシェルというバンドの楽曲。彼女が大好きなバンドの曲だ。静かなAメロから荒々しいサビへと変貌するギャップが耳に残る。
『もしもし、お疲れ様。恭くん』
「もしもし、美憂さん! ビデオ通話に切り替えるよ」
『OK』
画面が切り替わり、画面の向こうに恋人の顔が映し出された。
『どうしたの? なんだかご機嫌じゃない』
「ふふん。今週は一週間、無事にマグロ無しで乗り切りました!」
『……あー。なるほどね。改まって言うのもなんだけどさ、恭くん。一般的にはそれが普通なんだよ?』
「そうなんだよなぁ! 何なんだろうな、一体! 神様、俺が一体何をしたっていうんですかぁーっ!」
『……気が済んだ?』
「おや? 美憂さんのヘイトが少し高い気がしますが……」
『どっかの彼氏が、ダル絡みしてくるからでしょ』
クスクスと笑う美憂。互いに交通機関関係の多忙な仕事に就いているため、会えるのは月に二、三度。付き合って一年半になるが、この距離感が二人には心地よかった。
「で……そっちは最近どうなの?」
『うん……実はね、ついに研修期間が終わったの!』
「おお! じゃあ、いよいよデビューか!?」
『うん。来週末のツアーで、初めて一人でバスガイド(添乗員)としてマイクを握ることになったよ』
画面の向こうで、美憂はどこか誇らしげで、けれどどこか眩しい笑顔を浮かべる。
『事故に遭われた先輩の代わりだから、複雑な気持ちもあるんだけど……引き継いだ以上は絶対に成功させたいの。ツアーのお客さんたちを、私がちゃんと目的地まで笑顔で案内して見せるから』
「すごいじゃん、美憂! 尊敬するよ。不謹慎かもだけど、俺なんて間接的に何人の人生に関わっちまってるか分かんないのにさ……」
『うん……ありがとう、恭くん。だから恭くんも、そんなに自分を責めないでね』
「美憂……――ザッ、ザザッ」
突如、スマホの画面が激しく乱れた。
『え? なに? 電波障害? 恭くーん、もしもーし!』
「あれ、美憂? 美憂さん?」
画面がフリーズし、スピーカーから不気味なノイズが響く。外を吹き荒れていた強風が、ピタリと止んだ。
『も・ザッ……も……し……聞こ……お……か』
『あー、あー。お? やっと繋がったようじゃのう』
響いたのは、美憂のものではない、重厚で妙に古風な第三者の声だった。
「え……? どちら様ですか?」
『よくぞ聞いた。我は、神なり。崇めよ。讃えよ!敬え!そして・・・契約してくれ!』
「は? 新手の宗教勧誘か何かですか?」
『断じて違うわ! 貴殿は【死神】神崎であろう?』
「!? なんで俺の名前を……! あと死神じゃないです! 断じて!」
『そうなのか。まあよい、ようやく回線が繋がったのじゃ。改めて、我はベルゼという。』
恭は困惑しながら画面を凝視した。
「ベルゼさんか何か知らないですけど、美憂はどこ行ったんですか?」
『貴殿らの通話に割り込ませてもらった。なに、美憂とやらには聞こえておらん。我は貴殿に相談があってな。神界からのありがたい神託というものじゃ』
(オイオイオイぃ?な、なんなんだコイツ……急にイタいこと言い出して。埒があかないな。こうなったら、ヤケクソで合わせてさっさと終わらすか....)
「そ、そうなんですねー?で、その神様が【死神】と恐れられる俺に何の御用で?」
『ほう、存外冷静じゃな。良かろう。我は元々、神の国の空挺部隊……天使たちを束ねる長であったが、現在は訳あって【天獄】という場所におる。そこにあった古代の装置を使ってコンタクトをとっているのじゃ。』
恭は引きつった笑いを浮かべた。
「な、なるほどぉ。それで、その元部隊長様が俺なんかに何かご用件が?」
『単刀直入に言う。我を助けてくれ』
「なるほどなるほど。――だが断る!」
『は? え?? そこは了承してくれる流れじゃろ!? 断られた!? なぜ!?』
「やってられるか! イニシアチブ取ったと思って調子乗りやがって! 誰がそんな怪しい話に乗るか!」
『ぬぬ……! 今すぐ断罪してやりたいが……今は無理じゃ。……聞け、お前にとっても悪い取引ではない』
ベルゼの声から戯れが消え、急に静かな圧力が混ざり始める。
『君は【死神】と呼ばれること以上に、自分が「死」という概念に関わってしまうことに苦しんでいるな? そして……ある種の強制力によって、自分の意思で仕事を辞められず、その呪いから逃げられないと諦めている』
「……なんで、それを」
『君のそれは特異体質の一種だが、ある能力が発現しかかっている兆候なのだ。……それが
【魂の呪縛】じゃよ』
「魂の呪縛……?」
聞き覚えのない単語なのに、何故か恭の背筋が冷たくなる。
『言ってみれば、君の魂に刻まれた因果。宿命というものなんじゃが、今は詳しい話は後じゃ。取引をしよう。君に正式なスキルを授ける。スキルの名は……【死神】』
「名前までそれかよ!」
『勘違いするな。物騒な名前じゃが簡単な話このスキルは、人の魂と肉体を別の世界に転移させる能力じゃ』
「……は?」
『発動条件は、君が電車に乗っており、そこで人身事故が発生すること。……つまり、今後君が人身事故に遭遇しても、人は死なん。別の世界へ飛ぶだけじゃ。だから、安心して事故を起こして構わん!』
「……マジで言ってるのか? これからは、人身事故が起きても誰も死なないってことか?」
『うむ』
「俺の精神的なストレスが無くなるってことか?」
『うむ』
「【死神】って呼ばれなくなるのか?」
『それは無理じゃろ。死体が消えるから、今度は“神隠し”と騒がれるかもしれんな』
「ノーー!!」
頭を抱える恭だったが、胸の奥で何かがスッと軽くなるのを感じていた。誰も死なない。それだけで、救われる思いだった。
「……分かった。だが、一つだけ聞かせてくれ。その能力を俺に与えて、ベルゼさんに何のメリットがあるんだ?」
『メリットか?端的に言えば、我がこの地から出られる可能性がある。お互いwin-winじゃろ?』
「そうなのか。じゃあその話、乗った」
『案外軽いノリじゃが・・・。決まりじゃな。では、スキルを安定させるぞ』
スマホの画面から、じんわりと生暖かい謎のエネルギーが恭の手のひらへと流れ込んでくる。
『よし、完了じゃ。これでストレスフリーじゃな』
「……急に言い方が軽いな」
『ではの、神崎恭。【死神】に魅入られし者よ――』
ザザッ……とノイズが走り、画面が元の通話画面へと戻る。
『――もしもーし! 恭くーん?』
「ん・・・?うわっ!? あ、美憂!?」
『もう、急にノイズが入って1分くらい途切れてたよ? ぼーっとして、熱でもあるの?』
「あ、いや……なんでもない。ちょっと酔ったかな」
スマホの画面を見つめながら、恭は胸の動悸を抑えつつ、何気ない風を装って尋ねた。
「なあ、美憂。唐突だけど……神様って、信じるか?」
『え? なに急に。……私は、もちろん信じてるよ』
「そっか。……え、信じてるの?」
『うん。だって……ううん、なんでもない。でも、きっと神様はいるよ』
美憂のどこか遠くを見るような瞳で窓の外を見上げ、微かな微笑み。 それが何を意味しているのか、当時の恭には知る由もなかった。
やがて他愛のない会話を交わすうちに、恭は深い眠りへと落ちていった。




