09 社畜、宿屋に泊まる
「装備も整えたし、後は明日に備えて休むだけだな」
「女神を野宿させるつもりではないでしょうね?」
「…………もちろんだ」
テラーラはマスコット形態に戻るつもりはないらしい。
それとも、戻れない事情でもあるのだろうか。おいおい確認しておくべきだろう。
装備品を買う過程で見つけていた宿屋に泊まることにした。
大通りに面した立派な宿屋である。
ラウンジを通り、カウンターでチェックインした。
止まる部屋は一番安いツインルームだ。
鍵を預かり、階段で2階に上がる。
鍵に刻印された番号の部屋に入った。
「ふぅむ……まあ及第点ですかね」
テラーラがしぶしぶといった具合で呟いた。
部屋は広くはないが、清潔だ。
2つのベッドにかけられたシーツは真っ白で清掃が行き届いている。床の上にも埃が溜まっていることもない。
部屋にバスルームやドリンクサービスの類はまったく無いが、もともと期待していなかった。
「ああ……ネットカフェに寝泊まりしていた頃を思えば、天国だ」
「そうですか」
「設備的には良環境のはずなんだが……やっぱり空気が悪いのかな。まったく疲れが取れないんだよな。長期間寝泊まりしているであろう人もいたが……なんというか精神的な汚れがこびりついているような雰囲気でな……」
「もういいです」
「やっぱり壁が薄いのが、1番辛かったな。最悪なのは、隣の奴が深夜で、ゴソゴソシコシ――」
「いいっていってるでしょうが!」
テラーラはツトムの発言を遮り、ぷんすか怒気を発しながら、ベッドの上に転がった。
「うーん……ちょっと固いですね……今後はもっと良い部屋に泊まりたいです」
「善処します」
ツトムは社畜時代に培った、礼儀正しいが白々しい返事をした。
「これから、どうするんです? もう寝ます?」
「僕はこれを読む」
ツトムは宙に手を掲げた。
すると、手の上に白い光が灯り、それが消えると同時に、分厚い本が出現していた。
「ああ……『神の就業規則集』ですか。すっかり忘れていました」
「忘れないでくれ。僕がこの世界で生き残れるかどうかはこれにかかっているんだから」
「なら、もっと役に立ちそうなスキルを選べばよかったでしょ」
「でも……でも……憧れだったんだ……充実した福利厚生が……」
「わかりました。わかりましたって……そんな砂漠の真ん中でオアシスを見つけた旅人みたいな顔をしないでください」
テラーラが立ち上がった。
「わたくしはお風呂に行ってきます。昼間に見つけたんですよね、お風呂というより、サウナっぽかったんですけど……ツトムさんも行きます?」
「いや、遠慮しとく……最近風呂に入る気力がなくて……」
「風呂キャンセル界隈の住人だったんですか? こんな世界だし、多少は我慢しますが、臭うようになったら、許しませんからね」
ツトムは手を振って、テラーラに了解の意を伝えた。
テラーラは何か言いたげだったが、何も言わず部屋を出ていった。
ツトムは一人になり、『神の就業規則集』を開く。
「ふむふむ……日本企業の就業規則にそっくりだな……僕の要望を聞き入れてくれた、ということだろうか……しかし、こういう文章ってどうして頭に入ってこないんだろうなぁ……」
何か一つでもクエストに役立つ力があれば良いのだが。
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「……………………んあ……」
ツトムは瞼を貫通する陽光によって、目を覚ました。
いつの間にかに眠っていたらしい。
薄いカーテンがかけられていたが、強い朝日が部屋の中を照らしていた。
昨日、夕方から『神の就業規則集』を呼んでいたのだが、ベッドの上で寝っ転がりながら読んだのが悪かったのだ。
夕食も食べず、寝入ってしまった。
「…………何時間寝ちゃったんだ……?」
朝日の強さから察するに、早朝ではあるまい。
今が朝8時、昨晩この部屋に入った時間を夕方6時と仮定すると、14時間も眠り続けたことになる。
(14時間⁉)
ツトムは自分の計算に驚愕した。
日本で過労死する前は、5時間寝ることすら贅沢だと考えていたのだ。
それが14時間とは。
ツトムはそこで初めて自分が異世界に来た実感を得た。
体が軽い。
これは気のせいではなかった。
昨日――いや、一昨日も5時間以上寝たはずだが、深酒をした上、野宿だった。
睡眠時間が長くとも、まったく疲れが取れていなかったらしい。
ツトムは長年それが常態であったのだ。
「うーん……!」
ツトムは明一杯伸びをした。
「素晴らしい!」
(これこそ人間らしい目覚めだ! 長いこと忘れていたな)
軽く腹の虫が鳴いた。
昨晩夕食を食べ損ねたのだから、当然だ。
しかし、不思議と苦痛ではなかった。
心地よい空腹感だ。
これから食べる朝食が格別のものとなる期待が湧いてきた。
「あれ?」
ツトムは体の一部に、違和感を覚えた。
足の付け根――股間である。
ズボンを内側から押し上げる、固い器官。
健康な男性である証拠の生理現象。
「おお……!」
ツトムは感動して、自分のムスコを眺めた。
「……ん……」
ふと、小さい吐息が聞こえた。
隣のベッドでテラーラが寝ていた。
どうやら、昨晩ツトムが寝落ちした後、起こさず就寝したらしい。
「え?」
ツトムの全身が固まる。
テラーラはツトムとは違い、しっかりと寝間着に着替えていた。
シルクのネグリジェである。
(僕は何を考えていたんだ⁉)
ツトムの額を大粒の脂汗が滴り落ちる。
(なんで、出会って数日の女性と同じ部屋に泊まってる⁉)
しかも、ただの女性ではない。絶世の美女である。
テラーラはまだ起きる気配がない。
ネグリジェは恐ろしく薄手で、テラーラの体のラインが丸わかりだ。
ツトムの股間のモノが、どくんどくんと脈動する。
テラーラの肌は陶磁器のように白く滑らかだ。
ネグリジェは袖部分がなく、細い肩紐で引っ掛けられているだけである。
テラーラの華奢な肩がよく見えた。
テラーラの肌は生まれたての赤子なみの美しさだ。
その肌の下に、女性らしい丸みが見て取れる。
「…………う~ん………」
テラーラが寝返りを打った。
横向きでツトムに背を向けた状態から、仰向けになった。
その瞬間、部屋の中をかぐわしい芳香が満たされた。
「うあ……」
ツトムはくらくらと眩暈を覚えた。
テラーラの肢体は、痩せているのに女性的な膨らみは豊か、という奇跡のスタイルだった。
華奢で薄い胸板から、豊満な双丘が天に向かって半球を形どっている。腰回りはすっきりとくびれているのに、痩せぎすな印象を受けない。丈の短いネグリジェから、シルクの白さに負けないくらいの白い美脚が伸びていた。その脚は太すぎず、細すぎず、健康的な太さである。
そして、なにより圧巻なのが、両脚の付け根から屹立する股間の――
「は⁉」
ツトムは一瞬で、眩暈から立ち直った。
頭の中を疑問符が入り乱れる。
ツトムは深呼吸をして、ゆっくりと視線を戻す。
間違いない。
テラーラの股間から、ツトムのそれを上回る膨らみがある。
「んん~~! もう朝ですか……?」
ツトムが騒いだせいか、テラーラが目を覚ました。
伸びをしながら、上体を起こす。
その動作も優雅で、目を引く。
しかし、ツトムの視線は股間に釘付けだった。
「おまっ……そ、そそれ……わ……?」
「へ?」
ツトムが震える指で指す方向を、テラーラが開き切っていない目で見た。
ゆっくりと、自分の股間とツトムの股間を見比べる。
「戦闘力…たったの5か…ゴミめ…」
「誰が、戦闘力たったの5だ!」
ツトムは赤面しながら、反論した。
「ていうか、そんなことより……え? あんた、男? だったの?」
「ええ……まあ」
「豊穣の女神って名乗ってなかったっけ⁉」
「嘘じゃありませんよ。男でもあり、女でもありますから」
「ど、どういうこと⁉」
「両性具有ってやつです」
「両性具有⁉」
「はい。そんなに驚かなくても……神の世界では珍しくもありませんよ……ていうか、純度100%の女だったら、同じ部屋に泊まるわけないでしょう」
「………………………」
長い長い沈黙の後、ツトムは力の限り叫んだ。
「僕の人生、こんなことばっかりだッ!」
「はあ?」
テラーラは意味が分からない様子だったが、放置した。
ツトムは素早くベッドから降りる。
股間の膨らみは、とっくに治まっていた。
「急いで支度しろ、テラーラ! クエストに遅刻してしまう!」
「はい、わかりま――あれ? さん付けじゃなくなりましたか?」




