16 社畜、ホブゴブリンと戦う
ゴブリンの巣の攻略は順調だった。
ゴブリンは本当に知能が低いらしく、ツトムとテラーラの前進を止める、有効な手段を講じることができなかった。
なんの策もなく、各々雑多な得物を振りかざし、襲ってくる。ツトムに攻撃を加える前に、目が眩み行動不能に陥っていた。
ツトムはそんな彼らに無慈悲な一撃を繰り返した。
「……全然冒険って感じがしないな……むしろベルトコンベアーの脇で作業している日雇い労働者の気分だ」
「……順調なのはいいことですよ。『核』も溜まったでしょう?」
ツトムは『核』を入れた布袋を見せた。
ゴブリンの『核』で、いっぱいになっている。
「それだけあれば、正規の報酬の半分くらいにはなりそうですね」
「それは、よかった。ゴブリンどもも少なくなってきたし、そろそろ終わりかな。もう少し骨があると思ったんだが……もっと血沸き肉躍る戦いがしたかったぜ!」
「今さら冒険者っぽいセリフを吐いても遅いですよ」
凸凹した地面に辟易しながら歩いていると、少し広い空間に出た。
入ってきた横穴以外に、出口は見当たらない。
「……最深部か……」
「ツトムさん、危ない!」
「え?」
聞き返す間もなく、視界が緑色に染まる。
ごちゃっ!
不快な衝突音と皮膚に感じた風圧で、緑色の何かが目の前を高速で飛んでいったことを理解する。
衝突音の方向を見ると、1匹のゴブリンが壁に突き刺さっていた。
頭も手足もぐちゃぐちゃになっており、絶命している。
背中に嫌な汗が噴き出てくる。
心臓が急速に脈動し、呼吸が浅く早くなった。
タナカツトム、10数年ぶりに命の危険を感じていた。
最深部の入り口と対面にそれはいた。
一見、ゴブリンだった。
だが、倒してきたゴブリンたちとは明らかに異なる。
身長がツトムより拳1つ分高い。体型もがっしりしている。ゴブリンらしい醜悪な体型ではあるが、手足が太く、貧相な印象はまったくなかった。
その巨大なゴブリンは、両手で普通のゴブリンの頭を鷲掴みしていた。
鷲掴みにされているゴブリンは、痛みと恐怖で暴れているがまったく逃れられる様子はない。
壁に激突したゴブリンは、あの巨大なゴブリンがツトムを狙って、投擲したのだ。
「ホブゴブリン……!」
「ほぶ……?」
「ゴブリンの上位種です! こんな人里近くに出るなんて……!」
テラーラが緊張した様子で叫ぶ。
「ホブゴブリンがいる巣の攻略は、本来Cランククエストですよっ!」
「マ、マジか……」
ツトムは怯んだ。
もともとツトムは無謀な挑戦をするタイプではない。むしろ、石橋を叩いて渡るタイプなのだ。
いきなりCランククエストなどするつもりはない。
「逃げるぞ!」
「即決⁉」
「当たり前だ! Eランクの報酬しかもらえないのに、Cランクなんてやってられるか!」
「でも、あいつブチ切れてますよ! ここで、逃げたらあいつ絶対村に報復しに来ますよ!」
テラーラの言う通り、ホブゴブリンはただでさえ醜悪な顔面を怒りで歪ませていた。とても、逃げたいなら逃がしてやる、といった心情ではないのが、伝わってくる。
ホブゴブリンが右手を振りかぶった。
右手で頭を握られているゴブリンが頭上高く持ち上げられて、悲鳴を上げる。
ホブゴブリンは意に介さず、投擲した。
「伏せろ!」
テラーラに叫びつつ、ツトムも伏せる。
ゴブリンがツトムの頭上を通り過ぎ、壁に激突死した。
「くっ……!」
ホブゴブリンは再びゴブリンを振りかぶった。
2度投擲されて気づいた。ホブゴブリンのコントロールは良くない。
(このまま伏せていれば、高確率で外れる!)
3度目の投擲。
ツトムの予想通り、ゴブリンはツトムの手前2メートルほどの地面に激突した。
「グアアアアアアアア!」
ほっと息をする間もなく、ホブゴブリンが咆哮した。
ホブゴブリンが走ってくる。
ツトムの後光で目が眩まないように、左手で顔を覆っていた。
「っ!」
ツトムは慌てて、地面を這った。
かろうじて、ホブゴブリンのタックルを躱す。
ホブゴブリンは勢い余って壁に激突した。
ドゴォ!
ゴブリンの衝突音とは比べ物にならないくらい、重く、派手な音が鳴った。天井からパラパラと小石が落ちてくる。
ツトムとテラーラは素早く起き上がり、ホブゴブリンと距離を取った。
「まずいぞ……あいつ、頭がいい!」
「上位種ですからね……」
ツトムの後光で目が眩むことを察し、遠距離から攻撃。遠距離攻撃が不発に終わると、3度目の投擲は当てることよりも、ツトムを地面に伏せ続けさせることを優先。投擲直後に、みずから突進。目が眩まないように、工夫しながら。
普通のゴブリンではあり得ない。単純ではあるが戦略的に行動していた。
「まずいぞ……」
敵には知性がある。人間ほどの知性があるかは未知数だが、おそらく殴り合いに必要な知性は十分持ち合わせていると思われる。
となると、体力差が勝敗を分けるだろう。
あらためて、ホブゴブリンの体格を推し量る。
身長は180センチメートルほど、腹部はだらしなく膨らんでいるが、全体的には筋骨隆々。体重は100キログラム近くありそうだった。
ツトムは身長173センチメートル、体重64キログラムである。
まず間違いなく、殴り合いでは勝てない。
「ど、どうしよう……これは困った」
なにより、まずいのが、位置関係だった。
先ほどのタックルを躱したせいで、位置が入れ替わってしまったのだ。今、ホブゴブリンは唯一の出入り口を背にしている。
この洞窟を逃げ出すには、ホブゴブリンの脇をすり抜けねばならないのだ。
「やばいぞ、これは! テラーラ、なんとかならないか⁉」
「なんともなりませんねぇ……」
「女神さまだろ⁉ なんか、強力な魔法とかはないのか⁉」
「誰かさんに、神通力カットされてなければ使えたんですが……」
「うぐっ!」
痛い所を突かれ、ツトムは怯む。
「なんか、余裕じゃないか⁉ ピンチだぞ!」
「わたくしは、天界に逃れるという手がありますから」
「何⁉ それは僕も同行できるのか⁉」
「無理に決まっているでしょう。人間ごときが」
「薄情者!」
「自業自得でしょうに」
「くっ!」
テラーラは頼りにならない。
「くそっ! あとちょっとで攻略完了だったのに! 僕の人生いつもこうだ! 社畜時代も今日は定時で上がれるかもって思った瞬間、どぎつい仕事が舞い込んでくる――あ、そうだ!」
ツトムはあることに気づいた。
『神の就業規則集』を出現させる。
「労働規則……労働規則! あった! やっぱりだ!」
ホブゴブリンが走ってくる。
ツトムは恥も外聞もなく逃げ回る。
後光のおかげでホブゴブリンはツトムを直視できない。
そのため、追跡速度は上がらないし、狙いも不正確だ。
ツトムは右へ左へ躱しながら、『神の就業規則集』を読む。
「労働条件規則! 第40条割増神通力! 第1項法定労働時間を超えて労働させた場合には、2割5分以上の割増率で計算した割増神通力を払わなければならない!」
ツトムは昨日正午から勤務を開始した。現在午前9時。テラーラと交代で仮眠休憩を取った時間の合計が10時間。差し引き11時間である。法律で定められた1日8時間を大幅に超過していた。
ツトムが無理をして本来の勤務時間ではない朝に襲撃したことが、功を奏した。
ツトムの体が後光とは異なる光に包まれる。
うっすらと体に纏わりつき、温かな光である。
ツトムの体から活力が湧いてきた。
ホブゴブリンが警戒して足を止める。
「ふむ……魔力を有していない分、神通力が身体能力に上乗せされたらしいな……」
「体格的にはほぼ互角ですね……」
テラーラが固唾を飲んで見守る。
「グオァアアアア!」
ホブゴブリンが吠えた。
「うおおおおおお!」
ツトムも応え、『片手剣【鉈】』を振りかぶって、走り出した。
(奴は左手で目を覆っている! ならば、当然攻めるのは左半身!)
ツトムは真正面から飛び掛かると見せかけて、大きく右にステップした。
後光を左手で遮っているホブゴブリンは反応が遅れた。
「シィ!」
短い気合と共に、横なぎの一閃を放つ。
鋭い剣筋だ。腕力が1.25倍に強化されているため、素人離れした斬撃を繰り出せる。
剣先がホブゴブリンの緑色の皮膚を切り裂く。
「グアッ!」
傷口から青い血が流れるが、致命傷ではない。
(踏み込みが浅かった!)
腕力が強化されていようとも、精神が素人のままなのだ。
経験不足で好機を浪費してしまった。
(もっと……もっと近づかなければ!)
ツトムが踏み込むより早くホブゴブリンが襲い掛かってきた。
丸太のような腕を振り回す。
後光で目が眩まないように目を細めているため、狙いは不正確だが、それを補う連続攻撃だった。
(躱しきれない!)
ホブゴブリンの右フックが、ツトムの側頭部に当たる。
「ぐっ!」
首をすくめて直撃は避けたが、大きな衝撃で身が揺らぐ。
意識が朦朧とし、吐き気がした。
しかし――
(25連勤中ほどではない!)
ツトムはすぐさま体勢を立て直し、逆に体勢が崩れているホブゴブリンに『片手剣【鉈】』を振り下ろす。
ごすっ!
「ギィィィィ!」
『片手剣【鉈】』は防御したホブゴブリンの左腕にざくっと刺さった。
ツトムは間髪入れず畳みかけようとしたができなかった。
(剣が抜けない⁉)
『片手剣【鉈】』の刃が、腕の筋肉に挟まれていた。
「ぐぅっ!」
ツトムは渾身の力で『片手剣【鉈】』を引っ張る。
「ギヒィィ!」
ホブゴブリンは痛みで悲鳴を上げつつも、腕の筋肉を緩めなかった。そのまま、腕を引っ張る。
ツトムは剣を手放しそうになり、両手で柄を握りしめる。
その隙を突かれた。
ホブゴブリンが右こぶしを大きく振りかぶり、ツトムの顔面を殴りつけた。
「がっ!」
生まれて初めて顔面を殴られたツトムは大きくのけぞった。『片手剣【鉈】』も手放してしまう。
人生最悪の瞬間だ。
品行方正に生きてきたツトムは、殴り合いの喧嘩などしたことがない。
だが、不思議と充実感があった。
「うるぁぁあ!」
鼻から垂れる血を無視して、ホブゴブリンを殴り返した。
ぼぎっ!
ホブゴブリンの長い鼻が鈍い音を立てて折れる。
「ギャアアア!」
ホブゴブリンも悲鳴か気合か判別不能の声を上げつつ、殴り返してくる。
ツトムにディフェンス技術はない。
何度も何度も緑色の拳に打たれる。
使ったことのない拳を、同じ数だけ異形の人型に叩きつけた。
ぼごっ! ごすっ! めきっ!
洞窟内に、殴り合いの音が響く。
「はあっ……はあっ……!」
ツトムには周囲の音が遠くから聞こえた。
自分の息遣いと心臓の鼓動音がやけに大きく聞こえた。
殴られた箇所はじんじん痛むし、急激な運動で胸も痛い。
(なのに……この高揚感はなんだ――?)
殴られ腫れていく顔に笑みが浮かんでくる。
渾身の右ストレートがホブゴブリンの顔面に直撃した。
ホブゴブリンが崩れ落ちる――
「グオオオオ!」
――かに思われたが、崩れ落ちる体勢を利用したタックルを繰り出してきた。
「っ!」
ツトムは躱せなかった。
腰に抱きつかれる。
ツトムはこらえきれず、仰向けに倒れてしまった。
固い地面に後頭部と背中を強打し、息が詰まる。
その隙に、ホブゴブリンがのしかかってきた。
マウントポジション。
格闘技において、圧倒的不利とされる状態になってしまった。
(ま、まずいぞ……!)
格闘技に疎いツトムでも、自身が危機に陥ったことは分かった。
「ゲッゲッゲッゲ……!」
ホブゴブリンは勝ち誇り、不気味な笑い声を上げる。
ホブゴブリンはツトムの腹の上に腰を下ろし、両膝でがっちり挟みこんでいる。
脱出は困難だ。
この状態では、ツトムの拳はホブゴブリンの上半身に届かないが、逆は届く。しかも、向こうは体重を大きく乗せることができるのだ。
(ど、どうすれば……?)
その答えが見つかる前に、ホブゴブリンの攻撃が始まった。
重い両拳が顔面に向けて、振ってくる。
「くうぅ!」
ツトムは両腕でガードする。
ホブゴブリンはお構いなしに、拳を振り下ろした。
両腕が痛みで軋むし、衝撃のすべてを防いでいるわけではない。
このままでは、ジリ貧だった。
両腕が痺れてくる。
「しまっ――!」
両腕の隙間に、ホブゴブリンの拳が滑り込んできた。
顔面を打たれる。
がっ!
視界が歪んだ。
(痛みが――ない?)
耳鳴りがする。
何もかもが遠い世界の出来事に感じた。
(これが脳震盪ってやつか……)
感覚が消えていくなか、頭の一部は働くらしい。
自分の状況を客観的に見ている気になっていた。
(耳鳴りを超えて、かすかに聞こえる甲高い音は、テラーラの悲鳴か……)
薄情に見えたが、流石に殺されそうになっているところを見るのは、心が痛んだらしい。
(ああ……でもダメだ。なんだか、昔のことを思い出してきた。走馬灯だぁ……)
勉強ばかりの無味乾燥な子供時代。プレッシャーで吐きそうな受験シーズン。特に何もしなかった大学生活……様々な思い出が脳裏を明滅する。
そのどれもが、役に立たない記憶だった。
(ん?)
不思議な思い出がよみがえった。
後輩の田代君だ。
大仏顔で肥満体の後輩。不幸にもブラックな弊社に入社してきてしまった人畜無害な青年。
何をするにも、スローモーションでよく上司に叱られていた。
(いつの間にかいなくなってたな……なんでだっけ……? ああそうだ、駅の階段で転んだんだ。取引先に向かう途中で、上司に急かされて階段で膝の皿を割っちゃったんだ。それなのに、痛がる田代君を無理矢理立たせて引きずったんだ。それで悪化しちゃって……田代君の両親が会社に怒鳴り込んできたんだっけ……あの後訴訟問題に発展したらしいな……箝口令が敷かれたから、その後は知らないが……)
いつの間にかに、田代君と訴えられた上司は、会社から籍が消えていた。
(なんで、僕はこんなことを――)
歪む視界にちらりと緑色が見えた。
ホブゴブリンの膝だった。
「――!」
ツトムは意識を取り戻した。
同時に、体中を激痛が走る。
しかし、それらを無視してツトムは地面に手を伸ばす。
その間も、拳が雨あられと降り注ぐが耐える。
ツトムの手が、地面の突起に触れた。
1.25倍に強化された握力で、突起を掴み、地面から引きはがす。
手に入れたのは、硬式野球ボール並みの石だった。
その石を、ホブゴブリンの右膝に叩きつけた。
「ギャァァ!」
思わぬ反撃に、ホブゴブリンが悲鳴を上げる。
がすっ! がすっ! ごすっ!
何度も、石を膝頭に叩きつけた。
ばきっ!
やがて、何かが割れる音がした。
「ギイィィィヤアアアア!」
ホブゴブリンが絶叫し、大きく右へ身を揺らがせた。
「くおっ!」
それに合わせて、ツトムも体を右へ捻りつつ起き上がる。
ツトムは立ち上がり、ホブゴブリンが仰向けに倒れる。
次の瞬間、ホブゴブリンの左腕に突き刺さったままの『片手剣【鉈】』がツトムの目に映った。
左腕を踏みつけ、『片手剣【鉈】』の柄を両手で握る。
「うらぁあああああ!」
脚力、背筋力、腕力を総動員して、『片手剣【鉈】』を引き抜く。
ずぽっ!
『片手剣【鉈】』が抜けた。
抜けた勢いで、頭上に大きく振り上げられた『片手剣【鉈】』を思い切り振り下ろす。
ホブゴブリンの頭蓋骨目がけて。
ぐちゃっ!
『片手剣【鉈】』がホブゴブリンの脳天に突き刺さった。
「うおおおおおおおおおお!」
ぐちゃっ! ごちゃっ! めこっ! がこっ!
何度も何度もホブゴブリンの頭に、刃を振り下ろす。
「はあっ……はあっ……!」
ツトムはホブゴブリンの悲鳴が聞こえないことに気づいて、ようやく手を止めた。
ホブゴブリンはすでに粒子に還元され、大きめの『核』だけが、地面に転がっていた。
「勝った……? 勝ったぞおおおおお!」
ツトムの勝利の雄たけびが洞窟内に轟いた。
全身は痛む。
それでも、ツトムの全身に、筆舌に尽くしがたい達成感が満ちていた。
「これが、冒険……! これが勝利……! こんないいものだったなんてっ……! 見ていたか、テラーラ⁉ 僕はもう社畜じゃない! 冒険者だ! そうだろう!」
「…………いいえ、殺人鬼にしか見えませんでした」
高揚するツトムに、テラーラの冷ややかな声が浴びせられた。




