第九十八話 向こう側の鍵
『敵性存在を記録』
『最優先排除対象――ゼラス=ヴェルゼイア』
巨大な環に刻まれた文字を見上げ、ゼラスは腕を組んだ。
「排除対象にするのは勝手だが、まずは向こうの装置を止める」
リズナが父へ呼びかける。
「父さん。封鎖されていた制御室の中は見える?」
雑音の向こうから、荒い息遣いが返ってきた。
『今、扉を開けた。中央に黒い核がある。周囲に四つの環と……人の形をしたものが一体だ』
「管理体かもしれないわ」
リズナは聞いた内容をガリオール語で伝える。
ゼラスが管理体へ視線を向けた。
「そちら側にも、お前と同じものがいるらしい」
『同型の管理体である可能性があります』
「止める方法は?」
『管理体自身が命令を拒否するか、命令核との接続を遮断する必要があります』
「簡単に言うな」
『あなたは先ほど実行しました』
「距離が違う」
ゼラスは環の内部を流れる魔力へ意識を集中させた。
アスタリア側から送り込まれてくる力は強い。
だが、流れは一つではなかった。
リズナを引き寄せようとする命令。
父たちが維持している通信。
そして、それらの奥に隠された細い管理経路。
「見つけた」
「何を?」
「向こうの命令核につながる道だ。ただし、俺の魔力を直接通せば遮断される」
「じゃあ、どうするの?」
ゼラスはリズナを見る。
「お前の風を借りる」
リズナが目を瞬いた。
「あたしの?」
「ああ。向こうの装置は、お前の魔力を受け入れようとしてる。なら、その中に俺の術式を隠す」
「また随分と危ないことを考えるわね」
「できるか?」
リズナは環を見上げた。
故郷側の装置は、自分を“風の器”として回収しようとしている。
その認識を逆に利用する。
「やるわ」
返事に迷いはなかった。
「何をすればいい?」
「風を環へ流せ。ただし、引かれるまま渡すな。俺が形を整える」
「分かった」
リュミエラが二人の間へ流れる魔力を確認する。
「私はこちら側の制御核を押さえるわ。流量が急に上がったら、すぐに切るから」
「お願いします、リュミエラさん」
『私は、道を見る』
ミテイが床へ触れる。
灰色の枝が、巨大な環の基部へ伸びていった。
『ゼラスの術式が外れそうになったら、戻す』
「ああ。頼む」
エルシアも環の前へ進み出る。
「私は、向こうの文字をリズナさんと確認します。見落としがあれば伝えます」
「お願いします」
全員の準備が整う。
ゼラスはリズナの隣へ立った。
「始めるぞ」
リズナが両手を開く。
風が制御室を巡り、高く結んだ赤い髪を持ち上げた。
いつもの鋭い風ではない。
細く、柔らかく、彼女自身の魔力を伝えるための流れ。
ゼラスはそこへ、自分の術式を一枚ずつ重ねていく。
外から見れば、リズナの風にしか見えないほど薄く。
「もう少し力を抜け」
「抜いたら引かれるわ」
「俺が支える。お前は流れを切らすな」
ゼラスの魔力が、リズナの風の芯になる。
乱れていた流れが安定し、巨大な環の奥へ吸い込まれていった。
『風の器からの接続を確認』
アスタリア側の命令が反応する。
『回収経路を開放』
「かかった」
ゼラスが目を細めた。
「父親に伝えろ。黒い核には触れるな。右下の環の裏側に、細い魔力線があるはずだ」
リズナがすぐにアスタリア語へ訳す。
『誰の指示だ?』
父が尋ねた。
「仲間よ。こっちの施設を直した人」
『信用できるのか』
リズナは一瞬だけゼラスを見た。
「できるわ。あたしが一番頼りにしてる人よ」
「何と言った?」
言葉の分からないゼラスが尋ねる。
「説明しただけ」
リズナは素知らぬ顔で環へ向き直った。
雑音の向こうで、父が移動する音が聞こえる。
『あった。細い線が核へ戻っている』
「切るな」
ゼラスが言い、リズナが伝える。
「その線へ、少しだけ魔力を流して。装置が反応しても手を離さないで」
『分かった』
向こう側で魔力が流された瞬間、巨大な環に赤い文字が浮かんだ。
『不正な保守操作を検知』
『風の器の回収を優先』
引力が強まる。
リズナの足が半歩滑った。
ゼラスはすぐに彼女の腰へ腕を回し、その場へ留める。
「流れを止めるな」
「分かってるけど……近くない?」
「今それを気にするのか」
「ちょっとだけね」
口では軽く返しながら、リズナは風を崩さなかった。
ゼラスの術式が、父の触れた魔力線まで到達する。
「よし。つながった」
黒い命令核の構造が、風を通じてゼラスの意識へ伝わってくる。
ガリオール側の命令核とよく似ている。
ただし、こちらは対象を閉じ込めるためではない。
“風の器”を外へ出さないための命令が、幾重にも刻まれていた。
「帰還を止めたいんじゃない」
ゼラスが呟く。
「リズナをアスタリア側へ戻して、そのまま施設に確保する気だ」
「帰った後も、あたしを閉じ込めるつもりなの?」
「ああ。こいつにとって、お前の意思は関係ないらしい」
リズナの風が強くなる。
「なら、壊して」
「言われなくても、そのつもりだ」
ゼラスは潜ませていた術式を一気に開いた。
リズナの風が命令核の内部で枝分かれし、固定された命令を一つずつ押し広げていく。
『異物を検知』
『排除処理を――』
「遅い」
ゼラスが指を閉じる。
命令核と管理体を結んでいた魔力線が、内部から断ち切られた。
環の赤い文字が消える。
アスタリア側から響いていた軋みも止まった。
しばらくして、父の声が戻ってくる。
『黒い核が止まった! 人形の光も青に変わったぞ!』
「管理体は何か言ってる?」
『少し待て』
遠くで、聞き慣れない声が響いた。
父がその内容を読み上げる。
『強制回収命令を破棄。通常帰還経路の復旧作業を開始……だそうだ』
リズナの肩から力が抜ける。
ゼラスも彼女の腰から腕を離した。
「もう少しそのままでもよかったのに」
「立てるなら離す」
「冗談よ」
リズナは乱れた髪を整えながら笑った。
『両施設の接続状態を再照合します』
ガリオール側の管理体が告げる。
巨大な環に、二つの大陸を示す術式が浮かんだ。
アスタリア側。
ガリオール側。
その間に一本の光が伸びる。
『通常帰還経路の形成が可能です』
エルシアが胸元へ手を当てた。
「帰れるのですね」
『移送対象の適合確認を開始します』
光が制御室にいる五人を順に照らした。
エルシア。
リズナ。
ゼラス。
リュミエラ。
ミテイ。
やがて、二人の足元だけに青い円が残る。
リズナとエルシアだった。
『帰還経路への適合者、二名』
『移送可能数、二名』
リズナは、自分の円とゼラスの足元を見比べた。
そこには何の光もなかった。




