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第九十九話 二人だけの扉



『帰還経路への適合者、二名』


『移送可能数、二名』


リズナは自分の足元に浮かぶ青い円から、ゼラスへ視線を移した。


彼の足元には、何の光もない。


「……あんたは?」


「見れば分かるだろ。適合してない」


ゼラスは巨大な環を見上げたまま、管理体へ尋ねる。


「適合条件を説明しろ」


『アスタリア側の空間位相と一致する生命反応、および帰還者として登録された風脈反応が必要です』


「風脈がなければ通れないの?」


リズナが問う。


『第一帰還者エルシアは、長期間の固定によって必要な反応を付与されています』


エルシアは胸元へ手を置いた。


「私がこの施設に縛られていたこと自体が、帰るための条件になっているのですね」


『その認識で間違いありません』


ゼラスがさらに問いを重ねる。


「適合情報を偽装すれば、三人目を通せるか?」


『移送中に生命構造が経路から排除されます』


「通過枠を増やす方法は」


『現在の設備では不可能です』


「複数回に分けて開くことは?」


『復元された観測塔は、一度の帰還経路開放後に消失します』


ゼラスはしばらく巨大な環を見つめていた。


術式の流れを読み、管理体の説明に虚偽がないか確かめている。


やがて、小さく息を吐いた。


「無理だな」


リズナが目を瞬く。


「あんたでも?」


「俺を何だと思ってる」


「大抵のことは、何とかする人」


「何でもできるわけじゃない」


いつものように淡々とした声だった。


だが、リズナにはその言葉が思った以上に重く聞こえた。


彼女は結んだ赤い髪を指先で押さえながら、足元の円を見る。


故郷へ帰る道が、ようやく開こうとしている。


それなのに、ゼラスは通れない。


リュミエラも、ミテイも残る。


「リズナちゃん」


リュミエラが静かに声をかける。


「今すぐ答えを出す必要はないわ」


「でも、扉は一度しか開かないんですよね」


「ええ。だからこそ、あなた自身が選ばなければならない」


ミテイが二つの円を見比べた。


『リズナとエルシアは帰れる。私たちは帰れない』


「そうみたいね」


『別れる』


ミテイは事実を確かめるように口にした。


リズナはすぐには答えられなかった。


代わりに、エルシアが一歩下がる。


「私は残ります」


「何を言ってるんですか?」


リズナが振り返る。


「リズナさんには、こちらで得た大切な方々がいます。私一人のために、その別れを選ばせるわけには――」


「それはエルシアさんが決めることじゃありません」


リズナの声は強かった。


「エルシアさんは帰るんです。百年以上、ずっとそのために待っていたんでしょう?」


「ですが」


「二人通れる扉で、一人だけ残る理由はない」


ゼラスが言った。


「お前が残っても、俺たちが通れるようになるわけじゃない。なら、帰れ」


あまりにも簡潔な言葉だった。


エルシアはゼラスを見つめる。


「私だけが、望みを叶えてもよいのでしょうか」


「望みを叶えるのに、誰かの許可が必要なのか?」


「……いいえ」


「なら決まりだ」


ゼラスはリズナへ視線を移す。


「お前も帰るならな」


リズナは口元を僅かに尖らせた。


「ずいぶん簡単に送り出すのね」


「帰るなと言ってほしいのか?」


「そうは言ってないわよ」


「なら、俺の答えも変わらない」


ゼラスは誤魔化さず、彼女を見返した。


「お前は帰る方法を探してきた。ようやく見つけた道を、俺が通れないからという理由で諦めるな」


「もう会えないかもしれないのよ」


「ああ」


「それでも?」


「それでもだ」


返事に迷いはなかった。


だが、そのまま終わらせるつもりもないらしい。


「この経路を一度使えば、両側の座標と魔力の流れが記録に残る」


「……どういう意味?」


「同じ扉は使えなくても、別の道を作る手掛かりにはなる」


リズナの目が僅かに見開かれる。


「来るつもりなの?」


「まだ方法も分からない」


ゼラスは巨大な環を見る。


「だから、必ず行くとは言わない。できもしない約束をする気はないからな」


「そこは格好よく、必ず迎えに行くって言うところじゃない?」


「嘘でも聞きたいのか?」


「それは嫌」


「なら我慢しろ」


リズナは一度だけ頬を膨らませた後、ふっと笑った。


「本当に、あんたらしいわね」


「ただし」


ゼラスが続ける。


「ここで終わりにするつもりもない」


その言葉だけで、リズナの胸にあった重さが少し和らいだ。


必ずとは言わない。


けれど、諦めるとも言わない。


それはゼラスなりの、最も確かな返事だった。




『両施設の同期を開始します』


巨大な環の中央に、アスタリア側の景色が淡く映り始めた。


まだ輪郭は揺らいでいるが、石造りの制御室と、そこで作業を続ける人々の姿が見える。


その中に、リズナの父らしき男もいた。


『帰還経路の安定化完了予定――次の夜明け』


残された時間は、一晩。


リズナは映像を見つめた後、ゼラスたちを振り返る。


「それまでに、ちゃんと準備するわ」


「ああ。向こうへ持っていく物は俺が用意する」


「何でも収納に入れたまま渡せるの?」


「俺が一緒に通れない以上、向こうで収納は開けない。普通の鞄へ移す」


「やっぱり、あんたがいないと急に不便ね」


「今さら気づいたか」


「前から知ってるわよ」


二人のやり取りを見ていたエルシアが、僅かに微笑んだ。


その直後、管理体の光が彼女へ向く。


『第一帰還者の肉体状態を再確認』


光が老いた身体を上から下へ走る。


『経路通過は可能です』


『ただし、肉体負荷は許容上限に近接しています』


リズナの表情が変わった。


「危険なの?」


『通過後の生命状態は保証できません』


エルシアは静かに目を伏せる。


「百年以上生きた身体です。故郷の土を踏めるなら、それだけでも――」


「勝手に諦めるな」


ゼラスが遮った。


彼はエルシアの身体を一度見てから、何かを決めたように目を細める。


「その問題は、俺が何とかする」


リュミエラだけが、その言葉の意味に気づいた。


「ゼラス。まさか、あなた――」


「今はまだいい」


ゼラスは彼女の言葉を止めた。


「使うなら、扉が開く直前だ」


リュミエラは何も言わず、しばらくゼラスを見つめる。


やがて、静かに息を吐いた。


「……分かっているのでしょうね」


「ああ」


何をするつもりなのか、リズナとエルシアには分からなかった。


ただ、ゼラスの返事には迷いがなかった。


帰還の扉が開くまで、あと一晩。


二人を無事に送り出すための、最後の夜が始まった。

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