表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第五章 帰還者編
97/215

第九十六話 本物の空



旧第七中継室からの命令が途絶えると、制御室には三つの核が回る音だけが残った。


『帰還経路の共同開放まで、残り四十六時間』


管理体の声を聞き、ゼラスは表示された術式を一通り確認する。


「こちら側は安定してる。今すぐ交換処理が再開することもない」


「では、しばらく待つしかないのね」


リュミエラが通信具を閉じた。


「死者の署名については、父上が城で調べてくださるそうよ。私たちは帰還設備を優先しましょう」


「ああ。今ここを離れる方が危険だ」


ゼラスはエルシアを見る。


「黒い扉は開いたままにできるか?」


『現在は可能です』


管理体が答えた。


『外部への移動を制限する命令も、停止しています』


エルシアの杖を握る手が僅かに動いた。


「外へ……出られるのですか?」


「ああ」


ゼラスは当然のように答える。


「もう、お前をここへ閉じ込める命令は動いてない」


エルシアはすぐには歩き出さなかった。


百年以上、開かなかった扉。


何度押しても、呼びかけても、決して自分を通さなかった境界だった。


リズナが彼女の隣へ立つ。


「一緒に行きましょう」


エルシアはリズナを見上げ、ゆっくりと頷いた。




四人とエルシアは、地下の天測所を抜けた。


長い階段を上がり、石扉を越える。


最後にゼラスが岩を退けると、西から吹く強い風が通路へ流れ込んだ。


エルシアの白い髪が揺れる。


彼女は杖をついたまま、崖の外へ一歩を踏み出した。


頭上に広がるのは、術式で作られた空ではない。


雲が流れ、夕暮れの光が差し込む、本物の空だった。


崖の下では、波が白く砕けている。


エルシアは何も言わず、長い間その景色を見つめていた。


やがて、頬を涙が伝う。


「広いのですね」


その声はガリオール語だった。


少し硬いはずの言葉が、今だけは震えていた。


「空は、こんなにも広かったのですね」


地下にも空はあった。


朝になれば明るくなり、夜になれば星さえ浮かんだ。


けれど、決して変わらなかった。


風も、雲も、遠くへ続いてはいなかった。


ミテイがエルシアの隣へ立つ。


『地下の空は、記録された空』


「ええ」


『これは、今の空』


エルシアは目元を拭い、微笑んだ。


「今の空……良い言葉ですね」


リズナは二人の少し後ろから、本物の夕空を見上げた。


アスタリアの空とは違う。


けれど、ここにも風があり、人が暮らし、誰かと出会った時間がある。


「エルシアさん」


リズナが声をかける。


「帰還経路が安全に開いたら、どうしますか?」


エルシアは海の向こうを見た。


「帰ります」


迷いのない返事だった。


「私を知る者は、もういないでしょう。生まれた家も、昔のままではないと思います」


「それでも?」


「ええ」


エルシアは杖の先を地面へ置く。


「帰った後で、居場所がないと知るかもしれません。それでも、自分の足で確かめたいのです」


リズナは静かに頷いた。


「それに、伝えたいことがあります」


「誰に?」


「私の名を記録に残してくれた人たちへ」


エルシアは穏やかに笑った。


「エルシア=ローデンは、死んでいなかったと」


リズナの表情が僅かに和らぐ。


「そうですね。ちゃんと帰って、自分で言わないと」


「はい」


ゼラスが二人の後ろから口を挟む。


「帰還経路が安全なら、だ」


リズナが振り返った。


「分かってるわよ」


「向こうへ行けるというだけで飛び込むな。出口が地面の中や空中だったら死ぬぞ」


「もう少し雰囲気を読めないの?」


「安全確認の方が大事だろ」


「正しいけど、今言わなくてもいいでしょう」


エルシアが小さく笑った。


百年以上の孤独を話していた時とは違う、自然な笑いだった。


「ゼラスさんは、心配しているのですね」


「当然だ」


ゼラスは否定しなかった。


「二人を帰すために直してる。帰した直後に死なれたら意味がない」


リズナが口元を緩める。


「エルシアさん。ゼラスはこういう言い方しかできないんです」


「余計な説明をするな」


「でも、よく分かりました」


エルシアはリズナとゼラスを交互に見る。


「大切にされているのですね」


今度はリズナが一瞬だけ言葉に詰まった。


「……仲間として、ですけど」


「あら」


エルシアはそれ以上言わなかった。


だが、リズナの高く結んだ赤い髪が風に揺れる横で、ゼラスは妙に遠くの海を見ていた。




日が沈む前に、一行は地下の制御室へ戻った。


エルシアは黒い扉を越える際、一度だけ本物の空を振り返った。


もう、閉じ込められて戻るのではない。


自分で選び、帰還の準備をするために戻るのだ。


制御室へ入った直後、巨大な環が強く輝いた。


『アスタリア側基点より、緊急通信』


リズナが光の前へ立つ。


「父さん?」


返ってきたのは、激しい雑音だった。


その奥から、父の切迫した声が届く。


『リズナ、聞こえるか! こちらの固定環が一つ、誰の操作も受けつけなくなった!』


「故障したの?」


『違う。内側から何かが動かしている』


環の中へ、崩れた文字が浮かび上がる。


リズナはそれを読み、表情を強張らせた。


「何と書いてある?」


ゼラスが尋ねる。


リズナはゆっくりと振り返った。


「帰還者を、ガリオールへ渡すな――って」


アスタリア側にも、帰還を阻もうとする命令が残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ