第九十三話 閉ざされた中継室
エルシアを閉じ込めた命令は、八十六年前の魔皇城から送られていた。
その記録を前に、誰もすぐには言葉を発しなかった。
「どうして……」
エルシアが呟く。
「私は、魔皇城の方々に何かをしたのでしょうか」
「いや」
ゼラスが即座に否定した。
「この記録だけで、魔皇城が意図して命令を出したとは限らない」
リュミエラも術式を詳しく調べる。
「正確には、魔皇城を中心に構築された魔皇軍の中継網を通っているわ。城内から直接送られたのか、別の施設から中継されたのかまでは消されている」
「でも、軍の認証が必要なんでしょう?」
リズナが尋ねた。
「ええ。それも、かなり高い権限が」
リュミエラの指が、記録の一部で止まる。
そこには、命令を通過させた役職だけが残されていた。
「第一席権限……」
リズナが彼女を見る。
「それって」
「八十六年前も、第一席は私よ」
リュミエラの声は静かだった。
だが、その表情から普段の柔らかさが消えている。
「この命令を出した覚えはないわ」
ゼラスが記録へ魔力を流す。
「お前の個人署名は?」
「残っていない。役職権限だけを使っているわ」
「なら、お前になりすましたわけじゃない。第一席が使える中継設備を、誰かが勝手に動かした」
「簡単にできることではないけれどね」
リュミエラは僅かに目を細めた。
「当時の第一席権限に触れられた者は、私を含めても五人しかいなかったはずよ」
「その五人は?」
「私と父上。それから、軍務局長と通信管理官が二人」
「今も生きてるのか」
「父上と私はね。残る三人については、城へ戻らなければ確認できないわ」
リズナがエルシアを見る。
老女は俯き、杖を両手で握っている。
「エルシアさんを狙って、閉じ込めたのかしら」
「個人を狙ったとは限らない」
ゼラスは記録をさらに遡った。
「命令が出された時点では、エルシアが何者か識別されていない。記されているのは、風脈を持つ帰還者を固定しろという内容だけだ」
「誰でもよかったのね」
エルシアの声に、怒りよりも深い疲れが滲んだ。
「私である必要すら、なかった」
リズナは彼女の隣へ立つ。
「だからって、エルシアさんがここで過ごした時間が軽くなるわけじゃないわ」
エルシアはゆっくり顔を上げた。
「ええ。そうですね」
ミテイは制御核の台座へ触れたまま、二人の話を聞いていた。
やがて、灰色の枝が記録術式の奥へ伸びていく。
『命令の道が、まだ残っている』
ゼラスが振り返る。
「現在もつながってるのか?」
『細い。でも、切れていない』
「場所は分かる?」
リュミエラが尋ねる。
ミテイは目を閉じる。
石と術式の中を通る細い経路を、一つずつ辿っていく。
『ここから地上の塔。塔から海の下。そこから皇都へ戻っている』
「海底中継線か」
ゼラスが地図を広げた。
「百年前、崖下に補助設備があった。あれが皇都までつながってたらしいな」
リュミエラが古い軍用経路を思い出しながら、地図へ指を置く。
「西方天測所につながっていたのは、旧第七中継室のはずよ」
「どこにある」
「魔皇城の地下」
リュミエラは一度言葉を切った。
「ただし、九十年前に閉鎖されているわ」
リズナが眉を寄せる。
「九十年前?」
「ええ。設備の老朽化を理由に封鎖された。だから八十六年前には、すでに使えなかったはずなの」
「使えない中継室から、命令が送られたのか」
ゼラスはミテイが示す魔力線へ触れた。
「しかも、今もつながってる」
『向こうにも、何かある』
ミテイが告げる。
『こちらを見ている』
エルシアの顔が強張った。
「また、見ているのですか」
「今度は見てるだけで済ませない」
ゼラスが細い魔力線を摘まむように指を動かす。
「逆にたどる」
「待って」
リュミエラが止めた。
「旧中継室が城内にあるなら、無理に干渉すれば防護術式が反応するわ」
「なら、先に陛下へ知らせろ」
「ええ」
リュミエラは通信具を取り出した。
魔皇軍第一席だけが使える、暗号化された魔力通信。
記録の一部と旧第七中継室の状態をまとめ、魔皇へ送る。
返事を待つ間、ゼラスは三つの制御核を確認した。
「こっちの修復は終わった。アスタリア側が間に合えば、二人とも帰せる」
「その前に、また交換処理を動かされたら?」
リズナが尋ねる。
「今度は動かせない。核への外部命令は、俺が切った」
「皇都との線は残すの?」
「ああ。切れば相手が逃げるかもしれない」
ゼラスは細い光を見据える。
「つながってると思わせておく」
ほどなくして、リュミエラの通信具が淡く光った。
魔皇からの返答だった。
彼女が内容を読み、僅かに息を止める。
「何て?」
リズナが尋ねる。
「父上が、旧第七中継室を調べさせたわ」
「封印は?」
ゼラスの問いに、リュミエラは通信具から目を上げた。
「九十年前のまま。一度も開かれた形跡はないそうよ」
「それなら、中には誰も入れないはずでしょう?」
「ええ」
リュミエラは続きへ視線を落とす。
「けれど今、封印された扉の向こうから魔力反応が出ている」
制御室を走る細い光が、脈を打つように一度だけ強く輝いた。
直後、管理体が顔を上げる。
『旧第七中継室より、新規命令を受信』
ゼラスの目が細くなった。
「内容は」
『第二帰還者リズナを確保せよ』
リズナの周囲で、修復したばかりの三つの制御核が一斉に赤く染まった。




