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千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第五章 帰還者編
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第九十一話 父の声



「父さん?」


環の奥から届く雑音が、一瞬だけ弱まった。


『ああ。父さんだ』


その返事を聞いた途端、リズナの喉が詰まる。


聞き間違えるはずがない。


少し低く、ぶっきらぼうで、それでも今は隠しきれないほど震えている声だった。


『本当に、リズナなんだな?』


「そうよ。あたしよ」


『怪我はないか。どこにいる。そこに一人なのか』


立て続けの問いに、リズナは目元を押さえながら笑った。


「一度に聞かないでよ。怪我はないし、一人でもないわ」


ゼラスが横から尋ねる。


「父親で間違いないのか?」


「ええ」


リズナは頷いた。


「あたしが消えてから、ずっと探してくれてたみたい」


「なら、話せるうちに話せ。接続は俺が見ておく」


ゼラスは環へ流れ込む魔力を調べ、リュミエラへ視線を送った。


リュミエラも無言で頷き、施設側の術式を押さえる。


リズナは再び故郷の言葉で呼びかけた。


「父さん。ここはガリオール大陸よ。あたしは魔族の仲間たちと一緒にいる」


『魔族……?』


「こっちでは珍しくないわ。それに、何度も助けてもらったの」


リズナはゼラスたちを振り返る。


「今、帰還するための施設にいる。でも、問題があるの」


『何があった』


「ここには、あたしより先にアスタリアから来た人がいるの」


その言葉に、エルシアが僅かに身を固くした。


リズナは彼女へ場所を譲る。


エルシアは環の光を見上げ、久しぶりに使う故郷の言葉で静かに名乗った。


「エルシア=ローデンと申します。アスタリア西部の出身です」


しばらく、返事はなかった。


やがて父の声が、驚きを含んで戻ってくる。


『エルシア=ローデン……その名前は記録に残っている』


エルシアの杖を握る手が震えた。


「私のことが?」


『八十六年前、西部で起きた空間異常の行方不明者だ。現在の転移研究も、その記録を元に始まったと聞いている』


エルシアは目を伏せた。


自分が消えたことは、なかったことにはされていなかった。


「そう……ですか」


それ以上の言葉は出なかった。


リズナが彼女の背へ、そっと手を添える。


父の声が続いた。


『そちらの施設は、二人を帰せないのか?』


「壊れた設備の代わりに、一人を中へ残そうとしてるの。エルシアさんを帰せば、今度はあたしが残される」


『そんな方法で戻ってくるな』


返事には迷いがなかった。


リズナが目を瞬く。


『誰かを代わりに閉じ込めて帰ってきても、お前は一生後悔する。こちらでも別の方法を探す』


「……うん」


『帰ってきてほしい。だが、それと誰かを犠牲にすることは別だ』


リズナは小さく息を吐いた。


「父さんらしいわね」


『お前に言われたくない』


少しだけ、以前と同じ調子が戻る。


リズナの口元にも、自然と笑みが浮かんだ。


ゼラスが彼女を見る。


「何と言った?」


「誰かを残して帰ってくるなって」


「まともな父親だな」


「でしょ?」


「お前を育てるのは大変だっただろうが」


「今、その話をする?」


ゼラスは僅かに口元を緩め、環の術式へ視線を戻した。


『通信出力、低下』


管理体の声が響く。


『接続維持可能時間、残り二分』


「父さん、時間がないみたい」


『こちらも同じだ。術師たちが基点を維持している』


「そっちの施設は直せるの?」


『三つある固定環のうち、一つが動いていない。修復を始めているが、すぐには終わらない』


リズナはゼラスへ伝える。


「向こうも設備が一つ壊れてる。今、修復してるって」


ゼラスが管理体へ尋ねた。


「双方の設備が正常になれば、固定媒体なしで二人を移送できるんだな?」


『可能です』


「必要な条件を向こうへ送れ」


『通信内容を変換します』


環の中へ、アスタリアの文字が浮かび上がる。


三基の制御核。


双方の固定環。


同時起動。


それらが揃えば、二人を残さず経路を開ける。


父の声が短く応じた。


『こちらで引き受ける。リズナ、お前たちはそちらを直せ』


「分かった」


『それから――』


声が一度、雑音に飲まれた。


『帰るかどうかは、もう決めたのか』


リズナはすぐには答えなかった。


故郷へ帰りたい気持ちはある。


父の声を聞いた今、その思いは以前よりも強くなっていた。


けれど、隣にはゼラスたちがいる。


ここで得たものも、失いたくはない。


「あたしにも、まだ分からない」


リズナは正直に答えた。


「でも、誰かに決めてもらうつもりはないわ」


父は少し黙った。


『それでいい』


穏やかな声だった。


『帰ってくるにしても、そこへ残るにしても、自分で決めろ。ただし、生きてもう一度声を聞かせろ』


「うん。約束する」


『リズナ――』


呼びかけを最後に、環の光が大きく揺れた。


接続が切れる。


温かな風も、父の声も消え、制御室には機械音だけが残った。


リズナはしばらく環を見上げていた。


やがて、頬に残っていた涙を指で拭う。


「待たせたわね」


「もういいのか?」


ゼラスが尋ねる。


「良くはないわ。でも、止まってる場合じゃないでしょう?」


その目には、もう迷いだけではない強さが戻っていた。


ゼラスは頷き、収納空間から先ほど隔離した制御核を取り出す。


「なら、こいつを元に戻す前に中身を調べる」


『双方向接続の申請を確認』


管理体の青い光が、再び明滅した。


『帰還経路の共同開放まで、残り四十八時間』


施設の奥で、残る二つの制御核が同時に動き始めた。

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