第八十九話 誰も残さない
『代替固定媒体として、使用可能です』
施設の声が響く。
リズナは、ゼラスより先に答えた。
「却下よ」
「俺に聞いてるんだが」
「答えるまでもないでしょう」
リズナは二つの台座を回り込み、ゼラスの前へ立つ。
「あたしの代わりに、あんたがここへ残るなんて認めないわ」
「俺も残るとは言ってない」
「……なら、そういう顔で台座を見ないで」
「仕組みを調べてただけだ」
ゼラスは三つ目の台座へ近づいた。
その表面には、百年前に触れた自分の魔力が刻まれている。
「固定媒体になった場合、どうなる」
『帰還経路の維持に必要な魔力を供給します』
「期間は?」
『次の帰還者が登録されるまで』
「外へ出られるか」
『できません』
リズナがゼラスの肩を掴む。
「聞くだけでも嫌なんだけど」
「分からないまま壊すよりはましだ」
「壊すつもりなのね」
「ああ」
迷いのない返事に、リズナはようやく手を離した。
「それならいいわ」
「最初からそう言ってる」
「言ってないわよ」
ゼラスは台座の文字へ指を触れる。
『旧観測者権限を確認』
空中に、複数の術式が展開された。
百年前にこの施設を調べた際、ゼラスの魔力を記録したらしい。
観測記録。
保守項目。
帰還処理。
だが、重要な部分には全て封印がかかっている。
「権限が足りないな」
「観測者なのに?」
「勝手に登録されただけだ。管理者ではない」
『固定処理を再開します』
リズナの名が刻まれた台座に、再び光が集まり始める。
ゼラスは壁へ目を向けた。
「魔力の中心はどこだ」
「床の下……いえ、壁の中にもあるわ」
リズナが風を細く広げる。
流れを追い、一点を指した。
「あそこ。何かが回ってる」
ゼラスが手を伸ばす。
次の瞬間、壁の内部から青白い結晶が消えた。
回転していた巨大な環が止まる。
『制御核の消失を確認』
「収納へ入れたの?」
「ああ。十メートル以内なら、壁の中でも関係ない」
「本当に何でもありね……」
「生き物は無理だ」
「今は聞いてないわよ」
光を失った台座から、リズナの名が消えていく。
その直後、制御室の扉が開いた。
リュミエラ、ミテイ、エルシアが部屋へ駆け込んでくる。
「無事なのね」
リュミエラは二人の姿を確認すると、止まった環を見上げた。
「何をしたの?」
「核を一つ外した」
「一つ?」
『下に、まだ二つある』
ミテイが床へ手を触れる。
灰色の枝が、制御室の奥へ広がっていった。
『三つで、交換を動かしていた。でも、道は三つではない』
「別の経路があるのか?」
ゼラスが尋ねる。
『ある。今は閉じている』
ミテイは床の一部を指した。
そこには、二つの台座から離れた場所へ細い魔力線が続いている。
『一人を残さず、二人を外へ出す道』
エルシアが息を呑む。
「そんなものが……」
『壊れている』
ミテイの灰色の魔力が、さらに深く沈む。
『外から力を入れる場所が、なくなっている』
ゼラスは地上にある三基の観測塔を思い出した。
「観測塔か」
リュミエラも気づいた。
「帰還経路を外側から維持するための設備だったのね」
「二基が崩れたせいで、施設は帰還者を中へ残す方法へ切り替えた」
リズナが眉を寄せる。
「でも、その二基は戻ってるわ」
「あれが本物ならな」
ゼラスは収納から制御核を取り出さず、奥の壁を見る。
そこには今まで存在しなかった継ぎ目が浮かび上がっていた。
『制御核の欠損を確認』
『管理区画を開放します』
重い音とともに、壁が左右へ分かれる。
暗い通路の先で、赤い光が一つ灯った。
エルシアの顔から血の気が引く。
「そこは……」
「知ってるの?」
リズナが尋ねる。
「いいえ。扉が開いたことはありません」
エルシアは震える声で続けた。
「けれど、長い間ずっと――その向こうから、誰かが私を見ていました」
暗闇の奥で、ゆっくりと足音が響いた。




