第八十八話 代わりにはならない
「誰が帰って、誰が残るかは、こいつらが選ぶことだ」
ゼラスの魔力が床へ沈み込み、青白い円を内側から押し潰した。
光は砕けた。
だが消えない。
細い筋となって床を走り、壁や天井へ広がっていく。
『第二帰還者の固定処理を継続』
「しつこいな」
ゼラスがリズナを見る。
「身体に異常は?」
「魔力を引かれてる感じがする。でも、まだ動けるわ」
「なら、自分の魔力を内側へ寄せろ。外から触らせるな」
「やってみる」
リズナが息を整える。
足元から風が立ち上り、高く結んだ赤い髪を揺らした。
風は周囲へ放たれず、彼女の身体を包むように細く循環する。
青白い光が肌へ触れるたび、風がそれを弾いた。
「できてる。そのまま続けろ」
「ええ」
リュミエラも片手を上げ、施設へ流れ込む魔力を探った。
「地下の三塔から供給されているわ。私が一時的に流れを絞る」
「止めきる必要はない。急に断てば、別の処理へ移るかもしれん」
「分かったわ」
二人が術式を押さえる間に、ミテイは床へ両手を触れた。
灰色の枝が石の内部へ伸びていく。
『この光は、リズナだけを縛っていない』
「何につながってる?」
『エルシアにも』
全員の視線が老女へ向く。
エルシアの足元にも、淡い円が浮かんでいた。
『第一帰還者の解放準備、十二パーセント』
『第二帰還者の固定処理、九パーセント』
ゼラスが目を細める。
「同時に進んでるのか」
『一人を出して、一人を残す。同じ処理』
ミテイは床の流れを追いながら言った。
『これは帰還ではない。交換』
エルシアの顔が強張った。
「私が扉を通れば、リズナさんが私の代わりになる……」
「あたしは残るつもりなんてないわよ」
リズナは風を維持したまま答える。
「あなたを帰したくないって意味でもない。でも、施設に勝手に決められるのは嫌」
エルシアはしばらく彼女を見つめていた。
やがて、杖を握る手から力を抜く。
「私は、帰りません」
リズナが目を瞬く。
「待って。まだそう決める必要は――」
「いいえ」
エルシアの声は静かだった。
「故郷へ帰りたいと、何十年も願いました。けれど、あなたをここへ残して帰ることは、帰還とは呼べません」
彼女は一度、アスタリア語で何かを呟いた。
リズナにだけ、その意味が届く。
――同じ故郷の者を、私の代わりにはしない。
リズナの風が僅かに揺れた。
エルシアはガリオール語へ戻す。
「私の家族も、友人も、すでに生きてはいないでしょう。帰りたい場所は、昔のままではありません」
「それでも、帰りたい気持ちまで消えたわけじゃないでしょう」
「ええ」
エルシアは微笑んだ。
「だからこそ、自分で選びたいのです。誰かを犠牲にして押し出されるのではなく」
ゼラスが頷く。
「話は決まったな」
リズナが彼を見る。
「何が?」
「二人とも、この処理には従わない」
ゼラスは壁を走る光へ手を伸ばした。
「なら、交換以外の方法を探す」
『該当する帰還手順は存在しません』
施設の声が即座に応じた。
「お前には聞いてない」
ゼラスの魔力が光の筋を逆流する。
壁の奥で、何かが破裂するような音が響いた。
『不正な接続を確認』
「不正かどうかを決めるのも、こっちだ」
リュミエラが僅かに笑う。
「昔から、規則を破る時だけは生き生きしているわね」
「人を閉じ込める規則を守る趣味はない」
ミテイが顔を上げた。
『中央に、命令を決めている部屋がある』
「行けるか?」
『道が閉じ始めている。でも、まだ間に合う』
奥の丘が低く震えた。
石造りの家の背後で地面が割れ、地下へ続く階段が姿を現す。
同時に、周囲の花や木々が光の粒へ変わり始めた。
『固定処理への抵抗を確認』
『第二帰還者を制御室へ搬送します』
リズナの足元から、青白い柱が立ち上がった。
「リズナ!」
ゼラスが腕を掴み、光の外へ引き寄せる。
だが柱は消えず、二人をまとめて囲んだ。
「離して!」
「嫌だな」
「巻き込まれるわよ!」
「一人で運ばせるよりましだ」
ゼラスは空いた手を光の壁へ突き刺した。
「リュミエラ、ミテイとエルシアを連れて階段へ行け!」
「あなたたちは?」
「向こうが制御室へ運ぶと言ってる。それなら先に着くだけだ」
「随分乱暴な近道ね」
「歩くより速い」
「そういう問題じゃないわよ!」
リズナの声とともに、光の柱が収縮した。
二人の姿が消える。
リュミエラは一瞬だけ彼らがいた場所を見つめ、すぐにミテイとエルシアへ向き直った。
「私たちも行きましょう」
『ゼラスは、道を作った』
「ええ。あの人らしいやり方でね」
三人が階段へ向かう。
その頃、ゼラスとリズナは暗い制御室へ投げ出されていた。
ゼラスは着地と同時にリズナを抱えて衝撃を逃がし、自分の足で床へ降りる。
「怪我は?」
「ないけど……もう少し普通に助けられないの?」
「普通なら転移に巻き込まれてない」
室内の中央で、巨大な環が回転している。
その下には二つの台座。
一つにはエルシアの名。
もう一つには、リズナの名が新たに刻まれ始めていた。
ゼラスが魔力を放とうとした、その時。
二つの台座のさらに奥で、隠されていた三つ目の台座が浮かび上がった。
そこに刻まれていた名を見て、ゼラスの表情が変わる。
「……俺の名前だと?」
『旧観測者、ゼラス=ヴェルゼイア』
施設の声が響く。
『代替固定媒体として、使用可能です』




