表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第五章 帰還者編
88/114

第八十七話 第一帰還者




黒い扉の向こうから、温かな風が流れてくる。


リズナの高く結んだ赤い髪が、ふわりと揺れた。


乾いた草と、淡い花の匂い。


潮風の吹く崖の地下にいるはずなのに、その風には海の香りが少しも混じっていない。


「この風……アスタリアのものに似てる」


リズナが扉の奥を見つめる。


ゼラスは一歩前へ出ると、開いた空間へ魔力を伸ばした。


「まだ入るな」


「分かってるわ」


「見えてる通路より、内部の方が広い。空間を折り畳んでるな」


リュミエラも扉の内側を探る。


「罠は?」


「今のところは見つからない。だから安全とは限らないが」


ミテイが床へ手を触れた。


灰色の魔力が、扉の向こうへ枝分かれしていく。


『中に一人いる』


「第一帰還者か」


『歩いている。こちらへ来る』


ゼラスは魔剣の柄へ手を添えた。


「俺が先に入る。リズナはすぐ後ろ。リュミエラは後方、ミテイは周囲の構造を見てろ」


「はいはい。勝手に走ったりしないわよ」


「お前は手掛かりを前にすると、少し怪しい」


「シェルミアさんと一緒にしないで」


「今のところは、あいつより信用してる」


「今のところ?」


リズナが眉を寄せたが、ゼラスはすでに扉を越えていた。




その先に広がっていたのは、地下とは思えない景色だった。


緩やかな丘を覆う草。


細い水路。


白い花をつけた木々。


天井には空を模した術式が広がり、柔らかな光を地上の陽射しのように落としている。


リズナは足元に咲く小さな花を見た。


「アスタリアにもある花よ」


「施設へ持ち込んで育てたのか」


ゼラスは周囲へ目を配った。


「水と食料を維持する術式も動いてる。人間一人を長期間生かすための場所らしいな」


道の先に、小さな石造りの家があった。


その前に、一人の老女が立っている。


白い髪。


深い皺の刻まれた顔。


細い杖を握る手は震えていた。


丸い耳を見れば、人間種だと分かる。


老女はリズナを見つめ、震える唇を動かした。


「その髪……その風……」


リズナの目が大きく開く。


故郷の言葉だった。


少し聞き慣れない地方の訛りはある。それでも、間違えるはずがない。


リズナはアスタリア語で問い返した。


「あなたも、アスタリアから来たの?」


老女の瞳に涙が浮かんだ。


「まだ……この言葉を話す人がいたのね」


ゼラスがリズナを見る。


「何と言ってる?」


「あたしと同じ。アスタリアから来た人みたい」


リズナが訳すと、老女はゼラスたちへ顔を向けた。


「……あなた方の言葉も、理解できます」


ガリオール語だった。


発音も文法も正確だ。


ただ、一語ずつを確かめるように区切る話し方は、会話というより記録を読み上げているようだった。


「この施設に残された案内と、保存記録から学びました。話す相手は、いませんでしたが」


「なら、全員で話せるな」


ゼラスは警戒を解かないまま尋ねる。


「名前は?」


「エルシア=ローデン。アスタリア大陸西部の、人間です」


リズナはその地方を知っていた。


自分の故郷からは遠いが、確かに存在する土地だ。


「八十六年前に、ここへ来た人?」


「外では、その年月が過ぎたと施設から聞きました」


エルシアは家の周囲へ目を向けた。


「私は十八歳の時に連れてこられました。ここで数えた時間は、すでに百年を越えています」


リュミエラが静かに尋ねる。


「外へ出ることはできなかったのですか?」


「内側から、あの扉は開きません」


エルシアは黒い扉を示す。


「水も食べ物もありました。病気や怪我も治療されました。けれど、出ることだけは許されなかった」


「丁寧に管理された牢獄か」


ゼラスが言う。


エルシアは寂しげに笑った。


「私も、そう呼んでいました」


ミテイが彼女を見つめる。


『ずっと、一人だった』


「ええ」


エルシアのガリオール語は変わらず正確だった。


だが、短い返事の中にある感情までは隠せていなかった。


「最初は、誰かが助けに来ると思いました。次は、自分で帰れる方法を探しました。その後は……待っていることを、考えないようにしました」


リズナの手が強く握られる。


「帰還経路が開けば、あなたもアスタリアへ帰れるんですか?」


エルシアはすぐには答えなかった。


その視線が、リズナの足元へ向く。


青白い光が床へ円を描いていた。


『第二帰還者の登録を開始します』


「止めろ」


ゼラスが手を振る。


放たれた魔力が光の円へ割り込み、広がりかけた文字列を強引に停止させた。


『登録処理への干渉を確認』


「本人の了承も取らずに、何を登録する気だ」


ゼラスはリズナの腕を引き、円の外へ出す。


その瞬間、エルシアの表情が恐怖に染まった。


「離れて!」


叫びはアスタリア語だった。


切迫した響きに、リズナは反射的にさらに後ろへ下がる。


「何が起きるの?」


リズナも故郷の言葉で問い返した。


エルシアは唇を震わせた後、ほかの三人にも伝わるようガリオール語へ戻した。


「登録されては、いけません」


「理由を話せ」


ゼラスが光を押さえたまま促す。


「施設は、私に教え続けました。第二帰還者が来れば、帰還の扉が開くと」


「なら、二人で帰れるんじゃないの?」


リズナが尋ねる。


エルシアは首を横に振った。


「私も、そう思っていました。けれど、違った」


施設の奥から低い振動が伝わってくる。


空を模した天井に、青白い亀裂のような線が走った。


『第一帰還者の解放準備を開始』


『第二帰還者の固定処理を継続』


リュミエラの表情が険しくなる。


「固定処理……」


「帰還の扉を維持するには、帰還者の風脈が必要です」


エルシアはリズナを見つめた。


「第一帰還者が扉を通れば、第二帰還者がこの場所へ残される」


「次の帰還者が来るまで?」


リズナの問いに、エルシアはゆっくりと頷いた。


「私が、そうだったように」


止められていたはずの光が、リズナの足元へ再び伸び始める。


ゼラスは彼女の前へ出ると、光を踏みつけるように魔力を叩き込んだ。


「勝手に順番を決めるな」


床の円が激しく揺れる。


「誰が帰って、誰が残るかは、こいつらが選ぶことだ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ