第八十三話 西からの視線
「向こうが、お前を見つけた可能性がある」
ゼラスの言葉に、リズナは地図へ視線を落とした。
西方天測所から皇都へ伸びる一本の線。
その終点は、魔皇城の中でも客室区画に近い。
「狙いがあたしだと、もう分かってるの?」
「まだ可能性だ。確かめる」
ゼラスは立ち上がると、窓際まで歩いた。
片手を上げ、周囲の魔力を探る。
部屋を覆う防護術式。
城内を巡る魔力線。
その中に、ごく細い異物が混じっていた。
「残ってるな」
ゼラスが指を動かす。
何もなかった空間から、髪の毛より細い青白い光が引き出された。
リュミエラが目を細める。
「観測の残滓?」
「ああ。城の結界を抜いたわけじゃない。結界に触れて、反射した魔力から内部を読んだらしい」
「それだけで、この部屋まで?」
「普通は無理だ」
ゼラスは光の筋を指先へ巻きつける。
「だが、探す対象の魔力をあらかじめ知っていれば、近い反応を絞り込める」
リズナの表情が硬くなる。
「あたしが転移した時の魔力が、向こうに残っていた……」
「その可能性が高い」
ミテイは壁へ片手を触れた。
灰色の魔力が枝のように広がり、石材の内側を走っていく。
しばらくして、彼女は静かに顔を上げた。
『光は、この部屋だけを探していない』
「何が見えた?」
『城の中を広く触って、似たものを選んだ。リズナのいる場所で、枝が集まっている』
リュミエラがリズナを見る。
「やはり、あなたを探していたのね」
リズナは黙って自分の手を見る。
風を生む魔力は、いつもと変わらない。
だが今は、それが遠い場所から自分を示す灯のように思えた。
「城内の別区画へ移ってもらうわ」
リュミエラが言った。
「地下の遮断室なら、外部からの観測は防げるはずよ」
「嫌です」
リズナの返事は早かった。
リュミエラは怒らず、続きを待つ。
「安全のためなのは分かります。でも、あたしを探しているなら、隠れているだけでは何も分からない」
「だからといって、無防備に晒すわけにはいかないわ」
「無防備にはしません」
リズナはゼラスを見る。
「あの光、逆にたどれないの?」
「残滓だけなら難しい」
ゼラスは指先の光を消した。
「次に同じ観測が来れば、捕まえられる可能性はある」
「相手の場所まで?」
「少なくとも、どんな術式を使ってるかは読める。うまくいけば、送り返すこともできる」
リュミエラが僅かに眉を寄せた。
「攻撃を?」
「最初から攻撃はしない。目印を返すだけだ」
ゼラスはリズナへ向き直る。
「ただし、お前を囮にすることになる」
「分かってる」
「危険がないとは言えない」
「それも分かってるわ」
リズナは目を逸らさなかった。
「帰る道かもしれないものが、向こうからあたしを探してる。ここで何もせず隠れる方が、あたしは嫌」
ゼラスはすぐには答えなかった。
反対する理由はいくらでもある。
だが、彼女が恐怖だけで判断していないことも分かっていた。
「分かった」
「あっさり許すのね」
「許可を求めてないだろ」
「まあ、そうだけど」
「だから条件を出す」
ゼラスは三本の指を立てた。
「次の観測を受ける場所は、城の外周に近い訓練塔。俺とリュミエラが同席する。異常が出たら、お前が続けたいと言っても切る」
リズナは少し考え、頷いた。
「それでいいわ」
『私も行く』
ミテイが言った。
『石の中を通る光なら、見つけられる』
リュミエラが彼女を見る。
「命令ではないわよ」
『選んだ』
簡潔な返事だった。
ゼラスも反対しなかった。
「なら、城壁側の流れを見ろ。無理に捕まえようとするな」
『分かった』
方針が決まると、リュミエラは魔皇へ報告するため部屋を出た。
ミテイも訓練塔の構造を確認するため、護衛とともに向かう。
残されたリズナは、窓の外へ目を向けた。
西の空は、夕暮れの色を残している。
「怖くないとは言わないのか?」
ゼラスが尋ねた。
「怖いわよ」
リズナは正直に答えた。
「でも、あんたがいるでしょう」
「俺がいれば何でも安全だと思うな」
「あら。守ってくれないの?」
「守る」
即答だった。
リズナが振り返る。
ゼラスはいつもの顔をしていたが、その言葉には迷いがない。
「ただ、お前自身も逃げる準備はしておけ。俺が止めろと言ったら、理由を聞く前に離れろ」
「了解」
リズナは笑い、結んだ髪を揺らした。
ゼラスの視線が、一瞬だけそちらへ引かれる。
「……何?」
「何でもない」
「ふうん」
今は追及せず、リズナは楽しそうに前を向いた。
その夜。
四人は城の西端にある訓練塔へ移った。
窓も扉も閉じられ、周囲の防護術式だけが一時的に弱められる。
リズナが中央に立つ。
ゼラスは十歩離れた場所で、空間へ指をかざした。
「来るまで待つ。何も起きなければ、夜明けで終わりだ」
『もう来ている』
壁へ触れていたミテイが告げた。
次の瞬間。
塔の石壁を、青白い線が一斉に走った。
無数の光が枝分かれしながらリズナへ集まり、その足元に円を描く。
ゼラスが腕を振る。
「捕まえた」
光の円が激しく揺れた。
床の上に、西方天測所の観測塔が淡く映し出される。
その最上部。
誰もいないはずの窓の内側に、人影が立っていた。
人影は遠く離れたリズナを見つめ、ゆっくりと口を開く。
音のないはずの塔に、声が響いた。
『――ようやく、戻ってきた』




