第七十八話 隣にいる理由
翌朝、四人は魔皇城の訓練場に集まっていた。
ミテイの魔法が、建物の調査にどこまで使えるのかを確かめるためだ。
広い石造りの訓練場には、試験用の壁がいくつか並べられている。
表面からは分からない亀裂や、意図的に埋め込まれた異物が内部に隠されていた。
シェルミアは記録板を構え、ミテイへ告げる。
「壊す必要はないよ。昨日と同じように、中の違いを探してみて」
『分かった』
ミテイが石壁へ手を触れる。
灰色の魔力が細い枝となり、内部へ伸びていく。
少しして、壁の表面に淡い線が浮かび上がった。
亀裂の位置は正確だった。
だが、中央付近で魔力の枝が不自然に途切れる。
ミテイが僅かに眉を寄せた。
『進まない』
「何か埋まっているのかもしれないね」
シェルミアが記録板へ視線を落とす。
「その位置には、魔力を散らす鉱石が入っているよ」
ミテイは別の方向から魔力を伸ばした。
しかし、灰色の枝は鉱石の周囲で乱れ、壁の奥まで届かない。
ゼラスが壁を見ながら言う。
「正面から押す必要はない」
『別の道を探す?』
「ああ。遮られてるなら、避ければいい」
ミテイは魔力を一度引いた。
今度は壁の下へ細く潜らせ、鉱石を迂回する。
枝は奥へ届いたが、途中で形が崩れた。
「繊細な制御には、まだ慣れてないみたいね」
リズナが言う。
『細くすると、途切れる』
「それなら、少し支えを入れてみましょうか」
リズナがミテイの隣へ立った。
「風を壁へ押し込むのではなく、外側から流れを整えるわ。ミテイはその中を通してみて」
『できる?』
「やってみないと分からないわね」
リズナは壁の表面へ手を向ける。
柔らかな風が石壁を包み、灰色の魔力が乱れていた場所を静かに押さえた。
『もう一度する』
ミテイの魔力が伸びる。
今度は途中で揺らがない。
風に守られた枝が鉱石を迂回し、壁の奥に隠された空洞へ届いた。
淡い線が、内部の形を正確に描き出す。
「成功だね」
シェルミアが満足そうに頷く。
ミテイは壁から手を離し、リズナを見る。
『リズナの風があったから届いた』
「ミテイが自分で道を見つけたからよ。あたしは少し整えただけ」
「少し、ね」
ゼラスが呟く。
リズナが振り返る。
「何よ」
「かなり細かく制御してただろ」
「このくらいなら問題ないわ」
「そうか」
それだけ言うと、ゼラスは次の試験壁へ向かった。
リズナは一瞬だけ彼の背中を見る。
褒められたのかどうか分かりにくい。
けれど、ゼラスが彼女の技量を正確に見ていたことは分かった。
ミテイも、そんな二人を見ていた。
次の試験では、壁の内部に複数の空洞が作られていた。
ミテイが一つずつ位置を探り、シェルミアが結果を記録していく。
最後の空洞だけは、他より深い場所にある。
灰色の魔力が届く直前、壁の中に仕込まれた術式が起動した。
石壁の一部が崩れ、拳ほどの石がミテイへ飛ぶ。
リズナが剣へ手を伸ばすより早く、ゼラスの収納魔法が開いた。
鞘に入ったままの剣がミテイの前へ現れ、石を受け止める。
同時に、別の剣がシェルミアの記録板を庇うように床へ突き立った。
二本とも、次の瞬間には消えていた。
「今のも試験に入っていたの?」
リズナがシェルミアを見る。
「崩れる可能性は聞いていたけど、飛ぶとは思わなかったね」
「先に言ってください」
「すまないね」
リズナはミテイの身体を確認する。
「怪我は?」
『ない』
「ならよかったわ」
ゼラスは崩れた壁へ近づいた。
「防護術式の向きが悪い。内側へ崩すはずが、外へ弾いてる」
シェルミアが記録を確認する。
「本当だ。整備担当へ報告しておくよ」
『ゼラスは、二つ同時に出した』
ミテイが言う。
「近かったからな」
『私と、シェルミアを守った』
「届く場所にいた。それだけだ」
ミテイは少し考え、リズナを見る。
『リズナも、同じことをする?』
「たぶんね」
「たぶんでは困る」
ゼラスが言う。
リズナは彼を横目で見た。
「するわよ。あんたに言われなくても」
「ああ。知ってる」
ゼラスは当然のように答えた。
リズナは何も返さなかった。
ただ、剣の柄へ置いていた手を静かに下ろした。
試験が終わると、シェルミアは記録を整理するために執務室へ向かった。
アーヴェルとの約束があるため、今日も夕方には帰るらしい。
ゼラスは訓練場に残り、壊れた試験壁の術式を確認していた。
リズナとミテイは先に客室区画へ戻ることになった。
廊下を歩いている途中、ミテイが口を開く。
『リズナ』
「何?」
『ゼラスは、リズナの力を知っている』
「一緒に戦ってきたもの」
『リズナも、ゼラスが何をするか分かっている』
リズナは少し考える。
「全部ではないわ。収納魔法のことだって、知らないことばかりだったでしょう?」
『でも、危ない時は動くと知っている』
「それは、まあ……そうね」
ミテイはそれ以上すぐには続けなかった。
部屋の前まで来ると、ポケットから昨日の果実を取り出す。
少し形が崩れていた。
『潰れた』
「だからゼラスが言ったでしょう」
リズナは笑いながら果実を受け取る。
「まだ食べられそうだけど、次からは硬い物を入れた方がいいわね」
ミテイは自分のポケットを見る。
『ゼラスに預ければ、潰れなかった』
「そうね」
『でも、自分で持ちたかった』
「それも分かるわ」
二人はミテイの部屋へ入った。
リズナが果実を皿へ置くと、ミテイは窓辺の椅子へ座る。
しばらく外を見た後、静かに尋ねた。
『リズナは、ゼラスの何が好き?』
リズナの手が止まった。
以前なら、すぐに否定するか、話を逸らしていたかもしれない。
だが、ミテイはからかっているわけではない。
ただ、知ろうとしている。
「……難しいことを聞くのね」
リズナは向かいの椅子へ腰を下ろした。
強いから。
助けてもらったから。
最初に浮かんだのは、そんな理由だった。
けれど、それだけではないことも分かっている。
「あいつ、あたしを守るくせに、守られるだけの相手にはしないのよ」
ミテイは黙って聞いている。
「あたしの風も、剣も、判断も、必要な時はちゃんと頼る。危ないから下がっていろ、なんて勝手に決めたりしない」
異大陸から来たばかりの頃。
何も知らず、帰る場所さえ分からなかったリズナを、ゼラスは弱者として扱わなかった。
助けはした。
だが、選択まで奪わなかった。
「珍しい異大陸人とか、風の器とか、そういうものより先に、あたしを見てくれたの」
口にしてから、リズナは少し気恥ずかしくなった。
それでも、言葉を止めなかった。
「それに、一人で何でもできそうな顔をしてるくせに、放っておくと本当に全部一人で背負うから」
『だから、隣にいる?』
「……たぶんね」
リズナは窓の外へ目を向ける。
「最初は、あたしが助けてもらう側だった。でも今は、あいつが一人で行こうとしたら止めたいと思う」
『守りたい?』
「守れる時はね」
リズナは小さく笑った。
「ゼラスの方がずっと強いけど、強いから一人でいいわけじゃないでしょう?」
ミテイは訓練場での二人を思い出した。
ゼラスはリズナの風を疑わなかった。
リズナも、ゼラスが危険を見過ごさないと知っていた。
『一緒にいると、足りないところが埋まる』
「そんな綺麗なものでもないわよ。腹が立つことも多いし」
『怒っても、好きは消えない』
「アーヴェルさんとシェルミアさんの話を、ちゃんと覚えていたのね」
『うん』
リズナは困ったように笑った。
「好きになった理由は、一つじゃないのよ。気づいた時には、隣にいるのが当たり前になっていたの」
その時、扉が二度叩かれた。
「入るぞ」
ゼラスの声だった。
リズナの肩が僅かに跳ねる。
「ちょっと待って」
返事をするより先に、扉の向こうから声が返る。
「俺の話をしてただろ」
リズナは目を見開いた。
「聞いてたの?」
「全部じゃない。廊下まで名前が聞こえた」
『ゼラスの好きなところを聞いた』
「ミテイ」
リズナが静かに呼ぶ。
怒ってはいない。
ただ、耳が分かりやすく赤くなっていた。
扉の向こうで、短い沈黙があった。
「……そうか」
ゼラスの声は、普段より僅かに低かった。
「それだけ?」
リズナが思わず尋ねる。
「今ここで返事を求めてるのか?」
「求めてないわよ」
「なら、後でいいだろ」
『今は』
ミテイが言う。
扉の向こうから、ゼラスのため息が聞こえた。
「本当にそこだけは忘れないな」
リズナは俯きながら、小さく笑った。
ゼラスは気づいている。
聞かなかったふりもしない。
けれど、今すぐ答えを奪うこともしなかった。
それもまた、リズナが彼の隣にいる理由の一つだった。




