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千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第四章 皇都の五人編
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第七十五話 止めてと言う



朝の光が、窓から静かに差し込んでいた。


ミテイは寝台の上で目を開ける。


眠っていた時間は長くない。


それでも、身体の奥に残っていた疲労は、昨夜よりも薄くなっていた。


窓の外では、夜の闇が青みを帯び始めている。


迷宮では見たことのない、一日の始まりだった。


ミテイは上体を起こし、少し開いたままの扉を見る。


廊下の灯りが、細い線となって床へ伸びていた。


昨夜は、自分で開けておくことを選んだ。


今は、閉じても平気だと思った。


寝台から降り、扉へ歩み寄る。


廊下に人影はない。


だが、遠くには衛兵の気配がある。


誰も見えなくても、いなくなったわけではない。


ミテイは静かに扉を閉じた。


その直後、控えめな音が響く。


誰かが、外から扉を叩いた。


「ミテイ。起きてる?」


リズナの声だった。


ミテイは少しだけ間を置く。


『入っていい』


扉が開き、簡素な朝の服へ着替えたリズナが顔を覗かせた。


「おはよう。眠れた?」


『少し』


「深層の声は?」


『あの後は聞こえなかった』


「そう。よかった」


リズナは安堵したように息を吐く。


その手には、畳まれた衣服が抱えられていた。


「ひとまず、今日着る服を持ってきたわ。今の服のままでも動けるみたいだけど、検査の時はこちらの方がいいそうよ」


ミテイは差し出された衣服を見る。


白いシャツと、淡い灰色の長衣。


身体を締めつけず、袖を捲りやすい形になっている。


『検査の服』


「そうね。今日は身体と魔力を調べてもらうから」


ミテイは服を受け取った。


『リズナも来る?』


「ミテイがいてほしいなら」


『いてほしい』


迷いのない返事だった。


リズナは柔らかく頷く。


「分かったわ」


ミテイはもう一度、閉じた扉を見た。


昨夜は、開けておくことを選んだ。


今朝は閉じた。


どちらも、自分が決めたことだった。




検査が行われるのは、魔皇城の医療区画だった。


白い石壁に囲まれた部屋には、寝台と机のほか、魔力を測定するための魔道具が並べられている。


中央には、半透明の結晶を組み込んだ円形の台が置かれていた。


部屋にいるのは、リュミエラと宮廷魔導医、それにゼラスとリズナだけだ。


情報が外へ漏れることを避けるため、担当者も最低限に絞られている。


「シェルミアはいないの?」


リズナが尋ねる。


「午後から来ると連絡があったわ」


リュミエラが答える。


「アーヴェルが、朝のうちは休ませるそうよ」


「妥当だな」


ゼラスが即座に言う。


「記録板を取り上げられていなければ、徹夜していたでしょうね」


「取り上げて正解だったな」


二人の意見が一致する。


ミテイは用意された椅子へ腰を下ろし、室内の魔道具を観察していた。


宮廷魔導医が彼女の前へ立つ。


年配の女性魔族だった。


「これから、三つの確認を行います」


落ち着いた声で説明する。


「身体が食事や睡眠によって回復しているか。魔力が自力で循環しているか。そして、迷宮から受けていた命令がどのような形で残っているかです」


『痛い?』


「最初の二つは、ほとんど痛みません。最後の確認は、不快感が出る可能性があります」


魔導医は誤魔化さなかった。


「少しでも異常を感じたら、すぐに言ってください。あなたが止めてほしいと言えば、その時点で中止します」


ミテイは結晶台へ目を向ける。


『分かった』


「誰かに退室してほしい場合も、遠慮なく言ってください」


ミテイは三人を見る。


『このままでいい』


「では、始めましょう」


最初に行われたのは、身体の状態を確認する検査だった。


手首と首元へ小さな測定具を当て、体温に似た変化と、体内を巡る光の流れを調べる。


魔導医が測定結果を記録板へ書き込む。


「昨夜の食事は、問題なく吸収されています」


「普通の魔族と同じように栄養を得られるのですか?」


リズナが尋ねた。


「完全に同じではありません」


魔導医は測定具を外した。


「食事を身体へ取り込むことはできますが、活動に必要な力の多くは魔力から得ています。食事だけで維持するより、少量の魔力回復薬を併用した方が安定するでしょう」


「つまり、食べられるが、必須ではない?」


ゼラスが確認する。


「現時点では、その可能性が高いです。ただし、味覚や消化機能が存在する以上、食事が身体や精神へ与える影響は無視できません」


ミテイは昨夜食べた果実を思い出す。


必要だからではなく、もう一度食べたいと思ったもの。


食べなくても生きられることと、食べる意味がないことは別だった。


続いて、睡眠中の変化が確認された。


身体の修復速度は、起きている時よりも僅かに上がっていた。


眠ることも、ミテイにとって無意味ではないらしい。


「身体としては、独立していると考えてよさそうね」


リュミエラが言う。


「はい。少なくとも、迷宮から常時魔力を供給されている状態ではありません」


次は、魔力循環の測定だった。


ミテイが円形の台へ立つ。


半透明の結晶へ淡い光が灯り、灰色の魔力が細い線となって浮かび上がった。


胸元から全身へ広がり、再び中心へ戻っている。


誰かから借りた魔力ではない。


ミテイ自身の中で生まれ、自分の身体を巡っていた。


ゼラスが腕を組んだまま、結晶の光を見る。


「乱れは少ないな」


「昨夜の反応も、今は残っていません」


魔導医が答える。


「循環の形は魔族に近いですが、魔力の性質は既存のどの系統にも一致しません」


『灰色』


「ええ。あなた自身の魔力です」


ミテイは結晶に映る光を静かに見つめた。


以前なら、そこに正しい名前があるかを尋ねていたかもしれない。


だが、今は必要なかった。


自分の色と同じように、自分の魔力もそこにある。


問題は最後の検査だった。


魔導医は、手のひらほどの小さな結晶を取り出す。


「この魔道具で、体内に残っている異質な流れを探ります」


『深く入る?』


「魔力だけを触れさせます。身体へ器具を入れることはありません」


ミテイは一度頷いた。


「始めます」


結晶が胸元へ近づく。


淡い光が、ミテイの身体を包んだ。


最初は何も起きなかった。


魔導医が流す魔力を、僅かに強める。


その瞬間。


胸の奥で、何かが開いた。


――戻れ。


昨夜よりも鮮明な命令が響く。


――空白へ戻れ。


ミテイの指が震えた。


灰色の魔力に、白い光が混ざる。


円形の台を覆う光が急激に強くなった。


「反応が出ました」


魔導医が結晶へ意識を集中させる。


「もう少しだけ深部を――」


『止めて』


大きな声ではなかった。


だが、はっきりと届いた。


魔導医は即座に結晶を離す。


リュミエラも同時に測定台の術式を止めた。


部屋を満たしていた光が消える。


ゼラスがミテイの前へ出る。


「身体は動くか」


『動く』


「命令は?」


『消えていく』


リズナは手を伸ばしかけ、途中で止めた。


「触っても大丈夫?」


ミテイが頷く。


リズナはその手を静かに握った。


冷たかった指先へ、少しずつ温かさが戻っていく。


魔導医が深く頭を下げた。


「申し訳ありません。想定より強く反応しました」


ミテイは呼吸を整えながら、胸元へ手を置く。


『止めてと言った』


「はい」


『すぐに止まった』


「当然です」


魔導医は真剣な表情で答えた。


「検査より、あなたの安全が優先されます」


ミテイは結晶台を見る。


迷宮では、嫌だと思っても機能は止まらなかった。


戻りたくないと思っても、身体は命令へ従おうとした。


けれど、ここでは一つの言葉で全てが止まった。


リュミエラがミテイの様子を確かめる。


「今日は、これ以上深く調べないわ」


『まだ途中』


「そうね。でも、続けるかどうかは、あなたの身体が落ち着いてから考えればいい」


ミテイは少し考えた。


『次は、始める前に、どこまで触るか教えて』


「分かったわ」


『私が、続けるか決める』


「ええ」


リュミエラが頷く。


それ以上の説明は必要なかった。




しばらく休んだ後、最後に簡単な魔法の確認だけが行われた。


身体へ干渉する検査ではない。


ミテイ自身が、今できることを見せるためのものだった。


机の上に、厚い石板が置かれる。


内部には、外から見えないようにいくつかの亀裂が刻まれている。


「壊す必要はありません」


魔導医が説明する。


「中の状態を感じ取れるか、試してください」


ミテイは石板へ手を置いた。


灰色の魔力が、指先から細い枝のように伸びる。


石の中へ入り込み、表面からは見えない道を辿っていく。


ほどなくして、石板の上に淡い線が浮かび上がった。


一本。


二本。


途中で枝分かれし、内部の亀裂と同じ形を描いている。


「全て一致しています」


魔導医が驚いたように記録を見る。


「内部構造を直接感じ取っているのでしょうか」


『見えてはいない』


ミテイは石板から手を離す。


『触れた魔力が、途切れる場所が分かる』


ゼラスが浮かび上がった線を見る。


「迷宮の罠だけじゃなく、建物や防壁の異常も探せそうだな」


「人の身体にも使えるの?」


リズナが尋ねた。


ミテイは首を横へ振った。


『今は、石の方が分かりやすい』


「なら、無理に広げる必要はない」


ゼラスが言う。


「できることから使えばいい」


ミテイは石板へ浮かぶ灰色の線を見る。


迷宮が与えた記録を再生したものではない。


四人の魔法を真似たものでもない。


空白へ戻ることを拒んだ時、自分で選んだ魔力の形だった。


『これは、私の魔法』


「ああ」


ゼラスの返事は短かった。


それで十分だった。




検査を終える頃には、朝の光が部屋いっぱいに差し込んでいた。


魔導医は測定結果をまとめ、リュミエラへ記録板を渡す。


「現時点で、直ちに隔離が必要な兆候はありません。ただし、深部への刺激は慎重に行うべきです」


「次回は、本人と手順を確認した上で行います」


リュミエラが答える。


「今日のように、本人が中止を求めた場合は即座に止める。それを記録にも明記しておいて」


「承知いたしました」


部屋を出る前に、ミテイは先ほど使った結晶を振り返った。


怖さが消えたわけではない。


深層の命令も、まだ身体の奥に残っている。


それでも、以前とは違うことが一つある。


命令に耐えるだけではなく、自分から止めることができた。


廊下へ出ると、リズナが隣へ並ぶ。


「疲れた?」


『少し』


「今日は、もう難しいことはしない方がよさそうね」


リュミエラが微笑む。


「この後は、ミテイの服を選びに行きましょうか」


ミテイの足が止まる。


『服』


「昨日、話したでしょう? 今度は検査用ではなく、普段着るものよ」


『私が選ぶ』


「ええ」


先ほどまで強張っていた表情が、僅かに和らいだ。


ゼラスが廊下の壁へ寄りかかる。


「俺は行かなくていいだろ」


リズナが彼を見る。


「どうして?」


「服を選ぶのに俺が必要か?」


「荷物を持つ人は必要かもしれないわね」


「侍女に頼め」


『ゼラスにも見てほしい』


ミテイが言う。


ゼラスは黙った。


リズナの口元に、小さな笑みが浮かぶ。


「必要みたいね」


「……見るだけだぞ」


『分かった』


ミテイはそれ以上問いを重ねなかった。


自分で選ぶ。


嫌なら止める。


必要なら頼む。


一つずつ覚えたことは、もう説明されなくても使える。


四人は、皇都の商店が開き始める時間を待つため、客室区画へ戻っていった。

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