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千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第四章 皇都の五人編
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第七十四話 ミテイの部屋



シェルミアとアーヴェルを見送った後、リュミエラは三人とミテイを城の奥へ案内した。


向かう先は、客人用の居住区だった。


政務に使われる区画からは離れており、夜になると人の行き来も少ない。


長い廊下の壁には淡い光を放つ魔道具が等間隔に並び、窓の外には夜の庭園が広がっている。


ミテイは歩きながら、左右に並ぶ扉を見ていた。


『全部、部屋?』


「ええ」


リュミエラが答える。


「城に滞在する客人や、遠方から来た使者が使う場所よ」


『誰もいない部屋もある?』


「今は空いている部屋の方が多いわね」


『空白』


ミテイが足を止めかける。


ゼラスが横目を向けた。


「部屋が空いてるだけだ。お前がいた空白とは違う」


『違う?』


「ああ。使う者が来るまで、何も置かれていないわけじゃない」


扉の向こうには、寝台も机も椅子もある。


誰もいないからといって、存在まで消えるわけではない。


ミテイは並んだ扉をもう一度見た。


『待っている部屋』


「そう考えてもいいわね」


リュミエラが微笑む。


廊下の突き当たりには、二人の侍女が待っていた。


リュミエラの姿を確認すると、揃って頭を下げる。


「お部屋の準備は整っております」


「ありがとう。あとは私たちで決めるわ」


「承知いたしました」


侍女たちは一礼し、その場を離れた。


ミテイが遠ざかる背中を見る。


『決める?』


「あなたに使ってもらえそうな部屋を、三つ用意してもらったの」


リュミエラは近くの扉へ手をかけた。


『どの部屋が、私?』


「それを今から、ミテイが選ぶのよ」


ミテイは動きを止めた。


『私が?』


「ええ」


『正しい部屋を選ぶ?』


「正解はないわ」


リュミエラが扉を開く。


「自分が過ごしたいと思う部屋を選べばいいの」


『間違えても、壊れない?』


「部屋は壊れない」


ゼラスが答える。


「気に入らなければ、後で変えればいい」


『選び直してもいい?』


「ああ」


『命令ではない?』


「今日はそればかりだな」


ゼラスは小さく息を吐いた。


「好きな部屋を選べ。俺たちは意見を言うだけだ」


ミテイは三人の顔を順番に見てから、最初の部屋へ入った。




一つ目の部屋は広かった。


大きな寝台に、長い机。


壁には装飾が施され、天井からは光の魔道具が吊るされている。


奥には衣装を収納するための大きな棚もあった。


ミテイは中央まで進み、その場で一周する。


『広い』


「落ち着かない?」


リズナが尋ねた。


『離れている』


「何が?」


『寝台と扉』


確かに、寝台から入口まではかなり距離がある。


『誰かが入っても、すぐ分からない』


リズナは扉から寝台までの距離を確認した。


「音は聞こえると思うけど、ミテイには広すぎるかもしれないわね」


『リズナは、ここがいい?』


「あたしが選ぶなら、もう少し小さい方が好きかしら」


『ゼラスは?』


「寝られればどこでもいい」


「それでは参考にならないでしょう」


「部屋にこだわりがないんだから仕方ないだろ」


ミテイはリュミエラを見る。


『リュミエラは?』


「この部屋も悪くはないわ。でも、決めるのは私たちではないわよ」


『私』


「そう」


ミテイは広い部屋をもう一度見回した。


『次を見る』




二つ目の部屋は、一つ目より狭かった。


寝台と机が近く、扉からも部屋全体を見渡せる。


ミテイは中へ入ると、すぐに窓がないことに気づいた。


代わりに、壁へ光を映す魔道具が置かれている。


『外が見えない』


「この部屋は建物の内側にあるからね」


リュミエラが説明する。


「その分、外からの音はほとんど聞こえないわ」


ミテイは壁へ手を触れた。


迷宮の石壁とは違う。


冷たさは少なく、触れても何の声も返ってこない。


『この壁は、記録する?』


「いいえ」


『見ている?』


「見ていないわ」


『城は、私が何をするか知らない?』


「安全のための術式はあるけれど、あなたの言葉や行動を記録するものではないわ」


リュミエラは壁に刻まれた小さな術式を指で示した。


「強い魔力の暴走や、部屋の中で危険が起きた時に知らせるだけよ」


『私の考えは?』


「分からないわ」


『言わなければ、誰も知らない?』


「ええ」


ミテイは壁から手を離した。


『迷宮と違う』


「ここは、あなたから記録を集めるための場所ではないもの」


『でも、監視する』


リュミエラの表情が僅かに引き締まる。


「そうね。魔皇陛下がおっしゃったとおり、今のあなたを完全に自由にすることはできないわ」


『この部屋の中にも、誰かいる?』


「人はいないわ。部屋の外には、夜間も衛兵がいる」


『私が逃げないように?』


「それも理由の一つよ」


リュミエラは誤魔化さなかった。


「でも、あなたに異変が起きた時、すぐ助けられるようにするためでもある」


『両方』


「ええ。警戒と保護は、同時に存在することがあるわ」


ミテイは先ほどのアーヴェルを思い出したように呟く。


『怒っていても、好きと同じ』


「少し似ているかもしれないわね」


ミテイは窓のない壁を見た。


『次を見る』




三つ目の部屋は、廊下の角にあった。


扉を開くと、柔らかな夜風が頬を撫でる。


奥に大きな窓があり、庭園と、その向こうに広がる皇都の灯りが見えた。


さらに上には、雲の少ない夜空がある。


ミテイは部屋へ入ると、真っすぐ窓へ向かった。


両手を窓枠へ置き、外を見上げる。


『空』


「気に入った?」


リズナが隣へ立つ。


『迷宮には、なかった』


「そうね」


『地上へ出た時に見たものと、同じ』


「同じ空よ」


『でも、暗い』


「夜だからね。朝になれば明るくなるわ」


『毎日、変わる?』


「雲も、色も、光も変わるわよ」


ミテイはしばらく夜空を見つめていた。


広さは、一つ目の部屋ほどではない。


それでも、寝台と小さな机、椅子、衣装棚を置いて余裕がある。


扉から部屋全体を確認でき、窓からは庭園が見える。


寝台の脇には、呼び鈴として使う小さな魔道具も置かれていた。


『ここがいい』


三人が顔を見合わせる。


リュミエラが確認した。


「もう決めるの?」


『決めた』


「他の部屋をもう一度見比べなくてもいいのか?」


ゼラスが尋ねる。


『ここは、空が見える』


その返事に迷いはなかった。


「なら、ここにしましょう」


リュミエラが頷く。


『ここが、私の部屋?』


「ええ。城に滞在している間は、ここをミテイの部屋として使っていいわ」


ミテイは窓から振り返る。


『私だけの?』


「基本的には、そうよ」


『ゼラスも入れない?』


「お前が入れるなら入れる」


ゼラスが答えた。


『リズナも?』


「ミテイが入っていいと言った時だけね」


『リュミエラも?』


「同じよ。必要があって訪ねる時も、先に扉を叩くわ」


ミテイの視線が扉へ向く。


『勝手に入らない?』


「緊急時を除けばね」


リュミエラは扉の内側にある鍵を示した。


「内側から鍵をかけることもできるわ。ただし、危険が起きた場合は、外から開けられるようになっているの」


『閉じてもいい』


「ええ」


『開けてもいい』


「もちろん」


『誰かが決めるのではなく、私が決める』


「そうよ」


ミテイは扉と鍵を見つめた。


迷宮では、扉は進路を制限するものだった。


閉じれば塞がれ、開けば先へ進む。


誰か一人のために存在するものではない。


この扉は違う。


閉めるかどうかを、自分で決めることができる。


『部屋は、身体に似ている』


リズナが首を傾げた。


「どういう意味?」


『中へ入れていい人を、私が決める』


リュミエラの目が僅かに見開かれる。


それから、柔らかく頷いた。


「ええ。その考えは、とても大切よ」


『嫌なら、入れない』


「そう」


『触られたくない時も、言っていい?』


「言っていいわ」


『調べる時も?』


「もちろんよ。明日から身体や魔力の検査をするけれど、何をするのかは事前に説明させるわ」


リュミエラはミテイの前へ立つ。


「分からないことがあれば聞いて。嫌だと思ったら止めていい。怖い時も、怖いと言っていいのよ」


『止めたら、役に立たない?』


「検査を受けることだけが、あなたの役目ではないわ」


『でも、私は迷宮を知っている』


「だからといって、全てを差し出す必要はない」


ゼラスが壁へ背を預けたまま言う。


「必要なことは協力すればいい。だが、お前自身まで道具に戻る必要はない」


『道具に戻らない』


「ああ」


『私は、ミテイ』


「それも、もう何度も聞いた」


ゼラスの言葉は素っ気ない。


けれど、ミテイは僅かに目を細めた。


『何度言っても、同じ?』


「お前が変えない限りはな」


『嬉しい』


「そうか」


リズナが二人のやり取りを見て、小さく笑う。


「ゼラスも、少しは言い方を柔らかくすればいいのに」


「十分柔らかいだろ」


「自分で言うのね」


『ゼラスは、柔らかくない』


「お前まで言うのか」


ミテイは寝台へ近づき、手のひらで掛布に触れた。


『柔らかい』


「それと比べるな」


リズナが堪えきれずに笑った。




部屋には、すでに最低限の生活用品が用意されていた。


水差し。


洗面用の布。


小さな鏡。


寝間着として使える簡素な服。


机の引き出しには、何も入っていない。


ミテイは引き出しを一つずつ開き、中を確かめた。


『空』


「これから入れるものを決める場所よ」


リュミエラが答える。


『何を入れる?』


「服でも、本でも、あなたが大切だと思ったものでもいいわ」


『私のもの』


「明日は服も選びましょうね」


『今の服では駄目?』


「駄目ではないわ。ただ、同じ服をずっと着続けるわけにもいかないでしょう?」


ミテイは自分の白と淡い青を基調とした衣服を見る。


迷宮を出る際、魔力で形を整えたものだ。


破損した部分は修復しているが、普通の布で作られた服とは異なる。


『服も選ぶ?』


「ええ。形も、生地も、色もね」


『正しい服はない?』


「公的な場所では決まりもあるけれど、普段着なら好きなものを選んでいいわ」


『私の色』


ミテイは淡い青灰色の髪へ触れた。


「髪と同じ色を選んでもいいし、まったく違う色でもいいのよ」


『違っても、私の服?』


「あなたが選んだのならね」


ミテイは鏡の前へ立った。


灰色の瞳。


淡い青灰色の短い髪。


細く尖った耳。


白い肌。


迷宮の中で、四人の記録から形作られた姿。


けれど、今鏡に映っている表情は、誰かの記録を再現したものではない。


『これは、私の顔?』


リズナが鏡越しにミテイを見る。


「そうよ」


『四人から作った』


「最初はね」


『今も、借りている?』


リズナはすぐには答えなかった。


鏡に映るミテイを見ながら、言葉を選ぶ。


「誰かに似ている部分はあるかもしれないわ。でも、今その顔で考えて、選んで、笑っているのはミテイでしょう?」


『笑っている?』


「今は少しだけね」


ミテイは自分の口元へ指を触れた。


確かに、ほんの僅かに上がっていた。


『記録していない』


「ええ」


『勝手に動いた』


「それがミテイの表情なのよ」


ミテイは鏡をしばらく見つめた後、静かに頷いた。




「それでは、今夜はここで休んでみましょう」


リュミエラが告げる。


ミテイは寝台を見る。


『眠れるか、分からない』


「帰還中にも、目を閉じて動かなくなる時間はあったでしょう?」


リズナが尋ねる。


『身体を止めていた』


「その間、意識は?」


『少し薄くなった』


「なら、眠りに近いのかもしれないわね」


リュミエラが呼び鈴の魔道具を手に取る。


「何かあれば、ここへ魔力を少し流して。廊下の衛兵と、近くの侍女へ伝わるわ」


『強く流す?』


「ほんの少しでいいわ。強く流すと壊れてしまうかもしれないから」


ゼラスが呼び鈴を見る。


「ミテイの少しが、普通の少しと同じとは限らないぞ」


「そうね」


リュミエラは少し考え、魔力を使わずに押せる小さな突起を示した。


「最初はこちらを使いましょう。押せば音が届くわ」


ミテイが指先で軽く押す。


廊下の向こうから、小さな鐘の音が返ってきた。


すぐに扉が叩かれる。


「お呼びでしょうか」


外にいた侍女の声だった。


ミテイが扉を見る。


『来た』


リュミエラが扉を開ける。


「試しただけよ。ありがとう」


「承知いたしました」


侍女は一礼し、再び廊下へ戻った。


『押すと、誰かが来る』


「ええ」


『押さなければ、一人』


「そうね」


『一人は、捨てられたことと違う?』


部屋の空気が静かになる。


リズナがミテイの近くへ歩み寄った。


「違うわ」


『誰も部屋にいない』


「今は、ミテイが一人で休めるように外へ出るだけよ」


『見えなくなる』


「見えなくなっても、いなくなるわけじゃない」


リズナは扉の方を示す。


「あたしの部屋も、この廊下に用意していただいているの。ゼラスも近くにいるし、リュミエラさんも城の中にいるわ」


「ええ。呼ばれれば来られる場所にいるわよ」


リュミエラも答える。


『シェルミアは?』


「今夜はアーヴェルと家に帰った」


ゼラスが言う。


「明日になれば戻ってくる」


『明日』


「ああ」


『見えなくても、戻る』


「そういうことだ」


ミテイは呼び鈴へ目を落とした。


『呼んでもいい?』


「用があればな」


『用がなくても?』


ゼラスが一瞬、答えに詰まる。


リズナが小さく笑った。


「不安なら、それも立派な用よ」


『不安も、用』


「ええ」


『寂しいも?』


「もちろん」


ミテイは胸へ手を置いた。


『まだ、寂しいが分からない』


「分からなくても、誰かに来てほしいと思ったら呼べばいいわ」


『来てほしい』


「今は、あたしたちがここにいるでしょう」


『出た後』


リズナはミテイの言葉を静かに受け止めた。


「その時も呼んでいいわ」


『分かった』




三人が部屋を出る前に、ミテイは扉の前へ立った。


内側の取っ手へ手をかける。


『閉じる』


「ええ」


リュミエラが頷く。


『また開けてもいい』


「いつでも」


ミテイはゆっくりと扉を閉めた。


三人の姿が細くなり、やがて見えなくなる。


扉が完全に閉じる。


静寂が訪れた。


迷宮の中とは違う静けさだった。


壁から命令は流れてこない。


足元から記録を求められることもない。


部屋には、自分の呼吸に似た小さな音だけが残る。


ミテイはしばらく扉を見つめた。


それから、もう一度取っ手を下げる。


扉を開ける。


廊下には、三人がまだ立っていた。


ゼラスが眉を上げる。


「どうした」


『いた』


「まだ出たばかりだ」


『閉じても、いなくならなかった』


「当然でしょう」


リズナはそう答えながら、柔らかく笑った。


『もう一度、閉じる』


「好きなだけ試せ」


ミテイは再び扉を閉めた。


今度は少し待ってから開ける。


三人はまだいた。


『いる』


「いつまでやる気だ」


ゼラスが小さく息を吐く。


『ゼラスは、嫌?』


「嫌ではないが、廊下で夜を明かすつもりもない」


『夜を明かす』


「朝までここに立つという意味よ」


リズナが説明する。


『それは駄目?』


「俺は寝たい」


「ゼラスはもう少し言い方があるでしょう」


「期待させる方がよくないだろ」


ミテイは少し考え、頷いた。


『分かった。次は、呼ぶ』


「ああ」


『今は、閉じる』


「おやすみ、ミテイ」


リズナが言う。


『おやすみ』


「良い夜を」


リュミエラも続ける。


ゼラスは軽く片手を上げた。


「何かあったら隠すな」


『隠さない』


扉が閉じる。


今度は、すぐには開かなかった。




ミテイは寝台へ腰を下ろした。


柔らかな布が、身体の重みを受け止める。


窓の外には夜空がある。


遠くの皇都では、いくつもの灯りが瞬いていた。


あの一つ一つにも、誰かが過ごす部屋があるのかもしれない。


ミテイは横になり、目を閉じた。


意識を薄くする。


身体を休ませる。


帰還中にも何度か繰り返した行為だった。


だが、今夜は周囲に四人の気配がない。


石の上を歩く足音も、保存食を分ける声も聞こえない。


しばらくすると、胸の奥で微かな揺れが起きた。


――戻れ。


音ではない。


迷宮の深層から流れ込んでいた命令の残滓。


身体の奥に残った、細い流れ。


――空白へ戻れ。


ミテイの指が掛布を掴む。


以前よりも弱い。


身体を支配するほどではない。


無視することもできる。


誰にも言わず、朝まで待つこともできる。


けれど、魔皇は異変があれば報告せよと言った。


ゼラスも、隠すなと言った。


それは命令だからではない。


ミテイ自身も、隠したくないと思った。


目を開ける。


寝台から立ち上がり、呼び鈴の前へ向かう。


指先を伸ばす。


僅かに迷った後、突起を押した。


廊下の向こうで鐘が鳴る。


すぐに扉が叩かれた。


「ミテイ、どうしたの?」


リズナの声だった。


『入っていい』


扉が開く。


寝間着へ着替える途中だったのか、リズナは上着を肩へ掛けただけの姿だった。


その後ろにはゼラスもいる。


さらに少し遅れて、リュミエラが廊下の向こうから歩いてきた。


三人とも、先ほどより表情が真剣になっている。


「何があった」


ゼラスが部屋へ入る。


ミテイは胸へ手を置いた。


『戻れと聞こえた』


リュミエラの目が鋭くなる。


「今も聞こえる?」


『もう消えた』


「身体を動かそうとしたか?」


『少し、胸が乱れた。でも、命令にはならなかった』


「どこかへ向かいたい感覚は?」


『ない』


ゼラスはミテイの前へ立ち、魔力の流れを確認する。


触れる前に手を止めた。


「腕に触るぞ」


ミテイは僅かに目を見開く。


それから頷いた。


『いい』


ゼラスが手首へ指を添える。


ミテイの体内を流れる灰色の魔力は、僅かに波立っていた。


だが、迷宮へ引かれている様子はない。


「今すぐ危険になる流れじゃない」


「明日、詳しく調べましょう」


リュミエラが言う。


「聞こえた言葉や、身体の変化も記録しておくわ」


『隠さなかった』


「ああ」


ゼラスは手を離した。


「それでいい」


『呼んでも、怒らない?』


「怒る理由がないだろ」


『眠っていた?』


「まだだ」


『眠っていても?』


ゼラスは短く息を吐いた。


「起こせ」


『迷惑ではない?』


「危険を隠される方が迷惑だ」


「ゼラスの言い方では少し分かりづらいわね」


リズナがミテイの隣へ立つ。


「夜中でも、怖かったり困ったりしたら呼んでいいのよ」


『怖いと、呼んでいい』


「ええ」


『今のは、少し怖かった』


ミテイは自分の言葉を確かめるように繰り返した。


『私は、怖かった』


「ちゃんと言えたわね」


リズナの声は穏やかだった。


ミテイは三人を見る。


扉を閉めても、いなくならなかった。


呼べば戻ってきた。


『今夜は、扉を少し開けてもいい?』


「もちろんよ」


リュミエラが答える。


『一人で選んだ』


「ええ」


『閉じることもできる。でも、今は開ける』


誰かに命じられたからではない。


一人になることを拒んだからでもない。


今の自分が、そうしたいと思った。


ゼラスが扉を少しだけ開けた状態で固定する。


廊下の光が、細い帯となって床へ伸びた。


「これでいいか」


『いい』


「なら、もう休め」


『ゼラス』


「何だ」


『来てくれて、ありがとう』


ゼラスは一瞬だけ黙った。


「呼ばれたから来ただけだ」


『それでも、ありがとう』


「ああ」


リズナが小さく笑う。


「おやすみ、ミテイ」


『おやすみ、リズナ』


「また明日ね」


『また明日、リュミエラ』


最後に、ミテイはゼラスを見る。


『おやすみ、ゼラス』


「おやすみ」


三人は部屋を出た。


扉は閉じ切らず、細く開いたまま残される。


ミテイは再び寝台へ横になった。


窓の外には空。


扉の向こうには、呼べば答える者たちがいる。


この部屋は、閉じ込めるための場所ではない。


誰にも奪われずに休み、外へ出て、また戻ってくるための場所だ。


『私の部屋』


小さく呟き、ミテイは目を閉じた。


今度は、深層の声が聞こえても一人ではないと知っていた。

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