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千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第三章 グラン・ラビリス編
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第七十一話 私はミテイ



案内された先は、正式な謁見の間ではなかった。


魔皇が日々の政務に使っている執務室だった。


重厚な机と、壁を埋める書棚。


華美な装飾こそ少ないが、床や壁には幾重もの防護術式が刻まれている。


魔皇の左右には側近と護衛が控えていた。


リュミエラが先頭に立ち、静かに頭を下げる。


「ただいま戻りました、魔皇陛下」


ゼラス、リズナ、シェルミアもそれに続いた。


ミテイは四人の動きを見てから、少し遅れて頭を下げる。


魔皇は五人を順に見渡した。


最後にミテイへ目を止めた後、側近たちへ告げる。


「報告を聞く前に、人を外す」


「しかし、陛下。そちらの者については――」


「リュミエラが自ら連れ帰った者だ」


魔皇はミテイから目を逸らさない。


「この部屋で私を害せるほどの力があるなら、護衛を数人残したところで結果は変わらぬ」


「……承知いたしました」


側近と護衛たちが、一礼して執務室を出ていく。


最後の一人が重い扉を閉めると、室内には魔皇と五人だけが残された。


静寂の中、魔皇が机の向こうから立ち上がる。


「リュミエラ」


「はい、父上」


魔皇は娘の前まで歩み寄った。


肩へ両手を置き、怪我がないか確かめるように、その姿を見つめる。


「……よく戻った」


短い言葉だった。


だが、そこにあったのは魔皇としての威厳ではない。


予定を過ぎても戻らなかった娘を待ち続けた、父親の安堵だった。


「随分とご心配をおかけしたようですね」


「予定を過ぎても連絡はない。迷宮の入口では異変が続いている。心配するなという方が無理だ」


「申し訳ありません」


「謝罪は、報告を聞いてからにしろ」


魔皇は僅かな間だけ、リュミエラを抱き寄せた。


「今は、無事に戻ったことを喜ばせてもらう」


「……はい」


リュミエラも、父の背へそっと腕を回す。


「ただいま戻りました、父上」


「ああ。おかえり、リュミエラ」


すぐに身体を離した魔皇は、いつもの落ち着いた表情へ戻った。


それでも、娘を見る目にはまだ柔らかさが残っている。


ミテイは、その様子を灰色の瞳で見つめていた。


『魔皇陛下は、リュミエラの父?』


「そうよ」


リュミエラが答える。


『リュミエラが戻って、嬉しい?』


魔皇がミテイを見る。


「その者については後で聞こう」


『はい』


「正式な謁見ではない。報告も長くなるだろう。座れ」


「承知いたしました」


ゼラスが背筋を伸ばし、丁寧に答えた。


隣にいたリズナが、思わず彼の顔を二度見する。


「……誰?」


「魔皇陛下の御前だ。静かにしていろ」


「喋り方が全然違うんだけど」


「陛下に無礼な口を利く理由はない」


「それはそうなんだけど……」


リズナは信じられないものを見るように、少年姿のゼラスを見つめた。


普段は、魔皇軍第一席であるリュミエラに対してさえ、昔からの調子をほとんど変えない。


そのゼラスが姿勢を正し、明確な敬語を使っている。


魔皇が僅かに口元を緩めた。


「その話し方を聞くのも久しいな、ゼラス」


「御前ですので」


「昔は、もう少し殊勝な側近だったと思うが」


「魔皇軍を離れて二百年です。多少は変わります」


「多少?」


リズナが小さく呟く。


ゼラスが横目を向けた。


「何か言ったか」


「何も言ってないわよ」


リズナへ向けた途端、いつもの口調へ戻っていた。


「切り替えが早すぎるのよ……」


シェルミアが記録板を応接卓へ置く。


「魔皇陛下。ご報告の前に、同行者をご紹介してもよろしいでしょうか」


「ああ。まずは、そちらの赤い髪の者から頼む」


魔皇の視線がリズナへ向けられた。


「転移事故によって、アスタリア大陸からガリオールへ流れ着いた魔族がいるとは報告を受けている。直接会うのは初めてだ」


リュミエラがリズナを手で示す。


「こちらがリズナちゃんです。外側の門で起きた異変を調べるため、ゼラスと共に行動してもらいました。今回の探索でも、彼女の風に何度も助けられています」


リズナは表情を引き締め、椅子から立ち上がった。


「リズナと申します。魔皇陛下にお目にかかれて光栄です」


「風を扱うと聞いている」


「はい。風魔法と剣を使います」


「アスタリア大陸でも、同じように戦っていたのか」


「はい。こちらへ来る前は、冒険者をしておりました」


魔皇は興味深そうにリズナを見る。


異大陸から来た珍しい者を眺めているだけではない。


一人の魔族として、その経験と能力を確かめようとする視線だった。


「外側の門は、お前を『風の器』と呼んだそうだな」


「……はい」


リズナの尖った耳が僅かに動いた。


「『炎の鍵』と呼ばれたゼラスは、この大陸で生まれた。対して、お前はアスタリア大陸から来た」


魔皇は指先で卓上を軽く叩く。


「異大陸の出身であることが関係しているのか。それとも、お前個人の魔力が選ばれたのか。偶然と片づけるには興味深い」


「申し訳ありません。あたし自身にも、理由は分かりません」


「責めているわけではない」


魔皇の声は穏やかだった。


「報告書で読むのと、本人から聞くのとでは違う。異大陸で生まれ、この地へ渡り、門に選ばれた者の言葉は貴重だ」


リズナが僅かに緊張を解く。


「アスタリア大陸とガリオールでは、違うことも多いか」


「はい。街や人の暮らしもそうですが、魔法や魔道具にも知らないものが多くて……こちらへ来たばかりの頃は、かなり戸惑いました」


「今はどうだ」


リズナは一瞬、ゼラスを見る。


少年姿の彼は、澄ました顔で卓上へ視線を向けていた。


「助けてもらいながら、少しずつ慣れています」


「誰に、とは聞かぬ方がよさそうだな」


「えっ?」


魔皇の視線がゼラスへ向く。


「事故転移の報告には、ゼラスが保護したと記されていた」


「必要な対応をしただけです」


また敬語になった。


リズナは隣で小さく肩を震わせる。


「故郷へ戻る手段は、まだ見つかっていないのだな」


魔皇が尋ねた。


「はい」


「関連する情報が得られれば、お前にも伝えよう。異大陸から来た者の存在は、この大陸にとっても無視できぬ」


「ありがとうございます、魔皇陛下」


リズナが深く頭を下げる。


「今後、改めてアスタリア大陸について話を聞かせてもらいたい。魔法や文化だけではない。お前がこちらへ来て何を見て、何を選んできたのかもだ」


「分かりました」


「今日は客人としてではなく、今回の異変を解決した一人として報告を聞かせてもらう」


「はい」


「座ってよい」


リズナが席へ戻る。


その隣で、ミテイが彼女を見ていた。


『リズナも、珍しい存在?』


「ミテイほどじゃないと思うわよ」


『違う大陸から来た』


「そうだけど」


『私と同じで、知らない場所へ来た?』


リズナは少し考えてから頷く。


「そうね。その点は似てるかもしれないわ」


『最初は、怖かった?』


「もちろんよ」


『今は?』


リズナはゼラスたちを見る。


「怖いことがなくなったわけじゃないけど、一人じゃないから」


ミテイは、その言葉を確かめるように頷いた。


魔皇の視線が、今度は彼女へ向く。


「では、もう一人も紹介してもらおう」


「迷宮の中で生まれた存在です」


リュミエラが答える。


「詳しい経緯は報告の中で説明いたしますが、現在の彼女は独立した身体と魔力循環を持っています」


ミテイが胸へ手を置いた。


『私は、ミテイ』


「その名は、誰が与えた」


『シェルミアが言った』


シェルミアが姿勢を正す。


「正確には、名前が決まっていなかったため、未定と口にしただけです。本人がそれを自分の名として選びました」


『私が選んだ』


「ならば、その名はお前のものか」


『うん』


リュミエラが小さく咳払いをする。


ミテイが彼女を見る。


「魔皇陛下へ返事をする時は、『はい』の方がいいわね」


『はい』


魔皇は僅かに目を細めた。


「まずは報告を聞こう」




リュミエラが、外側の門で起きた異変から説明を始めた。


ゼラスが炎の鍵、リズナが風の器と呼ばれたこと。


二人の魔力へ反応し、グラン・ラビリスの内部に、過去には存在しなかった経路が現れたこと。


白い存在が四人の姿と声を記録し、足りない情報を奪おうとしたこと。


第百階層で発見した中継門。


さらに深い場所から届いていた命令。


中継門を守るために生み出された白い巨人。


そして、ミテイを空白へ戻そうとした回収装置。


リュミエラは確認できた事実だけを、順序立てて説明していく。


シェルミアは必要に応じて記録板を開き、階層図や術式の写しを示した。


「第百階層への到達は、私の記録からも間違いございません」


普段より丁寧に話すシェルミアを見て、リズナは今度は彼女へ視線を向ける。


シェルミアが小声で尋ねた。


「どうしたの?」


「シェルミアさんまで、ちゃんと敬語を使えるんだと思って」


「私はいつでも使えるよ」


「普段から少し使ってください」


「リズナには必要ないからね」


「今は報告中だ」


ゼラスが低い声で注意する。


リズナは口を閉じた。


そのゼラスが魔皇へ向き直ると、再び別人のような口調になる。


「第百階層に存在した中継門は、私が破壊いたしました。外側の門へ続いていた干渉経路も、現在は停止していると考えられます」


リズナはまた横目で彼を見た。


「何だ」


「あたしには普通に喋るのね」


「当然だろ」


「本当に切り替えが早いわね……」


魔皇が小さく笑う。


「リズナ。ゼラスは昔から、この程度の使い分けはしていた」


「昔から……」


リズナは、礼儀正しく報告するゼラスを改めて見る。


今の少年姿からは想像しにくい。


だが、かつてリュミエラの部下として魔皇軍に属し、側近として行動していたのなら、今の態度こそ当時の姿なのだろう。


「なんだか、知らないゼラスを見てるみたい」


小さく呟く。


ゼラスは聞こえていたが、何も答えなかった。


報告が一段落すると、魔皇がシェルミアを見る。


「第百階層より下へ続く道は、本当に存在しなかったのか」


「今回も発見できませんでした」


シェルミアは丁寧に答える。


「ただし、深層から命令が届いていたことは間違いございません。第百階層が最深部ではない可能性は、以前よりも高くなりました」


「すぐに戻ろうとは考えていないだろうな」


「十分な準備と調査計画が必要だと考えております」


「今すぐには戻らないと答えろ」


「……今すぐには戻りません」


「間が長い」


「申し訳ございません」


リズナが小さく息を吐く。


魔皇が相手でも、迷宮に関するシェルミアの危うさは変わらないらしい。




魔皇の視線が、ミテイへ戻った。


「お前は、その白い存在と同じものなのか」


『元は、同じ』


リュミエラが補足する。


「迷宮の記録を集め、運び、足りない部分を補うための空白だったようです。ただし、現在のミテイは迷宮から独立した身体を持っています」


「独立していると、何をもって判断した」


「魔力が体内だけで循環しています。傷を負っても迷宮の壁から補われず、魔力回復薬を自分の身体で吸収できました」


魔皇はミテイの淡い青灰色の髪を見る。


「その髪も、最初からその色だったのか」


『最初は、色がなかった』


「魔力回復薬を吸収した後、自身の魔力が安定したことで色が現れたようです」


リュミエラが説明する。


ミテイは短い髪へ触れた。


『私の色』


「そう教えられたのか」


『リズナが教えた』


魔皇がリズナを見る。


「誰かの記録から借りた色ではないなら、ミテイ自身の色だと思いました」


「なるほど」


魔皇は僅かに頷く。


「姿は、四人の記録から作られたのか」


『はい』


「耳もか」


ミテイが細く尖った魔族耳へ触れる。


『四人とも、同じ形に近かった』


「四人全員が魔族ですので」


シェルミアが答えた。


魔皇は再びミテイを観察する。


異大陸から来たリズナへ向けていたものとは、また違う興味がその目に宿っていた。


リズナは、未知の土地から事故によって流れ着いた一人の魔族。


ミテイは、迷宮の機能から自らを切り離し、一個の存在になろうとしている者。


どちらも、これまでの常識だけでは測れない。


「異大陸から来た者と、迷宮から生まれた者か」


魔皇が静かに言う。


「今日だけで、随分と珍しい客を迎えたものだ」


『リズナと私は、同じ?』


「似ているところはある」


魔皇が答える。


「二人とも、それまで知らなかった場所へ来た。そして、この地でどう生きるかを選ぼうとしている」


ミテイはリズナを見る。


リズナも、少し驚いた顔で見返した。


「ただし、違いもある」


魔皇の声が低くなる。


「リズナは自らの意思に反して転移したが、誰かを傷つける機能として生まれたわけではない。お前には、深層からの命令が残っている」


『はい』


「四人を襲ったと聞いた」


『襲った』


「姿と声を奪ったのか」


『使った』


「殺そうとした」


ミテイの指が、僅かに髪を握る。


『殺そうとした』


「なぜだ」


『四人が、必要な記録だったから』


「今も必要か」


『違う』


「何が違う」


ミテイは四人を順番に見た。


『記録するだけでは、同じにならないと分かった』


『傷つけば、痛い』


『失えば、戻らないものがある』


『四人がいなくなるのは、嫌だ』


「それを誰かに教えられたのか」


『分からない』


ミテイは胸へ手を置く。


『思い出すと、ここが乱れた』


『もう一度したくないと思った』


「深層からの命令には、今も従うのか」


『帰れという流れが残っている』


「一度、従いかけたそうだな」


『身体が、戻ろうとした』


「お前自身は」


『戻りたくなかった』


「どうした」


『四人に、止めてほしいと言った』


「その後は?」


『自分の魔力で、命令を押さえた』


「次もできる保証はあるか」


ミテイは少し考える。


『ない』


室内へ沈黙が落ちた。


人払いがされているため、武器へ手を伸ばす兵士はいない。


だが、魔皇の視線は先ほどまでより鋭くなっていた。


「正直だな」


『隠し方が分からない』


「覚えるつもりは」


『ゼラスに、覚えなくていいと言われた』


魔皇の視線がゼラスへ移る。


「お前が教えたのか」


「はい。隠して発覚する方が、問題が大きくなると判断いたしました」


あまりにも整った返答だった。


リズナはまたゼラスを見る。


「本当に誰なの……」


「聞こえてるぞ」


小声だけは、いつものゼラスだった。


魔皇が尋ねる。


「ゼラス。お前はミテイをどう見る」


「当初は敵でした」


ゼラスは明確に答える。


「現在も、危険性が完全に消えたとは考えておりません。ですが、自ら命令に抵抗し、助けを求めました。今は仲間として扱っております」


『五人目』


「ああ」


ゼラスがミテイへ答えた後、魔皇へ視線を戻す。


「命令に負け、再び敵対するのであれば、私が止めます。敵へ戻らないために助けを求めるのであれば、再び手を貸します」


「お前がそこまで言うか」


「はい」


魔皇はリズナを見る。


「お前はどうだ。かつて襲われた相手を、仲間と呼べるのか」


リズナは背筋を伸ばした。


「あたしは、ミテイがしたことを忘れておりません」


一人称は普段のままだが、言葉は丁寧に選んでいる。


「あたしたちの姿や声を勝手に使われたことも、偽物のゼラスを見せられたことも、今でも嫌です」


ミテイの目が僅かに伏せられる。


「ですが、ミテイは自分のしたことを覚えています。なかったことにもしようとしていません」


リズナはミテイを見る。


「命令に従いそうになった時も、自分から助けを求めました。シェルミアさんが落ちそうになった時は、自分の傷が開いても助けています」


「全てを許したのか」


「あたしにも、まだ分かりません」


リズナは正直に答えた。


「でも、今はあたしたちの仲間です」


『五人目』


「そうよ」


リズナが頷く。


「あたしたちの五人目です」


魔皇はシェルミアへ視線を向ける。


「お前の判断は」


「危険性は残っております」


シェルミアは記録板を閉じた。


「ですが、ミテイは記録どおりに行動するだけの存在ではなくなっています。私を助けた時も、信用を得るためではなく、私が傷つくのが嫌だったからだと答えました」


『嫌だった』


「はい。そう言っていました」


シェルミアはミテイへ柔らかな視線を向ける。


「今のミテイは、観察対象である以前に、自分で選び始めた一人の存在だと考えております」


「リュミエラ」


「はい」


「お前は」


「私も同じ意見です」


リュミエラが答える。


「警戒と調査は必要です。けれど、ミテイの意思を無視し、迷宮の機能と同じものとして扱うべきではありません」


魔皇は五人の答えを聞き終えると、椅子へ深く腰を下ろした。


しばらく目を閉じる。


誰も口を開かなかった。


やがて魔皇が目を開き、ミテイを見る。


「ミテイ」


『はい』


「お前を無条件で信用することはできぬ」


『はい』


「深層の命令が残っている以上、皇都で自由に行動させるわけにもいかない」


『閉じ込める?』


「必要のない場所へ、勝手に出歩かせぬということだ」


『監視する?』


「ああ」


『敵だから?』


「敵でないことを確認し続けるためだ」


ミテイは少し考えた。


『証明するため』


「そうだ」


魔皇がリュミエラを見る。


「当面は、お前の管理下に置け」


「承知いたしました」


「身体と魔力の調査も行う。ただし、本人の意思を無視して傷つけることは許さぬ」


ミテイの灰色の瞳が僅かに見開かれる。


『私の意思を聞く?』


「お前が自らを一個の存在だと名乗るなら、その意思も考慮する」


『私は、ミテイ』


「ああ」


魔皇が頷く。


「ゆえに、ミテイとして責任を負え」


『責任は、重い?』


「軽くはない」


ミテイは淡い青灰色の髪へ触れた。


『この色と同じ』


魔皇がリュミエラを見る。


「自分で選んだものだけでなく、選ぶ前に行ったことも、自分の一部として持っていくという話をしたのです」


「なるほど」


魔皇はミテイへ向き直る。


「ならば、名も、色も、過去の行いも持って生きよ」


『生きていい?』


その問いに、室内の空気が僅かに揺れた。


魔皇はミテイから目を逸らさない。


「そのために、迷宮から出てきたのではないのか」


『はい』


「ただし、深層からの命令に異変があれば、すぐに報告せよ。隠せば、お前だけの問題では済まぬ」


『隠さない』


「ゼラスに言われたからか」


ミテイは一度、ゼラスを見る。


『最初は』


「今は?」


『私も、隠したくない』


「ならばよい」


魔皇の表情が、僅かに和らいだ。


「しばらくは、リュミエラの客人として城に滞在せよ」


『客人』


「迷宮から連れ出した以上、寝る場所と食事くらいは用意するわ」


リュミエラが微笑む。


『食事』


「魔力回復薬を飲めたのだから、普通の食事も少量から試してみましょうね」


『苦い?』


「全てが回復薬のように苦いわけではないわ」


「中には苦いものもございますが」


シェルミアが丁寧に付け加える。


リズナが彼女を見る。


「今、それを言わなくていいですよ」


「可能性は正確に伝えた方がよいかと思いまして」


「魔皇陛下の前だと、そこまで丁寧に言うんですね……」


「何か問題が?」


「いえ、ありません」


魔皇は二人の会話を聞き流し、シェルミアへ告げる。


「お前は記録の整理が終わるまで城へ残れ」


「承知いたしました」


「その前に、帰還したことを夫へ知らせろ」


シェルミアが僅かに目を逸らした。


「……既にご存じでしたか」


「お前の帰りが遅いと、城へ何度問い合わせが来たと思っている」


リズナが驚いてシェルミアを見る。


「やっぱり、ものすごく心配されてるじゃないですか!」


「帰りましたら、きちんと謝ります」


「第百階層まで行ったことも話すんですよね?」


「もちろんです」


「怒られません?」


「怒られるでしょうね」


「敬語なのに内容がいつもと同じですね……」


ゼラスが頷いた。


「妥当な判断かと存じます」


リズナが勢いよく彼を見る。


「そこで魔皇陛下に同意を求めるの!?」


「何か問題があるか」


「あたしにだけ、急にいつもの口調へ戻らないでよ!」


魔皇が小さく笑った。


「随分と親しくなったようだな」


「そういうわけではありません!」


リズナの尖った耳が赤くなる。


ゼラスは何も答えず、僅かに目を逸らした。


魔皇はその様子を見た後、リズナへ視線を戻す。


「リズナ」


「はい」


「お前がこの大陸へ来た理由は事故だったとしても、ここから先をどう生きるかは、お前自身が選ぶことになる」


リズナは少し驚いた後、真剣な顔で頷く。


「分かりました」


その言葉を聞き、ミテイがリズナを見る。


『私と同じ』


「そうね。少し似てるわ」


「二人とも、この皇都にとって未知の存在だ」


魔皇はリズナとミテイを見比べた。


「未知であることは、即ち敵であることを意味しない。だが、理解する努力を怠ってよい理由にもならぬ」


『魔皇陛下も、知りたい?』


「ああ」


『リズナのことも?』


「無論だ。異大陸の文化や魔法だけではない。リズナがこの地で何を感じ、何を選ぶのかにも興味がある」


『私のことも?』


「お前が何者になるのか、見届けたいと思っている」


『まだ決まっていない』


シェルミアが僅かに口元を緩める。


ミテイがすぐに彼女を見る。


『名前は決まっている』


「何も申し上げておりませんよ」


「敬語でも顔に出てますよ」


リズナが呆れたように言った。


魔皇は机上の記録板へ目を向ける。


「第百階層への到達については、情報を整理した後に公表する」


シェルミアの表情が明るくなる。


「公表してよろしいのですか?」


「到達の事実と、通常の探索に必要な情報はな。ただし、外側の門、深層からの命令、ミテイに関する記録は伏せる」


「承知いたしました」


「勝手に余計なことを書き足すな」


「そのようなことはいたしません」


「迷宮のことになると、お前は信用できぬ」


「随分とはっきり仰いますね」


「自覚がない方が問題だ」


シェルミアは不満そうだったが、反論はしなかった。


魔皇がリュミエラへ告げる。


「詳細な報告書をまとめよ。外側の門の監視も継続する」


「承知いたしました」


「深層については、改めて調査計画を立てる。今すぐ下りることは許さぬ」


魔皇の視線がシェルミアへ向く。


「私だけに仰っていますか?」


「主にお前へ言っている」


「承知いたしました」


返事は丁寧だったが、声には僅かな残念さが混じっていた。


「今日は休め。リュミエラ」


「はい、父上」


魔皇の表情が、再び父親のものへ戻る。


「報告書は明日でよい。今夜は一緒に食事をしよう」


リュミエラが柔らかく笑う。


「喜んで」


『私も食べる?』


ミテイが尋ねた。


魔皇は一瞬だけ目を瞬く。


「食べられるかを調べるところからだろう」


『少しなら試せる』


「ならば、リュミエラの判断に従え」


『はい』


五人が席を立つ。


扉へ向かいかけたミテイが、もう一度魔皇へ振り返った。


『魔皇陛下』


「何だ」


『私は、まだ敵ではないと証明していない』


「そうだな」


『でも、ここにいていい?』


「許可したはずだ」


『なぜ?』


魔皇は少し考えた。


「四人が、お前を連れて戻ったからだ」


ミテイが四人を見る。


「そして、お前が借りた声ではなく、自らの名で答えたからだ」


『名前があれば、信じる?』


「名乗るだけなら誰にでもできる」


魔皇の声が静かに響く。


「その名で何を選ぶかは、お前にしかできぬ」


ミテイは胸へ手を置いた。


『私は、ミテイ』


「ああ。もう聞いた」


『これは、嬉しい』


今度は、たぶんをつけなかった。


リズナとリュミエラが微笑む。


シェルミアも静かに頷く。


ゼラスは扉の前で一度、魔皇へ頭を下げた。


「それでは、失礼いたします」


「ああ。ゼラス」


「はい」


「リュミエラを無事に連れ帰ったこと、礼を言う」


「私一人の働きではございません」


ゼラスはリズナたちを見る。


「五人で戻りました」


ミテイの灰色の瞳が僅かに見開かれた。


『五人』


「ああ」


ゼラスは扉を開ける。


「行くぞ」


『はい』


ミテイは四人の後を追い、執務室を出た。




監視はつく。


調査も受ける。


深層からの呼び声も、まだ消えてはいない。


リズナにも、故郷へ戻る道は見つかっていない。


二人とも、知らない場所へ来た。


けれど、ここからどちらへ進むのかは、自分で選ぶことができる。


ミテイは隣を歩くリズナを見る。


『リズナ』


「何?」


『一緒に、知らないことを覚える?』


リズナは少し驚き、それから笑った。


「そうね。あたしも、まだ知らないことばかりだもの」


空白だった存在は、一人の名前を得た。


そして、四人で始まった旅は、五人で帰る旅として終わった。


その先に待つものは、迷宮のさらに深い闇ではない。


自分たちで選び取っていく、新しい道だった。



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