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千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第三章 グラン・ラビリス編
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第六十九話 好きという記録


管理所の奥にある応接室へ通されると、シェルミアは抱えていた記録板を机の上へ置いた。


向かいに座る管理所の責任者は、五人を順番に見回している。


ゼラス。


リズナ。


リュミエラ。


シェルミア。


そして最後に、淡い青灰色の髪を持つミテイのところで視線を止めた。


姿だけなら、見慣れない若い魔族に見える。


だが、体内を巡る灰色の魔力は、普通の魔族とは明らかに異なっていた。


「まずは、到達階層から報告するね」


シェルミアが記録板を開いた。


「今回、私たちは第百階層へ到達した」


責任者の手から筆が落ちた。


乾いた音が、静かな室内へ響く。


「……申し訳ありません。今、何階層と仰いましたか?」


「百階層だよ」


「第七十三階層ではなく?」


「第百階層」


シェルミアは少し楽しそうに言い直した。


開かれた記録板には、未知の階層図と文字が隙間なく書き込まれている。


責任者はそれを見つめたまま、しばらく動かなかった。


「詳細な報告は、皇都へ戻ってから行うわ」


リュミエラが穏やかに告げる。


「今回の異変には、外側の門と魔皇城に関わる情報が含まれているの。こちらで不用意に広めることは避けてちょうだい」


「承知いたしました、リュミエラ様」


責任者は姿勢を正した。


それから、改めてミテイへ視線を向ける。


「そちらの方についても、お尋ねしてよろしいでしょうか」


『ミテイ』


「名前ではなく、何者なのかを聞かれている」


ゼラスが横から言う。


『私は、ミテイ』


リュミエラがミテイへ柔らかな視線を向けてから、責任者へ答えた。


「迷宮の中で生まれた存在よ。詳しい経緯は、私から魔皇陛下へ直接報告するわ」


「迷宮で生まれた……」


責任者の表情が硬くなる。


ミテイは、その変化をじっと観察していた。


『警戒している?』


「はい」


責任者は一瞬迷ったが、正直に答えた。


「私どもには、あなたがどういった存在なのか判断できませんので」


『私は、敵ではない』


「それを知らない相手に、言葉だけで信じてもらうのは難しい」


ゼラスが言う。


『また、証明が必要?』


「ああ」


ミテイは自分の手を見下ろした。


『地上でも、これから』


「そういうことだ」


リュミエラが責任者を見る。


「ミテイについては、私が責任を持つわ。管理所では、彼女の存在についても伏せておいてちょうだい」


「承知いたしました」


「百階層へ到達したことも?」


シェルミアが口を挟む。


声に僅かな不満が混じっていた。


「それも、今は待ってちょうだい」


リュミエラが答える。


「あなたの記録を奪うつもりはないわ。ただ、公開する情報と伏せる情報を先に分ける必要があるの」


「到達したことくらいは、すぐ公表してもいいと思うけどね」


「数日くらい我慢なさい」


「数日で済む?」


「済ませるわ」


「なら、待つよ」


シェルミアは渋々と記録板を閉じた。


ミテイがその横顔を見る。


『シェルミアは、記録を見せたい?』


「うん。迷宮の記録は、残して伝えるためのものだからね」


『でも、今は見せない?』


「見せることで誰かが危険になるなら、順番を考える必要があるんだよ」


『自分で選ぶ?』


「そうだね」


ミテイは小さく頷いた。


『難しい』


「少しずつ慣れればいいわ」


リズナが言う。


『リズナも、難しいことを選ぶ?』


「もちろんあるわよ」


『ゼラスのこと?』


「どうしてそこでゼラスが出てくるのよ」


『分からない』


「分からないなら、変なところで名前を出さないで」


ゼラスは何も言わなかったが、二人へ一度だけ視線を向けた。




報告を終えた後、リュミエラは皇都への連絡を管理所へ依頼した。


往路で四人を運んだ小型魔導艇は、一行を降ろした後、補給のため皇都へ帰投している。


当初の予定を大幅に過ぎても四人が戻らなかったため、定期的に出されていた迎えの便も、数日前に一度打ち切られていた。


「新しい魔導艇をここまで向かわせると、到着は明後日になるそうよ」


連絡を終えて戻ったリュミエラが説明する。


「西の中継所まで出れば、早まるか?」


ゼラスが尋ねた。


「ええ。明日の昼には、皇都から来る便と合流できるわ」


「なら、そっちへ行くぞ」


ゼラスは迷わず決めた。


「ここで待たないの?」


リズナが尋ねる。


「一日歩くか、二日待つかだ。歩いた方が早い」


「迷宮を百階層分戻った後だと、街道なんて散歩みたいなものだね」


シェルミアが荷物を持ち上げる。


「それを普通の感覚みたいに言わないでください」


「リズナも歩けるよね?」


「歩けますけど」


「なら問題ないね」


「問題はそこじゃありません」


ミテイが二人を見る。


『散歩は、何をするもの?』


「急がずに外を歩くことよ」


リュミエラが答える。


『今回は急ぐ?』


「多少はね」


『なら、散歩ではない?』


「シェルミアさんの言うことを、あまり真面目に考えなくていいわよ」


「酷いね」


『分かった』


「そこで素直に納得しないでほしいな」


翌朝、五人は魔導艇との合流地点を目指し、管理所を出発した。




街道の上には、朝の光が降り注いでいた。


道の両側には低い草原が広がり、その先には疎らな木々が並んでいる。


ミテイは何度も足を止めた。


風に揺れる草。


空を横切る鳥。


土の上を這う小さな虫。


どれも、迷宮の記録には存在しなかったものだった。


『あれは?』


「鳥よ」


リズナが答える。


『どこへ行く?』


「それは鳥に聞かないと分からないわね」


『記録すれば分かる?』


問いかけてから、ミテイは自分で首を横へ振った。


『違う。勝手に取ってはいけない』


リズナは少し驚いてから、柔らかく笑った。


「そうね。見るだけならいいわよ」


『見るだけ』


ミテイは飛び去っていく鳥を、姿が見えなくなるまで目で追った。


そのたびに一行の足は止まったが、誰も急かさなかった。


昼を過ぎた頃、五人は街道から少し離れた木陰で休むことにした。


リズナが荷物から水筒を取り出し、先にゼラスへ差し出す。


「はい」


「ああ」


ゼラスは受け取り、そのまま口をつけた。


ミテイが二人を見つめている。


『リズナは、ゼラスが好き?』


リズナの手から、自分の水筒が滑り落ちかけた。


「な、何を言ってるの!?」


ゼラスも水を飲む手を止める。


シェルミアは面白そうに顔を上げ、リュミエラは僅かに目を細めた。


ミテイだけが、リズナが慌てた理由を理解できていなかった。


『違う?』


「違うとか、そういう話じゃなくて! どうして急にそんなことを聞くのよ!」


『急ではない』


ミテイは真っ直ぐリズナを見る。


『四人を記録していた時から、違っていた』


「何が違ってたの?」


『リズナは、ゼラスを見る回数が多い』


「見てないわよ!」


『見ている』


「数えてたの!?」


『記録していた』


リズナの尖った耳が赤く染まる。


ミテイは構わず続けた。


『ゼラスが傷つくと、リズナの魔力が大きく揺れた』


『偽物のゼラスが死んだ時は、他の記録と違う反応だった』


「それは、仲間が死んだと思ったら誰だって驚くでしょう!」


『リュミエラやシェルミアの時とは違った』


「比べなくていいの!」


リズナは耳を隠すように、外套のフードを深く被った。


ミテイが首を傾げる。


『記録の中に、好きという言葉があった』


『誰かを特別に大切だと思う感情』


『リズナの反応は、それに近い?』


「近くないわよ!」


「随分強く否定するね」


シェルミアが楽しそうに言う。


「シェルミアさんは黙っていてください!」


『では、ゼラスが嫌い?』


「嫌いじゃないけど!」


リズナは答えた直後、口元を押さえた。


ゼラスが無言で彼女を見る。


「何よ」


「何も言ってない」


「その顔が何か言ってるのよ!」


「普通の顔だ」


ゼラスはそう答えた後、僅かに目を逸らした。


「目を逸らして言っても説得力ないわよ」


『やはり、仲がいい?』


「違う!」


リズナの声が木陰へ響く。


ゼラスは否定も肯定もせず、静かに水を飲み直した。


『ゼラスは答えない?』


「本人が答えたくないなら、追及するな」


『リズナは、答えたくない?』


「今は答えたくないの!」


『今は』


「そこを覚えなくていい!」


ミテイは少し考えてから頷いた。


『分かった』


リズナが安堵したのも束の間、ミテイはリュミエラへ顔を向けた。


『リュミエラも、ゼラスが好き?』


リズナが勢いよく顔を上げる。


ゼラスは小さく息を吐いた。


リュミエラは少しも慌てず、優雅に微笑んでいる。


「好きにも、いろいろあるものよ」


『いろいろ?』


「友人として大切に思うこともあれば、家族のように思うこともある。長い時間を共にした相手へ抱く、簡単には名前をつけられない感情もあるわ」


『リュミエラは、どれ?』


「さて、どれかしらね」


『分からない?』


「自分の気持ちでも、言葉にしない方がいい時があるのよ」


『答えたくない?』


「そういうことにしておきましょうか」


リュミエラは穏やかな笑みを崩さない。


それから、ゼラスへ一度だけ視線を向けた。


「ただ、とても大切な人ではあるわ」


「リュミエラさんまで……」


リズナがフードの陰から呟く。


ミテイは答えを確かめるように頷き、今度はシェルミアを見た。


『シェルミアも、ゼラスが好き?』


「私は違うね」


シェルミアはあっさりと答える。


『ゼラスが嫌い?』


「嫌いではないよ。でも、私には愛しの旦那様がいるからねー」


「旦那?」


ゼラスが聞き返した。


「えっ、シェルミアさん、結婚してるんですか!?」


リズナの声が重なった。


シェルミアが目を瞬く。


「言ってなかったっけ?」


「聞いてませんよ!」


「俺も初耳だ」


「聞かれなかったからね」


「普通、どこかで言いませんか!?」


「迷宮の中で、夫婦の話をする必要はなかったからね」


シェルミアは悪びれる様子もなく、水を一口飲んだ。


「でも、無事に戻ったことは早く知らせないとね。予定より随分長く潜っていたから、きっと心配してるよ」


「心配どころか、怒ってるんじゃないですか?」


リズナが尋ねる。


「怒るだろうね」


「第百階層まで行ったって知ったら、もっと怒るんじゃないですか?」


「もっと怒るだろうね」


「分かってるのに、どうしてそんなに落ち着いてるんですか……」


「今から心配しても、怒られることは変わらないからね」


ゼラスが頷く。


「正しい判断だ」


「ゼラスまで納得しないでよ」


ミテイはシェルミアを見る。


『旦那様は、好きな人?』


「もちろん」


シェルミアは、これまでより柔らかな笑みを浮かべた。


「愛しの、って言ったでしょ」


『好きな人と一緒にいると、旦那様になる?』


「必ずではないよ。お互いに一緒に生きていくと決めて、夫婦になれば旦那様になるんだ」


『お互いに決める』


「そう。片方だけでは駄目だよ」


ミテイはしばらく考えた。


それから、再びリズナを見る。


リズナは嫌な予感を覚えたように身を引いた。


「何よ」


『リズナとゼラスは、まだ決めていない?』


「だから違うって言ってるでしょう!」


声に驚いた鳥が、木の枝から一斉に飛び立った。


ミテイが空を見上げる。


シェルミアは肩を揺らして笑い、リュミエラは口元を手で隠していた。


「ゼラスも何か言いなさいよ!」


「ミテイは知らないから聞いてるだけだろ」


「あんたは落ち着きすぎなのよ!」


『リズナの魔力が、また揺れている』


「観察しなくていい!」


ミテイは首を傾げた。


好きという感情は、まだよく分からない。


だが、名前を出すだけで魔力が揺れ、声が大きくなり、周囲の者が笑う。


空白だった頃には、理解できなかった変化だった。


『好きは、難しい』


「そうだね」


シェルミアが答える。


「迷宮より難しいかもしれないよ」


「それは言い過ぎじゃないですか?」


リズナが反論する。


「どうかな。迷宮には地図を作れるけど、誰かの気持ちには地図がないからね」


ミテイはその言葉を考えながら、淡い青灰色の髪へ触れた。




翌日の昼前。


五人が西の中継所へ到着すると、遠くの空に黒い影が現れた。


翼のない船体が魔力の光を帯び、ゆっくりと高度を下げてくる。


『船が飛んでいる』


ミテイは空を見上げた。


「魔導艇よ」


リュミエラが答える。


「あれに乗って、皇都へ戻るの」


『空を進む?』


「ああ」


ゼラスが言う。


『落ちない?』


「普通ならな」


『普通ではなかったら?』


「落ちるね」


シェルミアが答えた。


「シェルミアさん、初めて乗る人を怖がらせないでください」


「可能性を説明しただけだよ」


『危険でも乗る?』


「歩くより早いからな」


ゼラスが魔導艇へ向かって歩き出す。


ミテイは空を進む船と、その背中を交互に見た。


『やはり、外は分からないことが多い』


「皇都へ着けば、もっと増えるわよ」


リズナが言う。


『嫌ではない』


ミテイはそう答え、四人の後へ続いた。


迷宮で集めるだけだった記録は、もう必要ない。


これから知るものは、誰かから奪うのではなく、自分の目で見て、自分の意思で選ぶ。


魔導艇は五人を迎えるように、青空の下へ静かに降りてきた。

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