第六話 魔皇城の奥へ
魔皇城の内部は、外から見た以上に広かった。
黒い石で造られた廊下が真っ直ぐに伸び、その両側には銀色の装飾が規則正しく並んでいる。
壁に取り付けられた魔導灯は淡い紫色の光を放ち、窓の少ない城内を静かに照らしていた。
リュミエラが進むたび、行き交う兵士や官吏たちが足を止める。
誰もが姿勢を正し、彼女が通り過ぎるまで頭を下げていた。
リズナはその様子を横目で見ながら、二人の後を歩いた。
通信越しでは親しみやすく見えたが、ここへ来て改めて分かる。
リュミエラは、この城で非常に高い地位にいる。
その隣を平然と歩くゼラスへも、周囲から幾つもの視線が向けられていた。
兵士たちの反応には、見知らぬ者へ向ける警戒だけではないものが混じっている。
驚き。
戸惑い。
中には、ゼラスの顔を知っているような者もいた。
「随分と見られてるわね」
リズナが小声で言うと、ゼラスは前を向いたまま答えた。
「珍しいんだろ」
「何が?」
「俺がここにいることが」
「二百年も来てなかったから?」
「多分な」
「多分って、自分のことでしょ?」
ゼラスは答えなかった。
少し前を歩いていたリュミエラが振り返る。
「この城には、ゼラスを知っている者もまだ残っているのよ」
「やっぱり、ここにいたことがあるんですか?」
「長いことね」
リュミエラが答えると、ゼラスが僅かに眉を寄せた。
「余計なことは言わなくていい」
「これくらいは余計なことに入らないでしょう?」
「お前は昔から、その基準が緩い」
「あなたが何も話さなさすぎるのよ」
リュミエラは再び前を向いた。
リズナはゼラスの横顔を見る。
黒風の森で出会った時から、普通の魔族ではないとは思っていた。
戦い方も、知識も、使う魔法も、見た目から想像できるものではない。
それでも、魔皇軍第一席とこれほど親しく話し、この城でも顔を知られているとは考えていなかった。
ゼラスについて知りたいことは増える一方だった。
しかし、今ここで問い詰めても、また適当にはぐらかされるだけだろう。
リズナは周囲へ意識を戻した。
城の奥へ進むほど、入口で感じた奇妙な風は弱くなっていった。
完全に消えたわけではない。
石壁の向こうを何かが流れ、自分の魔力へ細い糸を伸ばしてくるような感覚が残っていた。
普段感じる風とは明らかに違う。
リズナは腰の風晶石へ触れた。
結晶の中を巡る魔力は安定している。
少なくとも、今すぐ何かが起きる気配はなかった。
リュミエラが二人を案内したのは、城の中層にある小さな会議室だった。
室内には円形の机と数脚の椅子が置かれ、壁には防音と魔力遮断の術式が刻まれている。
リュミエラが扉を閉めると、壁の術式が淡く光った。
「ここなら、外に話が漏れる心配はないわ」
リュミエラは席へ着かず、机の上に一枚の地図を広げた。
黒風の森と、その周辺を描いたものだった。
森の西側には、古い転移遺構の位置が赤く記されている。
「まず、城へ入った時に感じた風について聞かせて」
リズナは地図へ近づいた。
「黒風の森で感じたものと、少し似ていました」
「同じものなの?」
「そこまでは分かりません。
森にあったものより、ずっと薄かったです」
リズナは言葉を選びながら続ける。
「普通の風じゃありません。
空気が動いているんじゃなくて、何かが風の流れを使って、こちらを探っているような感じでした」
リュミエラの表情が僅かに険しくなる。
「城内でも、同じような反応を感じたのね」
「心当たりがあるのか?」
ゼラスが尋ねる。
「確信はないわ。
ただ、昔の記録に似た現象が残っているの」
リュミエラは机の端に置かれていた小さな魔導板へ触れた。
古い文字と術式図が、淡い光となって空中へ浮かび上がる。
幾重にも重なった円。
その周囲を囲む、見慣れない文字。
中央には、大きな門のような形が描かれていた。
リズナは浮かび上がった図を見つめる。
アスタリアの遺跡で見た転移術式と、完全に同じではない。
しかし、円が重なる位置や、外周に並ぶ文字の形には似た部分がある。
「見覚えがあるの?」
リュミエラが尋ねる。
「少しだけ。
私が踏んだ術式も、こんなふうに円が重なっていました」
「文字は?」
「覚えているものとは違います。
でも、並び方は似ている気がします」
リュミエラは術式図を消した。
「あの図は、一般の書庫に残されているものではないわ」
「禁書庫にあるのか?」
「今見せたのは写しよ。
原本は禁書庫に保管してあるわ」
リズナは思わず聞き返した。
「禁書庫……ですか?」
「危険な術式や、公開できない記録を保管している場所よ。
本来なら、軍の研究員でも簡単には入れないわ」
リュミエラはリズナを見る。
「けれど今回は、リズナちゃん自身に原本を確認してもらう必要がある」
「私が入ってもいいんですか?」
「私の権限で許可するわ」
異大陸から現れた身元不明の転移者を、軍の機密が保管された場所へ入れる。
それほどまでに、黒風の森で起きている異変を重く見ているということなのだろう。
「心配しなくても、確認してもらう資料はこちらで選ぶわ」
リュミエラがリズナの表情を見て言った。
「禁書庫の中を、自由に歩かせるわけではないから」
「それを聞いて、少し安心しました」
「自由に見ていいと言われる方が怖いだろ」
ゼラスが言う。
「それはそうだけど、あなたはもう少し言い方を選べないの?」
「間違ってはいない」
リュミエラは二人のやり取りを見て、僅かに目を細めた。
「随分と打ち解けたのね」
「そう見えますか?」
「少なくとも、昨日会ったばかりには見えないわ」
リズナは返答に迷い、ゼラスを見る。
ゼラスは何も気にしていない様子で、術式図が消えた空間を見つめていた。
「禁書庫へ行くなら、早くしよう」
「そうね」
リュミエラは机の地図を畳んだ。
「中では、私の許可なく物に触れないで。
特に、白い封印紙が貼られた棚には近づかないこと」
「触れたら、どうなるんですか?」
「保管されているものによるわ。
記憶へ干渉する術式もあれば、触れた者の魔力を利用して動き出す魔導具もある」
リズナは真剣に頷いた。
「絶対に触りません」
「それが賢明ね」
リュミエラはゼラスへ視線を移した。
「あなたもよ」
「分かってる」
「二百年前にも、同じ返事を聞いた気がするわ」
「今回は壊さない」
「今回は、ではなく、今後も壊さないでちょうだい」
「努力する」
「約束しなさい」
ゼラスは返事をせず、扉へ向かった。
リュミエラは小さく息を吐く。
リズナは何を壊したのか聞きたかったが、今は知らない方がいい気がした。




