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千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第三章 グラン・ラビリス編
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第六十六話 自分の戦い方



第九十九階層へ戻ってから、五人は来た道を上り始めた。


白い経路は完全に沈黙していた。


階層を飛び越えていた通路も、炎と風へ反応して開いた扉も、今はただの壁へ戻っている。


帰路に使えるのは、リュミエラとゼラスが過去に通った通常の道だけだった。


先頭を歩くゼラスが、分岐の前で足を止める。


「左だ」


「八百年前も?」


シェルミアが尋ねた。


「ああ。俺が来た時はな」


リュミエラが右側の通路を見る。


「私の時代には、あちらも通れたわ」


シェルミアの目が輝く。


「確かめてみたいね」


「帰るぞ」


「分かってるよ。言ってみただけだね」


「足、右を向いてますよ」


リズナに指摘され、シェルミアは左へ向き直った。


「身体が正直すぎただけだよ」


「迷宮に関してだけは、本当に信用できませんね……」


最後尾では、ミテイが背後の通路を見張っていた。


淡い青灰色の髪が、歩くたびに小さく揺れる。


傷は塞がりつつあるものの、右腕の動きにはまだ僅かな硬さが残っていた。


リュミエラが振り返る。


「痛みが強くなったら言うのよ」


『弱くなっている』


「なくなったとは言っていないわね」


『動ける』


「無理をしていいという意味ではないわ」


ミテイは右腕を見る。


『リュミエラは、何度も同じことを言う』


「あなたが何度も無理をしそうだからよ」


『まだしていない』


「する前に止めているの」


ミテイは少し考える。


『先に分かる?』


「経験というものね」


『記録と同じ?』


「似ているけれど、少し違うわ」


「記録は起きたことを残すものだけど、経験は次にどうするかを考えるためのものだね」


シェルミアが会話へ加わる。


『私は、記録を経験にできる?』


「使い方を自分で選べるなら、できると思うよ」


『自分で選ぶ』


ミテイは前を歩く四人を見る。


これまでなら、誰かの歩幅をそのまま真似ていた。


今は四人の間隔を確かめ、自分の歩きやすい速さを探している。


少し遅れ、歩幅を広げる。


今度は近づきすぎて、シェルミアの踵を踏みかけた。


『難しい』


「歩くだけで?」


リズナが笑う。


『四人と同じ速さで、同じ場所を歩かず、離れないようにする』


「そう言われると、意外と難しそうね」


「戦うよりは簡単だ」


ゼラスが前を向いたまま言う。


『ゼラスは、簡単なことが多い』


「難しく考えすぎなんだ」


『考えなければ、また命令に従う』


ゼラスが僅かに足を緩めた。


「考えるなとは言ってない。必要なところだけ考えろ」


『必要なところが分からない』


「それを見つけるのも経験だ」


『やはり難しい』


「ああ。生きるのは面倒だぞ」


「地上へ出る前から、嫌になるようなことを教えないでよ」


リズナが呆れた声を出す。


ミテイは少し考えた後、淡い青灰色の髪へ触れた。


『でも、この色は嫌ではない』


「なら、面倒なことばかりじゃないわ」


『うん』


小さな返事だった。


借りた声ではない。


ミテイ自身の声が、暗い通路へ静かに残った。




それから二日。


五人は幾つもの階層を越え、第九十二階層まで戻っていた。


下りる時に倒した魔物の痕跡は残っていたが、全ての通路が安全になったわけではない。


時間が経てば、別の魔物が入り込む。


崩した罠の代わりに、別の場所が崩れることもある。


来た道だからといって、同じように歩けるとは限らなかった。


シェルミアが通路の角で膝をつき、床へ指を触れる。


「少し待って」


ゼラスが足を止める。


「何かあるのか?」


「ここから先、床の感触が変わってる。下に空洞ができてるかもしれないね」


リズナが風を細く通した。


石の隙間を抜けた空気が、床下へ吸い込まれていく。


「本当です。かなり広い空洞があるみたいです」


「下りる時にはなかったわね」


リュミエラが壁際の亀裂を見る。


「戦闘の影響で崩れたのかもしれないわ」


ミテイは四人から少し離れ、後方へ顔を向けた。


誰もいない通路。


足音も、魔力の流れも感じない。


それでも、灰色の瞳は壁の一点から動かなかった。


『来る』


ゼラスが剣へ手をかける。


「どこだ?」


『後ろ。壁の中』


リズナが風を広げた。


直後、背後の石壁が内側から膨らんだ。


「三体!」


圧縮した風刃が走る。


壁を突き破ろうとしていた二体の魔物を、石ごと切り裂いた。


だが、三体目は床下へ潜っていた。


五人の足元が大きく揺れる。


「散れ!」


ゼラスの声と同時に、床が崩れた。


リズナが風を巻き上げ、ゼラスとリュミエラの身体を通路の端へ運ぶ。


シェルミアも後方へ跳んだ。


だが、着地しようとした石床がさらに割れる。


「これはまずいね」


シェルミアの足元が沈んだ。


崩れた床の下から、甲殻に覆われた魔物が口を開く。


ミテイの身体が動いた。


右腕を伸ばし、シェルミアの外套を掴む。


『こっち』


自分の方へ引き寄せようとする。


しかし、傷の残る右腕では勢いを支えきれない。


二人の身体が空洞へ引かれた。


「ミテイ!」


リズナが風を伸ばす。


その前に、ミテイの左手から灰色の魔力が溢れた。


風の形を取ろうとして揺れる。


一瞬だけ、リズナと同じ緑色へ変わりかけた。


ミテイがそれを見つめる。


『違う』


灰色の魔力を自分の腕へ引き戻した。


リズナの風を真似るのではない。


シェルミアの短剣でもない。


ゼラスの炎でも、リュミエラの術式でもない。


ミテイは灰色の魔力を細く伸ばし、崩れていない壁の亀裂へ突き刺した。


形の定まらない魔力が石の内部へ入り込み、幾つにも枝分かれする。


左腕へ強い力がかかった。


ミテイの身体が宙で止まる。


右手は、シェルミアの外套を掴んだままだった。


『重い』


「それは申し訳ないね」


「謝るところ、そこですか!」


リズナの風が二人を包む。


落下する力を押し戻し、崩れていない床へ運んだ。


着地と同時に、ゼラスが空洞へ剣を振り下ろす。


「フレイムランス」


炎の槍が魔物の開いた口へ突き刺さった。


床下で爆炎が膨らむ。


硬い甲殻が内側から砕け、巨体が空洞の底へ沈んでいった。


リュミエラが障壁を広げる。


崩落しかけた天井と床が、紫色の光に支えられた。


「長くは保たないわ。移動しましょう」


「先に安全な場所を確認します」


リズナは風を通路の先へ走らせる。


「この先、少し行ったところに広い部屋があります。そこまでは床も無事です」


「行くぞ」


五人は崩れかけた通路を駆け抜けた。




広い石室へ入ると、リュミエラが入口に術式を張った。


追ってくる魔物はいない。


リズナはすぐにミテイの右腕を取る。


塞がりかけていた傷が開き、細い白い光が漏れていた。


「無理をしないでって言われたばかりでしょう」


『シェルミアが落ちた』


「それでもよ。あたしの風が届いてたわ」


『届く前に、魔物もいた』


「……そうだけど」


リュミエラがミテイの傷へ治療術式を重ねる。


「右腕だけで支えようとしたせいで、また傷が開いているわ」


『次は左を使う』


「そういう問題ではないの」


『両方?』


「増やさないでちょうだい」


シェルミアがミテイの前へ座った。


「助かったよ。ありがとう」


『ありがとう』


「今は私が言ったんだよ」


『何と答える?』


「どういたしまして、かな」


『どういたしまして』


「うん」


ミテイはシェルミアを見る。


『私は、証明できた?』


石室の空気が僅かに止まった。


リズナがミテイの腕から視線を上げる。


「シェルミアさんを助けたこと?」


『敵ではないと、証明するために一緒に来た』


ミテイは右腕の傷を見る。


『今のは、証明になった?』


ゼラスが壁際から答える。


「ならない」


ミテイが彼へ顔を向けた。


『ならない?』


「一度助けたから信用しろと言うなら、足りない」


『そう』


ミテイは目を伏せた。


『では、次も助ける』


「その考え方も違う」


『分からない』


「証明するために助けたのか?」


ミテイはシェルミアを見る。


床が崩れた瞬間。


魔物が口を開いた瞬間。


考えるより先に身体が動いた。


『最初は、考えていない』


「その後は?」


『落ちたら、シェルミアが傷つくと思った』


「だから助けた?」


『うん』


「敵ではないと証明するためじゃなく?」


ミテイは胸へ手を当てた。


『シェルミアが傷つくのが、嫌だった』


シェルミアが柔らかく目を細める。


ゼラスも僅かに顎を引いた。


「なら、今のはお前が決めたことだ」


『私が?』


「ああ」


『記録ではなく?』


「使った知識には、四人の記録も混ざっているだろう」


ミテイの左手には、灰色の魔力が僅かに残っていた。


壁へ打ち込んだものは、誰の魔法とも違っている。


『リズナの風を使おうとした』


「途中でやめたわね」


リズナが言う。


『同じにはできた』


「どうしてやめたの?」


『リズナになる必要はないと思った』


ミテイは自分の左手を見る。


『私は、私の魔力を使える』


「それでいい」


ゼラスが答える。


「技術は使え。覚えたことまで捨てる必要はない」


『真似てもいい?』


「姿や声を奪うな。だが、見て覚えた戦い方まで誰かのものではない」


リズナも頷いた。


「あたしの風をそのまま使われるのは、まだ少し複雑だけどね」


『嫌?』


「同じ姿と声で使われるよりは、ずっといいわ。でも、できればミテイの使い方を見つけてほしい」


『今の灰色?』


「そうね。あれは、あたしにはできないもの」


ミテイの灰色の瞳が僅かに見開かれる。


『リズナにも、できない?』


「できないわよ。壁の中へ魔力を枝みたいに伸ばして支えるなんて、あたしの風とは全然違うもの」


『私にしかできない?』


「少なくとも、あたしにはね」


ミテイは左手を見つめた。


淡い青灰色の髪へ色が現れた時と同じように、指先へ残る魔力を何度も確かめる。


『私の戦い方』


「まだ一つ見つけただけだ」


ゼラスが言う。


『一つあれば、五人目になれる?』


「まだだ」


『また、まだ』


「一つ進んだとは言ってる」


ミテイが顔を上げる。


『一つ、近づいた?』


ゼラスは短く頷いた。


「ああ」


ミテイはしばらく黙っていた。


やがて左手を胸へ当てる。


『これは、たぶん嬉しい』


リズナが笑った。


「今度は自分で分かったのね」


『うん』


その隣で、シェルミアが記録板を開く。


ミテイがすぐに彼女を見る。


『記録する?』


「嫌?」


『嫌ではない』


「なら、しっかり残しておくよ」


シェルミアは筆を走らせる。


ミテイが初めて、自分の魔力で仲間を守った。


そこまで書いたところで、ゼラスが横から記録板を覗いた。


「まだ仲間じゃない」


「細かいね」


『消す?』


シェルミアは一度考え、書いた文字の上へ線を引いた。


代わりに、別の言葉を書き加える。


ミテイが初めて、自分の魔力で同じ道を歩く者を守った。


『同じ道を歩く者』


「今はこれでどうかな?」


ミテイは文字を見つめた。


『うん』


五人は傷の処置を終え、再び地上へ続く道を歩き始めた。


最後尾を進むミテイの左手には、灰色の魔力が静かに揺れている。


借りた姿ではない。


誰かの声でもない。


それはまだ小さく、不格好だった。


だが確かに、ミテイ自身が選んだ力だった。

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