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千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第三章 グラン・ラビリス編
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第六十話 風の魔剣士



白い人影の言葉が、第九十四階層に残響していた。


『百階層にて、両者の意思を除去する』


石の輪に映し出された百階層。


その中央で、人影は微動だにしない。


ゼラスが剣先を輪へ向けた。


「俺たちの意思が邪魔らしいな」


「勝手に役割を押しつけておいて、従わなければ消すなんて」


リズナがシルフィードを握り直す。


「随分と都合がいいわね」


『自律性は、鍵と器の機能を阻害する』


「私たちは機能じゃない」


リズナが即座に言い返した。


『炎の鍵は開路を拒絶した』


『風の器は流入を拒絶した』


『不要な自律性を確認』


白い人影が片腕を上げる。


石の輪の内側に広がっていた暗闇が、ゆっくりと波打った。


リュミエラが一歩下がる。


「何か来るわ」


暗闇から、黒い腕が伸びた。


一本。


二本。


さらに四本。


六本の腕が石の輪の縁を掴み、巨大な体を第九十四階層へ引き上げる。


現れたのは、白い仮面をつけた黒い魔物だった。


人に似た胴体を持つが、頭部に目や口はない。


六本の腕の先には、それぞれ異なる形の刃が伸びている。


魔物が床へ降り立つ。


その背後で、石の輪に映る白い人影が告げた。


『自律性の除去を開始』


六本の刃が、同時に動いた。


「散って!」


シェルミアの声に合わせ、四人が左右へ分かれる。


二本がゼラスへ。


一本がリュミエラへ。


一本がシェルミアへ。


残る二本が、リズナを左右から挟み込む。


ゼラスは迫る刃を剣で受け流した。


もう一本を炎で弾き返す。


リュミエラは紫色の障壁で刃を止め、シェルミアは床を転がって斬撃を避けた。


リズナへ迫った二本の刃が、途中で軌道を変える。


一本は首。


もう一本は足元。


リズナはシルフィードを縦に振った。


圧縮された風刃が正面を走り、上段の腕を斬り裂く。


同時に足元へ風を巻き、低い刃の軌道を外側へ逸らした。


黒い刃が石床を深く抉る。


「腕は再生する!」


シェルミアが叫ぶ。


切断された腕の断面から、黒い糸が伸びていた。


床へ落ちた腕を引き寄せ、再びつなごうとしている。


「本体に核があるはずだよ!」


「どこ?」


リズナが魔物の周囲へ風を巡らせる。


表面には隙間がない。


風が黒い皮膚に沿って流れ、六本の腕の付け根を通り抜ける。


胸。


腹。


首。


どこにも魔力の集中は感じられなかった。


魔物が身を捻る。


ゼラスへ向けていた二本の腕が、突然リュミエラとシェルミアへ向きを変えた。


「後ろ!」


リズナがシルフィードを横へ薙ぐ。


一つの風刃が途中で三つへ分かれた。


最初の刃が、リュミエラへ迫る腕を切断する。


二つ目は床すれすれを曲がり、シェルミアの背後へ回り込んだ刃を弾いた。


最後の一つが魔物の肩へ食い込み、体勢を崩す。


「今のを三つに分けたの?」


シェルミアが体を起こす。


「後にしてください!」


魔物が残る腕を振り上げた。


黒い刃の周囲に、白い光が集まる。


リュミエラが術式を展開する。


「魔力攻撃が来るわ!」


六本の腕が、一斉に床へ突き刺さった。


白い光が石の中を走り、四人の足元へ向かう。


リズナは風晶石へ手を添えた。


石床の僅かな亀裂を抜ける空気。


その奥を進む魔力。


四つの流れを同時に捉える。


「そこ!」


細く絞った風刃を、床へ撃ち込んだ。


一つ目の白い流れが断たれる。


続けてシルフィードを返す。


二つ目。


三つ目。


最後の一つは、ゼラスの足元まで迫っていた。


リズナが剣先を向ける。


風刃が床の表面を滑り、途中で鋭く曲がった。


白い光へ追いつき、その流れを横から切断する。


ゼラスの足元で、魔力が弾けた。


「全部切ったのか」


「見えてたからね!」


魔物が腕を引き抜く。


その瞬間、リズナの風が黒い体の内側へ僅かに入り込んだ。


刃が床へ刺さったことで、脇腹の甲殻が開いている。


そこから入った風が背中へ抜ける。


一か所だけ、空気の流れが途切れた。


「核は背中!」


リズナが叫ぶ。


「右の肩甲骨の下!」


魔物がリズナへ向き直る。


六本の腕が、全て彼女へ向けられた。


『風の器の抵抗能力を確認』


「今度は私だけ?」


リズナはシルフィードを両手で構える。


「いいわ。全部切ってあげる」


六本の刃が同時に迫った。


上から二本。


左右から三本。


残る一本が、死角となる背後から伸びる。


リズナは動かなかった。


周囲へ広げた風が、全ての刃の位置を伝えている。


最初の一歩で、上から来る二本の間へ入る。


シルフィードを斜めに振り上げた。


剣へ重ねた風が間合いを伸ばし、二本の腕をまとめて両断する。


体を沈める。


左右から交差した刃が、赤い髪の上を通り過ぎた。


返す刃で一本。


踏み込んで、もう一本。


切断した腕を足元の風で巻き上げ、最後の一撃への盾にする。


黒い刃同士がぶつかり合った。


背後から迫っていた六本目が、僅かに止まる。


リズナは振り返らない。


剣先から放った風刃だけを後方へ曲げた。


細い刃が腕の付け根へ食い込み、最後の一本を斬り落とす。


六本の腕が、ほぼ同時に石床へ落ちた。


「ゼラス!」


「ああ」


ゼラスは既に動いていた。


腕を失った魔物の横を抜け、背後へ回る。


右の肩甲骨の下。


リズナが示した位置へ、剣を突き立てた。


硬い表皮が刃を止める。


リュミエラの術式が、その一点へ重なった。


紫色の線が甲殻の継ぎ目へ入り込み、僅かに押し広げる。


「今よ」


シェルミアの短剣が隙間へ滑り込んだ。


刃を捻り、黒い表皮を剥がす。


内側から、白い核が露出した。


リズナがシルフィードを振るう。


圧縮された風刃が核の中央へ突き刺さった。


亀裂が走る。


ゼラスが剣をさらに深く押し込み、炎を流した。


白い核が内側から砕ける。


黒い魔物の体が硬直した。


切断された六本の腕が動きを止め、そのまま灰となって崩れていく。


最後に残った白い仮面も、中央から二つに割れた。




静かになった第九十四階層で、リズナが息を吐いた。


シルフィードを一度振り、刃に残った黒い灰を風で払い落とす。


シェルミアは床に散った六本の腕と、リズナを交互に見ていた。


「今の、全部見えてたの?」


「風で位置は分かってましたから」


「六本を同時に相手にしてたよね。しかも一本は背後から来てた」


「だから風刃を曲げました」


「それを普通みたいに言うんだね」


シェルミアは切断された腕の一つへ近づく。


「最初の斬撃で二本。次に左右の二本を近接で切って、切った腕を盾にして、最後の一本は見ないまま風刃を当てた」


「細かく説明しないでください」


リズナが僅かに視線を逸らす。


「何だか恥ずかしくなってきました」


リュミエラが穏やかに微笑んだ。


「感心したのは、六本の腕を切ったことだけではないわ」


「他にもありますか?」


「私たち三人へ向けられた攻撃まで、全て把握していたでしょう?」


リズナは答えなかった。


戦いながら、自分へ向かう刃だけを見ていたわけではない。


ゼラスの足元を走った魔力。


リュミエラとシェルミアへ伸びた腕。


三人の退路まで、風の中で捉えていた。


「敵を倒しながら味方も守る。それを同時にできる人は、そう多くないわ」


「ゼラスたちが目立ちすぎるんですよ」


リズナが小さく呟く。


「私が普通に見えるくらいに」


「俺のせいにするな」


ゼラスが砕けた核を確認しながら言った。


リズナが彼へ視線を落とす。


「ゼラスは何とも思わなかったの?」


「前から強いだろ」


あまりにも当然のような返答だった。


リズナが目を瞬く。


ゼラスは立ち上がり、彼女を見る。


「感知しながら前で戦えて、味方の動きまで見ている。そういう奴は多くない」


「……急にちゃんと褒めないでよ」


「聞いたのはお前だ」


「そうだけど」


赤い髪の隙間から覗く耳先が、僅かに赤くなる。


シェルミアが口元を緩めた。


「強いと言われるのには慣れてないの?」


「三人で一斉に言われることには慣れてません!」


「では、これからは順番に言いましょうか」


リュミエラが楽しそうに提案する。


「そういう問題じゃありません!」


リズナは三人に背を向け、石の輪へ歩き出した。


その足取りは、先ほどまでより少しだけ軽い。


ゼラスがその背中を見ながら、シェルミアへ尋ねる。


「何で怒ったんだ?」


「本当に分からない?」


「褒めろと言ったから褒めた」


「そこまでは合ってるよ」


シェルミアはそれ以上説明せず、記録板を開いた。




黒い魔物が崩れたことで、石の輪に映っていた百階層の光景にも亀裂が入っていた。


白い人影の輪郭が揺らぐ。


『風の器の戦闘能力を再算定』


リズナが振り返る。


「まだ器って呼ぶの?」


『個体名は機能に不要』


「私はリズナよ」


白い人影は答えない。


ゼラスが石の輪へ近づいた。


「覚える気がないなら、百階層で直接教えてやる」


『炎の鍵による敵対を確認』


「今さら確認するな」


石の輪の映像が途切れた。


暗闇が収縮し、その中央から下へ続く石段が現れる。


シェルミアが入口の文字を確かめる。


「第九十五階層へ続いてる」


「今度は飛ばさないのね」


リズナが風を送り込む。


「罠は?」


ゼラスが尋ねる。


「近くには感じない。下に幾つか魔物がいるけど、普通の反応よ」


「普通の魔物が少し懐かしく感じるね」


シェルミアが言う。


「感覚がおかしくなってますよ」


四人は石段を下りていった。




第九十五階層には、天井から無数の石の刃が吊り下がっていた。


風や足音へ反応して落下する罠だったが、リズナが動く空気を細かく制御し、四人の周囲だけを無風に近い状態へ整えた。


床を這う甲虫の群れは、シェルミアが安全な経路を見つけ、リュミエラの障壁で押し分ける。


第九十六階層では、灰色の獣たちが霧の中から襲いかかってきた。


姿は見えなかったが、リズナの風から逃れることはできない。


一体目はシルフィードに首を断たれ、二体目はゼラスの炎に焼かれた。


残る獣はリュミエラの術式で動きを封じられ、シェルミアが核を突く。


二つの階層を越える間、白い声は聞こえなかった。


百階層から向けられていた魔力も、僅かに弱まっている。


「諦めたと思う?」


第九十七階層への門を前に、リズナが尋ねる。


「いや」


ゼラスが即座に答えた。


「私も、次の準備をしているだけだと思うよ」


シェルミアが門の術式を調べる。


「攻撃を止めたというより、もっと確実に二人を捕らえる方法を考えている感じがするね」


リュミエラが扉へ手を触れた。


「それに、この門の向こうは……私も覚えているわ」


ゼラスも石門を見る。


「ああ」


「八百年前にも通った?」


シェルミアが尋ねる。


「形は違うが、この先にある空間は同じだ」


「私の時もそうだったわ」


リュミエラの術式が石門を開く。


重い音と共に、二枚の扉が左右へ動いた。




第九十七階層には、三本の道が並んでいた。


左の道には、古い紫色の術式が僅かに残っている。


千年前、リュミエラが通った痕跡。


右の道の壁には、剣でつけられた古い傷があった。


八百年前、ゼラスが進んだ経路。


そして二本の間に、白い石で造られた新しい道が開いている。


入口には、炎と風の紋様が刻まれていた。


「昔は中央の道はなかった」


ゼラスが言う。


「ええ」


リュミエラが白い石へ術式を伸ばす。


「左右の道は、どちらも第九十八階層へ続いていたはずよ」


シェルミアが中央の道へ近づく。


「これは百階層が二人のために開いた接続経路だね」


リズナが風を送る。


中央の道は、第九十八階層にも第九十九階層にもつながっていない。


さらに深い場所へ、真っ直ぐ伸びている。


「百階層まで続いてる」


炎と風の紋様が同時に光った。


『最終接続の準備を完了』


白い道の奥から、巨大な門が開く音が響く。


『炎の鍵と風の器を、百階層へ収容する』




二度の拒絶を経てもなお、百階層は二人が従うと信じていた。

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