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千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第三章 グラン・ラビリス編
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第五十九話 別れた道



『器の意思を不要と判断』


緑色の線が、リズナの両脚へ絡みついた。


足元から冷たい魔力が這い上がり、膝の動きを奪っていく。


「リズナ!」


リュミエラが彼女の腕を引いた。


だが、緑の線は石床へ根を張ったように動かない。


通路の奥から強い力が働き、リズナの体を前へ運ぼうとする。


「勝手に動かさないで……!」


リズナがシルフィードを床へ突き立てる。


剣を支えにして踏み止まるが、緑の光はさらに腰まで伸びてきた。


『回収経路への移送を開始』


リズナの右脚が、自分の意思とは無関係に一歩前へ出る。


「体を操っているの?」


リュミエラが緑の光へ術式を重ねた。


紫色の線がリズナの脚を覆い、侵入している魔力の流れを映し出す。


「いいえ。意識そのものには触れていないわ」


「じゃあ、何をされてるんですか?」


「体の周囲にある風を固定して、外側から動かしているのよ」


リズナは歯を食いしばった。


自分の体を操られているのではない。


全身を包む空気そのものが、見えない手のように彼女を運ぼうとしている。


「風の器だからって、風なら何でも従うと思わないで!」


風晶石へ魔力を流す。


自分を拘束している風の流れを探り、その境目へ細い風刃を走らせた。


緑の光が僅かに揺らぐ。


だが、切れた流れは通路の壁から補われ、すぐに元へ戻った。


「この通路全体が接続装置になっているわ」


リュミエラが周囲を見渡す。


「一か所を切っても、別の場所から流れ込んでくる」


「なら、全部切ります」


「できるの?」


「私の周りにある風なら」


リズナはシルフィードから手を離した。


緑の力に引かれ、体が再び前へ動き始める。


それに逆らわず、一度だけ目を閉じた。


自分を包む風。


通路の奥へ向かう流れ。


壁から補われる魔力。


そして、その中で僅かに自由を残している、自分自身の風。


「見つけた」


リズナが両手を広げる。


全身の周囲で、無数の風刃が同時に生まれた。


刃は外へ飛ばない。


薄い膜のように体の表面を走り、緑の流れだけを細かく切り裂いていく。


足。


腰。


肩。


最後に、首元まで伸びていた光が断たれた。


リズナはその場へ膝をつく。


緑色の線が再び伸びようとした瞬間、リュミエラの術式が壁一面へ広がった。


「一度切れれば十分よ」


紫色の鎖が左右の壁へ突き刺さり、緑の魔力が流れ込む細い溝を塞ぐ。


通路全体が大きく震えた。


『移送を再試行』


「させないわ」


リュミエラが指を閉じる。


壁の溝に満ちていた魔力が押し戻され、緑の光が消えた。


リズナはゆっくりと立ち上がる。


「ありがとうございます」


「礼は後でいいわ。まだ通路そのものは生きているもの」


リュミエラは奥へ続く緑の道を見る。


「歩ける?」


「はい」


リズナはシルフィードを拾い、握り直した。


「今度触ってきたら、もっと細かく切ります」


「頼もしいわね」


「怒ってるだけです」


二人が歩き始める。


緑の通路は先ほどまでと変わらず、百階層へ向かって伸びていた。


だが、リズナの足元へ再び光が絡みつくことはなかった。




赤い通路では、床から伸びた黒い槍がゼラスの前で止まっていた。


槍を動かしていた壁の術式は、既に炎で焼かれている。


シェルミアは足元の罠と、先を歩くゼラスを交互に見た。


「八百年前に百階層へ行った時も、こんな道だったの?」


「いや」


ゼラスは足を止めずに答える。


「階層を飛ばす接続路も、俺だけを狙う仕掛けもなかった」


「リュミエラが通った時は?」


「聞いた限りでは同じだ。普通に階層を下りている」


「魔物や罠はあった?」


「ああ。階層主もいた」


ゼラスの足元で、赤い紋様が光る。


天井から無数の細い針が射出された。


ゼラスは半歩だけ左へ動く。


針は彼の右側へ集中して降り注ぎ、何もない石床へ突き刺さった。


シェルミアが目を細める。


「今の罠、右へ避けることを前提にしてたね」


「昔は右へ避けていた」


「第七十三階層の記録?」


「それだけじゃないだろうな」


前方の壁が開き、全身を赤い甲殻で覆った獣が三体現れた。


炎への耐性を持たせるためか、甲殻の表面には熱を逃がす細い溝が刻まれている。


『排除対象に対する耐火個体を投入』


「本当に徹底してるね」


シェルミアが短剣を抜く。


「私も手伝うよ」


「必要ない」


最初の獣が飛びかかった。


ゼラスは正面から迫る爪を剣で受け流し、その勢いを横へ逸らす。


獣の巨体が壁際へ流れた。


そこへ二体目が突進する。


ゼラスは一歩下がる。


二体目の角が、体勢を崩した一体目の脇腹へ突き刺さった。


赤い甲殻が砕ける。


三体目がゼラスの背後へ回り込む。


だが、剣を振り返すこともしなかった。


足先で床の赤い紋様を踏む。


先ほど止まっていた黒い槍が再び動き、三体目の腹部を貫いた。


「罠を動かしたの?」


シェルミアが尋ねる。


「焼いたのは停止させる部分だけだ」


「最初から使うつもりで残したんだね」


ゼラスは傷ついた一体目の首へ剣を走らせた。


甲殻の隙間を正確に断つ。


続いて二体目の角を躱し、露出していた脇腹へ刃を突き入れる。


三体目は黒い槍から逃れようともがいていた。


ゼラスが指先を向ける。


小さな火球が甲殻の割れ目へ入り込み、内側で弾けた。


三体の獣が、ほぼ同時に動きを止める。


「耐火個体だったんだけど」


「外側が燃えにくいだけだ」


ゼラスは剣についた血を払う。


「中まで同じとは限らない」


「余裕だね」


「俺を排除するための道だからな」


ゼラスが再び歩き始める。


「俺が通ることしか考えていない。狙いが一つなら読みやすい」


「八百年前の動きまで使ってるのに?」


「八百年あれば、動きくらい変わる」


シェルミアは倒れた獣を一度だけ振り返った。


百階層はゼラスを危険と判断し、専用の罠と魔物を用意している。


それでも彼は、大きな術も特別な武器も使っていない。


普通の剣と最低限の炎だけで、全てを処理していた。


「この仕組み自体は、昔から迷宮の中にあったと思う?」


「分からん」


「石の古さは、他の階層と変わらない。最近造られたようには見えないんだよね」


シェルミアは歩きながら、壁の溝を指でなぞる。


「昔は止まっていたか、別の経路の裏側に隠されていた。外側の門がゼラスとリズナを認識したことで、今になって動き始めた可能性が高いと思う」


「そうだろうな」


「驚かないの?」


「今さらだ」


赤い通路の先で、床が左右に割れた。


深い穴の底から、赤い光が幾つも浮かび上がる。


ゼラスが穴の縁で止まる。


「また飛ぶの?」


シェルミアが尋ねる。


「いや」


ゼラスは近くの壁へ剣を突き立てた。


赤い光を制御していた術式へ炎を流し込む。


穴の奥で鈍い音が響いた。


壁の一部が崩れ、隠されていた細い階段が現れる。


「階段があったんだ」


「飛ばせて魔力を使わせるつもりだったんだろ」


「そこまで読める?」


「俺を疲れさせたいなら、そうする」


ゼラスは階段へ足を下ろした。


「飛ぶ必要がないなら歩く」


「百階層も、もう少し相手を選ぶべきだったね」


「選んだ結果がこれだ」


二人は崩れた壁の奥へ進んだ。




緑の通路の終点には、円形の部屋があった。


中央に人一人が立てるほどの白い台座が置かれている。


その周囲には、風の紋様だけが幾重にも刻まれていた。


「ここに立たせるつもりだったのね」


リズナが台座を睨む。


リュミエラが術式を伸ばす。


「触れない方がいいわ。百階層へ直接送るためのものかもしれない」


「壊しますか?」


「いいえ。先に別の出口を探しましょう」


部屋の壁に扉はない。


だが、リズナが風を広げると、右側の壁から僅かな空気の流れを感じた。


「向こうに空間があります」


シルフィードを振るう。


風刃が壁を斜めに切り裂いた。


石の表面が崩れ、その奥から赤い光が漏れる。


「赤い道……?」


さらに壁を切り開く。


向こう側に、剣を構えたゼラスの姿があった。


「リズナ」


「ゼラス!」


二人の間に残っていた石壁を、内側と外側から同時に砕く。


赤と緑の経路が一つにつながった。


シェルミアが開いた穴をくぐり、白い台座を見る。


「本来の合流地点は、ここだったみたいだね」


「そっちは大丈夫だった?」


リズナがゼラスへ近づく。


「ああ」


「本当に?」


「罠と魔物がいただけだ」


「だけって……」


シェルミアが苦笑する。


「ゼラスには、ほとんど通用してなかったよ」


「ならよかった」


リズナは明らかに息を緩めた。


ゼラスが彼女の足元を見る。


「そっちは何をされた?」


「勝手に運ばれそうになった」


「怪我は?」


「ないわ。リュミエラさんが止めてくれたから」


リュミエラが白い台座の縁を調べる。


「リズナちゃん自身も、拘束を切り裂いていたわ」


「そうか」


ゼラスは台座へ目を向ける。


「壊すか」


「待って」


シェルミアが台座の側面に浮かぶ文字を見つけた。


赤と緑の光が、合流した四人へ反応している。


『排除経路の突破を確認』


『回収経路の拒絶を確認』


白い台座に亀裂が走った。


その内側から、下へ続く階段が現れる。


シェルミアが入口の文字を読む。


「第九十四階層」


「また幾つか飛ばしたのね」


リズナが階段の奥へ風を送る。


「下に大きな空間があります」


四人が階段を下り始める。


背後では、赤と緑の二つの通路がゆっくりと閉じていった。




第九十四階層の中央には、巨大な石の輪が立っていた。


外側の門とよく似た形。


だが、輪の内側には何もない。


ただ暗い空間だけが、底の見えない穴のように広がっている。


石の輪の前には、二つの窪みがあった。


炎。


風。


リズナが近づく前に、輪の奥から声が響く。


『炎の鍵による排除経路の突破を確認』


赤い窪みが光る。


『風の器による回収命令の拒絶を確認』


緑の窪みも光った。


二つの光が輪の中央へ集まり、暗闇の中に百階層の姿を映し出す。


広大な石室。


その中央に立つ、白い門。


門の前には、人の形をした何かが一つ佇んでいた。


顔も衣服もない。


輪郭だけが白く浮かんでいる。


シェルミアが息を止める。


「ミテイ……?」


「違う」


リズナが即座に答えた。


風から伝わる魔力は、ミテイのものではない。


もっと古く、大きい。


外側の門から聞こえた声と同じものだった。


白い人影が、ゆっくりと顔を上げる。


『鍵と器の自律性を確認』


その声が、第九十四階層全体を震わせた。


『百階層にて、両者の意思を除去する』




百階層が求めているのは、ゼラスとリズナではない。


意思を持たない、炎の鍵と風の器だった。

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