表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第三章 グラン・ラビリス編
49/83

第四十八話 選ぶ者



『これで、選べる』


記録のシェルミアが立ち上がる。


細い白い亀裂が、瞳の奥から頬へ伸びていた。


声はシェルミアのものだ。


だが、その奥にはゼラスやリュミエラ、リズナ、そして壁に残された名も知らない者たちの声が重なっている。


「何を選ぶつもり?」


本物のシェルミアが短剣を構えた。


記録のシェルミアは、亀裂の入った中央の円へ視線を落とす。


『進む道』


「どこへ?」


一瞬の沈黙。


壁に刻まれた幾つもの顔が、ゆっくりと口を開いた。


『百階層』


重なった声が、広間を震わせた。


ゼラスが剣を構え直す。


「やはり、そこへ行くつもりか」


『行く』


記録のシェルミアが答える。


『今度は、間違えない』


「何を間違えたのかも知らないだろ」


『知らない』


「なら、なぜ百階層を目指す?」


『呼ばれているから』


「誰に?」


記録のシェルミアは答えなかった。


代わりに、足元から白い糸が伸びる。


糸は亀裂の入った円へ入り込み、床に刻まれた溝を伝って広間全体へ広がっていった。


閉じていた壁の顔が、次々と瞼を開く。


千年前のリュミエラ。


八百年前のゼラス。


下りる途中のもの。


戻る途中のもの。


傷を負ったもの。


何かを警戒するもの。


壁に残された無数の視線が、一斉に広間の奥へ向けられた。


「何をしてるの?」


リズナが風を巡らせる。


床の溝を流れる魔力は、先ほどまでと違っていた。


記録を体へ送り込んでいるのではない。


一つ一つの記録から、細い魔力を取り出している。


「姿を作ろうとしてるんじゃない」


リズナが告げる。


「別の何かを探してるみたい」


「記録同士を比べてるんだ」


シェルミアが周囲を見回す。


「下りた時に、どこを通ったのか。どの道を選んで、どこへ着いたのかを調べてる」


リュミエラが目を細める。


「千年前の私と、八百年前のゼラス。二つの経路を重ねているのね」


「欠けたものを満たす場所……」


シェルミアが中央の円を見る。


「人の記録を完全にするための場所じゃない。複数の記録から、途切れた道をつなぎ直すための場所だったのかもしれない」


『正解』


記録のシェルミアが微笑む。


『一つの記録では、百階層まで届かない』


壁に刻まれた青年姿のゼラスが口を開いた。


『右へ進んだ』


反対側のリュミエラが続ける。


『左へ進んだわ』


別のゼラスが告げる。


『階段を下りた』


別のリュミエラが言う。


『階段は使わなかった』


矛盾する言葉が、次々と広間へ響く。


記録のシェルミアは、その一つ一つへ耳を傾けていた。


『右』


『左』


『下』


『戻る』


『進む』


『通れない』


『通れる』


重なった声の中から、記録のシェルミアが一つを選ぶ。


『右』


右側の壁に刻まれた一本の溝が光った。


次の声。


『下』


床から奥の壁へ、光が伸びる。


『進む』


三本目の溝がつながった。


ばらばらだった記録が、一つの道を形作っていく。


「止めるぞ」


ゼラスが踏み込む。


記録のシェルミアが片手を上げた。


壁から、青年姿のゼラスの上半身が浮かび上がる。


完全な体ではない。


腰から下は壁に埋まったまま、右腕だけで剣を振るった。


ゼラスは刃を受け止める。


同時に、反対側から記録のリュミエラの術式が伸びた。


紫色の帯が、リズナとシェルミアの足元を狙う。


本物のリュミエラが障壁を差し込んだ。


「記録を守りに使っているのね」


『必要なものを、選んでいる』


記録のシェルミアは中央から動かない。


『剣』


青年姿のゼラスが、もう一度刃を振るう。


『拘束』


壁のリュミエラから紫色の帯が増える。


『風』


別の場所から、リズナの声が聞こえた。


『足元に気をつけて』


直後、床の溝から風が噴き出した。


現実のリズナがシルフィードを振るい、風の向きを変える。


「私の記録まで使ってる!」


「この広間へ来るまでに残したものだろうね」


シェルミアが短剣で紫色の帯を切り払う。


「でも、体を作る時とは違う。一度に全部を再現せず、必要な動きだけ取り出してる」


「さっきより厄介だな」


ゼラスが青年姿の剣を跳ね上げる。


壁に埋まった腕を斬り落とす。


だが、記録のシェルミアが新たな声を選んだ。


『剣』


別の壁から、少年姿のゼラスの腕が伸びる。


新しい刃がゼラスの背後を狙った。


ゼラスは身を沈め、剣を避ける。


「同じものを何度でも出せるらしいな」


『同じではない』


記録のシェルミアが答える。


『その時に必要なものを選んでいる』


「随分と便利になったね」


本物のシェルミアは、中央へ向かいながら記録板を開いた。


「でも、選ぶには情報が必要だよ」


記録のシェルミアが彼女を見る。


「今のあなたが使っているのは、この広間に残った記録だけ。私たちが次に何をするかまでは分からない」


『記録すればいい』


「その前に壊す」


シェルミアが短剣を投げた。


刃は記録のシェルミアではなく、床の溝へ突き刺さる。


白い魔力が流れていた一本が途切れた。


壁に浮かんでいた少年の腕が崩れる。


「リズナ、光ってる溝だけを探して!」


「分かりました!」


リズナが風を床へ広げた。


白い魔力の流れる場所。


既に使い終わった場所。


次に記録のシェルミアへつながろうとしている場所。


風が細かな違いを拾い上げていく。


「右に二本、左に一本! それと、中央から奥の壁へ伸びてます!」


「奥の壁が目的地ね」


リュミエラが術式を展開する。


紫色の線が三つに分かれ、床の溝へ落ちた。


記録のシェルミアが腕を振る。


『防ぐ』


壁に刻まれたリュミエラたちが、一斉に障壁を作る。


幾つもの紫色の膜が、床の上へ重なった。


本物のリュミエラの術式が弾かれる。


「昔の私に守られるというのも、妙な気分ね」


リュミエラは僅かに笑った。


「けれど、その障壁はもう古いわ」


指先を返す。


弾かれた紫色の線が空中で折れ曲がり、障壁の端を回り込んだ。


複数の膜を支えていた接続点へ、細い術式が入り込む。


記録の障壁が内側からほどけた。


「今よ、リズナちゃん」


「はい!」


リズナが風を叩き込む。


床を走っていた三本の白い流れが、同時に吹き散らされた。


壁から伸びていた腕と術式が崩れる。


ゼラスの前から剣が消えた。


「残りは奥へ伸びてる一本です!」


リズナが叫ぶ。


記録のシェルミアは、既に中央の円から走り出していた。


奥の壁へ向かっている。


その先には、まだ何もない。


ただ、壁の顔が一列に並び、同じ方向を見つめている。


『右』


一つ目の顔が告げる。


『下』


二つ目。


『左』


三つ目。


『進む』


四つ目。


声が響くたび、黒い壁へ白い線が刻まれていく。


道筋を示すように、線が折れ曲がりながら伸びていた。


「ゼラス!」


リズナが呼ぶ。


「ああ」


ゼラスは床を蹴った。


記録のシェルミアとの距離を詰める。


白いものを宿した体が振り返る。


短剣が放たれた。


ゼラスは剣で弾く。


その一瞬に、記録のシェルミアが壁へ手を触れた。


『開いて』


白い線が一斉に光る。


黒い壁が中央から割れた。


奥に現れたのは、細い下り階段だった。


階段の壁にも、無数の顔が並んでいる。


全てが暗い奥へ視線を向けていた。


「行かせない!」


リズナが風を放つ。


記録のシェルミアの足元へ風が絡みつく。


体が僅かに浮き、階段の手前で動きを止めた。


ゼラスが剣を振り上げる。


記録のシェルミアは避けなかった。


代わりに、自分の体へ残っていた白い魔力を一気に放出する。


白い光が広間を満たした。


「目を閉じろ!」


ゼラスが叫ぶ。


視界が白く染まる。


リズナは風だけで周囲を探った。


目の前にいる記録のシェルミア。


その体から、何か小さなものが抜け出す。


細い糸。


七十二階層の門を抜けてきた、白い欠片。


「本体が離れます!」


リズナがシルフィードを振るう。


風の刃が白い糸へ迫る。


だが、その前へ記録のシェルミアが身を投げ出した。


刃が胸を貫く。


白い糸は、その背後を抜けて階段へ滑り込んだ。


「くそっ!」


ゼラスが炎を放つ。


火球が暗い階段を走る。


白い糸へ触れる直前、階段の壁から幾つもの手が伸びた。


記録された者たちの腕。


炎を受け止め、白い糸を奥へ運んでいく。


火球が爆発する。


石片と白い光が散った。


それでも、細い糸は消えていない。


壁から壁へ。


手から手へ。


記録の中を渡りながら、階段の奥へ遠ざかっていく。


『右』


階段の顔が告げる。


『下』


次の顔。


『左』


さらに奥の声。


白いものは、選び出した道に沿って進んでいた。


ゼラスが追おうとする。


その足元へ、記録のシェルミアが倒れ込んだ。


胸を風の刃で貫かれ、全身から色が抜け始めている。


『待って』


弱い声だった。


ゼラスが足を止める。


「まだ邪魔をするつもりか?」


『違う』


記録のシェルミアは、階段の奥を見る。


瞳にあった白い亀裂は消えていた。


『あれは、私から離れた』


本物のシェルミアが駆け寄る。


「あなたは、戻ったの?」


『分からない』


記録のシェルミアは、自分の崩れ始めた手を見る。


『白いものが入ってから、進みたいと思った』


「百階層へ?」


『うん』


「今は?」


記録のシェルミアは、しばらく答えなかった。


やがて、本物の自分へ顔を向ける。


『知りたい』


シェルミアが僅かに目を見開く。


『百階層に何があるのか。どうして、あれが呼ばれているのか』


「それは、あれが与えた目的じゃないの?」


『たぶん、最初は』


記録のシェルミアが小さく笑った。


『でも、今は私が知りたい』


崩れた指先が、白い粒となって消えていく。


本物のシェルミアは膝をつき、記録の自分と目線を合わせた。


「なら、一緒に確かめよう」


『無理だよ』


「まだ消えてない」


『もう動けない』


リュミエラが体の状態を調べる。


記録の中心を通っていた魔力は、ほとんど残っていない。


白いものが離れた時、体を維持する力まで奪っていったらしい。


「このままでは、長く保たないわ」


『知ってる』


記録のシェルミアは、亀裂の入った中央の円へ目を向けた。


『あそこに、私が選んだ道が残ってる』


「百階層までの道?」


『全部じゃない』


記録のシェルミアは首を振る。


『ここから先、幾つかの階層だけ。千年前と八百年前の記録が重なっている場所まで』


「そこまでなら、追えるんだね」


『うん。でも、あれは迷わない』


白いものは、既に見えなくなっていた。


それでも、階段の奥から声だけが続いている。


『右』


『下』


『進む』


「道を選ぶ力を持っていかれたか」


ゼラスが暗闇を見据える。


『違う』


記録のシェルミアが答えた。


『選ぶ力は、最初からあった』


「なら、何を得た?」


『選ぶ理由』


その言葉を最後に、記録のシェルミアの輪郭が大きく崩れた。


本物のシェルミアが腕を伸ばす。


だが、触れる前に白い体は光の粒となって消える。


床へ、一枚の白い記録板が落ちた。


シェルミアが拾い上げる。


表面には、細い線で幾つもの通路が刻まれていた。


現在いる広間。


その先の階段。


さらに下へ続く、未知の経路。


途中から線は二つに分かれ、片方だけが白く光っている。


「これが、あの子の選んだ道……」


シェルミアは記録板を見つめた。


リュミエラが階段の奥へ術式を伸ばす。


「白いものの反応は、まだ捉えられるわ。ただ、急速に遠ざかっている」


「追える?」


リズナが尋ねる。


「ええ。今ならまだ」


ゼラスが階段へ足を掛ける。


「行くぞ」


「待って」


シェルミアが白い記録板を持ち上げた。


「この道、途中で二つに分かれてる」


「どちらを通った?」


「白いものは、右を選んだみたいだね」


「なら、俺たちも右か」


「それが罠じゃなければね」


シェルミアは記録板へ視線を落とした。


左の道には、何も記されていない。


右の道には、千年前と八百年前の記録が重なっている。


安全が確認された道。


白いものが選んだ道。


リズナが階段へ風を送る。


「右から、白い魔力を感じます」


「左は?」


「何も分かりません。風が戻ってこないです」


ゼラスは二つの道を見比べる。


「右へ行けば追える。左へ行けば、先回りできるかもしれない」


「でも、どこへ出るか分からないよ」


シェルミアが言う。


「白いものは、私たちが右から追ってくると考えるでしょうね」


リュミエラが静かに微笑んだ。


「なら、選ぶべき道は決まっているのではなくて?」


シェルミアの口元が僅かに上がる。


「そうだね」


白い記録板を閉じる。


「私たちは左へ行こう」




白いものが選ばなかった道へ、四人は足を踏み入れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ