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千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第三章 グラン・ラビリス編
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第四十七話 重なる記録



細い通路を抜けた先には、巨大な円形の広間があった。


床には幾重もの円が刻まれ、それぞれを細い溝がつないでいる。


壁一面には、人の顔が浮かんでいた。


そのほとんどが、ゼラスとリュミエラだ。


少年の姿をしたゼラス。


壁で見た、八百年前の青年姿のゼラス。


傷を負った姿。


無傷の姿。


険しい顔で奥を見つめるものもあれば、背後を警戒するように振り返っているものもある。


リュミエラの記録も一つではない。


目を閉じて術式を組むもの。


壁へ手を触れているもの。


何かを見つけ、驚いた表情を浮かべたもの。


同じ人物の異なる瞬間が、円形の広間へ幾重にも並んでいた。


その中央に、記録のシェルミアと記録のリュミエラが立っている。


『来たね』


記録のシェルミアが、現実の四人を見渡した。


『待っていたわ』


記録のリュミエラの足元から、魔力が床の溝へ流れ込む。


壁に刻まれた顔が、一斉に瞼を開いた。


「ここが、記録を重ねる場所か」


ゼラスが剣を構える。


『一人分では足りなかった』


記録のシェルミアが答える。


『姿は作れても、知らないことには対応できない。経験も、判断も、使わなかった力も再現できない』


「だから、昔の記録を混ぜるつもりなのね」


リュミエラが周囲の術式を見渡す。


『欠けた部分は、別の記録で満たせるわ』


記録のリュミエラが微笑んだ。


壁から、青年姿のゼラスが抜け出す。


続いて、少年姿のゼラス。


二人の足が床へ着くと、それぞれ異なる円へ魔力が通った。


反対側では、三人のリュミエラが壁から現れる。


どれも現在の彼女と同じ顔をしている。


だが、体内を巡る術式の形は僅かずつ違っていた。


「本当に、何層も記録されてるんだね」


シェルミアが記録板を開く。


「下りた時と、戻った時。それ以外にも、この広間で立ち止まった瞬間まで残ってる」


『それを重ねれば、より完全な私たちになる』


記録のシェルミアが言った。


「完全な私?」


シェルミアは僅かに眉を上げる。


「私なら、そんな曖昧な言葉で実験を始めないと思うけどね」


『だから、確かめる』


記録のシェルミアが片手を上げた。


床の円が光る。


壁から抜け出した五体の記録が、同時に動いた。




青年姿のゼラスが、正面から踏み込んだ。


右手に握られた剣が、現在のゼラスへ振り下ろされる。


ゼラスは刃を受け止め、相手の顔を見上げた。


「随分と懐かしい姿だな」


『随分と懐かしい姿だな』


青年のゼラスが、同じ声で返す。


横から、少年姿の記録が炎を放つ。


ゼラスは青年の剣を押し返し、低く身を沈めて炎を避けた。


その退路へ、二人目の刃が差し込まれる。


現在と過去。


二つの記録が、異なる動きで同じ一人を追い詰めていた。


「ゼラス!」


リズナが風を放つ。


青年姿の記録が横へ流される。


だが、少年姿の記録は風の切れ目を選び、ゼラスとの距離を詰めた。


その動きは、これまで迷宮で見せた現在のゼラスのものだった。


「今のゼラスの動きまで使ってる!」


「過去の俺が、今の俺を援護しているらしいな」


「感心してる場合?」


「してない」


ゼラスは少年姿の剣を受け流し、その腕へ蹴りを入れた。


記録の体が傾く。


そこへ青年姿の剣が迫る。


ゼラスは振り返らず、自分の剣を背後へ回した。


二本の刃が甲高い音を響かせる。


次の瞬間、青年姿の記録の左手に炎が生まれた。


「それも覚えてる」


ゼラスが呟く。


炎が放たれる直前、その手首を剣の柄で打ち上げる。


火球は天井へ逸れ、壁に刻まれた顔の一つを焼いた。


しかし、損傷した顔はすぐに石の中へ沈み、隣の記録へ魔力が移っていく。


「壊しただけじゃ駄目だ!」


シェルミアが叫ぶ。


「床の円から、別の記録へ接続を移してる!」


「どこを切ればいいですか?」


リズナが尋ねる。


「まだ探してる!」


シェルミアの前へ、記録のリュミエラが術式を放つ。


紫色の帯が、シェルミアの両脚を狙う。


本物のリュミエラが障壁を差し込み、術式を受け止めた。


「シェルミアは調べ続けて。こちらは私が引き受けるわ」


『こちらは私が引き受けるわ』


三人の記録が同時に手を上げる。


異なる形の術式が重なり、リュミエラの障壁へ押し寄せた。


一つは拘束。


一つは魔力の流れを乱すもの。


もう一つは、障壁そのものを内側から崩そうとしている。


リュミエラは三つの術式を見つめ、僅かに目を細めた。


「どれも、昔の私が使っていた形ね」


『あなたの記録よ』


「ええ。だから、欠点も知っているわ」


リュミエラの指先から、細い紫色の線が伸びる。


三つの術式へ正面からぶつけるのではなく、それぞれの接続点だけを正確に貫いた。


重なっていた魔力が、一斉にほどける。


記録のリュミエラたちが僅かに動きを止めた。


「千年もあれば、術式くらい直すものよ」


リュミエラが手を払う。


崩れた三つの魔力が逆流し、記録体を床の円へ叩きつけた。




リズナはシルフィードを構え、広間を走った。


記録のシェルミアが、中央から指示を飛ばす。


『右から風が来る』


青年姿のゼラスが、リズナの風を避ける。


『次は足元』


少年姿のゼラスが跳び上がる。


『リュミエラは左へ回って』


倒れた記録のリュミエラが立ち上がり、本物の背後へ移動する。


指示は正確だった。


現実の四人が何をするか、これまでの記録から先回りしている。


シェルミアは記録板へ視線を落としたまま言う。


「リズナ、私の指示を待たないで」


「え?」


「向こうの私は、私がどう指示するかを知ってる。今は自分で選んで」


「分かりました!」


リズナはゼラスを援護しようとしていた風を止めた。


突然消えた風に、二人の記録が僅かに体勢を崩す。


そのまま進路を変え、中央の記録のシェルミアへ向かった。


『中央へ来る』


記録のシェルミアは後退する。


リズナも追わない。


足元へ風を流し、床の溝を探る。


「風が吸われてる……」


細い溝の中を、魔力と空気が同じ方向へ流れていた。


壁の記録から床へ。


床から中央へ。


そして中央から、現在動いている記録体へ。


「シェルミアさん! 全部の流れが、中央の円で一度重なっています!」


「そこが選別してるんだね!」


本物のシェルミアが記録板を閉じた。


「記録を重ねてるのは壁じゃない。中央の円だよ!」


記録のシェルミアが片足を床へ打ちつける。


『遅い』


中央から新たな魔力が流れ出す。


青年姿と少年姿のゼラスの輪郭が揺れた。


二つの体が引き寄せられ、互いに重なり始める。


青年の背丈。


少年の顔。


長い手足と、現在のゼラスの魔力。


異なる時代の記録が、一つの体へ無理に押し込まれていく。


反対側では、三人のリュミエラも一つに重なっていた。


体内へ複数の術式が巡り、先ほどまでよりも遥かに大きな魔力が膨らむ。


『これで、欠けた部分は満たされる』


記録のシェルミアが告げる。


「それで完全になったつもりか?」


ゼラスが、重なった自分を見上げる。


複合された記録のゼラスが剣を構えた。


姿勢は青年のもの。


視線と剣の角度は、現在の少年姿のもの。


『少なくとも、今のお前より多くを持っている』


「多ければいいわけじゃない」


『負け惜しみか?』


「いや」


ゼラスは剣先を下げた。


「俺なら、その構えは選ばない」


複合されたゼラスが踏み込む。


青年の長い歩幅で距離を詰め、現在のゼラスが使う最短の斬撃を放つ。


速い。


だが、二つの動きは僅かに噛み合っていなかった。


踏み込みが深すぎる。


剣だけが先に届き、体の軸が遅れている。


ゼラスは半歩だけ横へ動き、刃を避けた。


「混ぜたせいで、動きがずれてるぞ」


相手の脇腹へ剣を叩き込む。


記録体が大きく傾いた。


それでも倒れない。


床から魔力を吸い上げ、傷を塞ぐ。


複合されたリュミエラも、複数の術式を同時に展開していた。


強力ではある。


だが、術式同士が互いの流れを邪魔し、幾つもの線が不自然に交差している。


「同じ人物の記録でも、全てを重ねればいいわけではないのね」


リュミエラが、乱れた接続点を見抜く。


「下りた時の私と、戻った時の私は、同じものを求めていなかったのでしょうから」


『どちらも、あなたよ』


「ええ。でも、同じ瞬間の私ではないわ」


リュミエラが手を閉じる。


紫色の術式が、複合体の内側へ入り込む。


異なる記録をつないでいた線が、一本ずつ切れていった。


記録のリュミエラの輪郭が、三つに分かれかける。


『維持して』


記録のシェルミアが中央の円へ魔力を送る。


「リズナ!」


本物のシェルミアが叫ぶ。


「中央の流れを逆にできる?」


「やってみます!」


リズナがシルフィードを床へ突き立てた。


風が細い溝へ流れ込む。


記録を送り出す流れへ逆らい、壁へ向かって吹き返していく。


床の円が激しく明滅した。


記録のシェルミアが初めて表情を歪める。


『止めて』


「もう遅いよ」


本物のシェルミアが中央へ走る。


記録の自分も同じ方向へ動いた。


二人が、円の手前で向かい合う。


記録のシェルミアが短剣を抜いた。


『あなたなら、ここを調べたいはずだ』


「調べたいよ」


シェルミアも短剣を構える。


「でも、調べるために仲間を材料にはしない」


『先へ進むためなら必要だ』


「それは私の判断じゃない」


二本の短剣がぶつかる。


力も、速さも、間合いも同じ。


だが、本物のシェルミアは刃を押し合わなかった。


手首を返し、自分から短剣を床へ落とす。


記録のシェルミアの視線が、落ちた刃を追った。


その一瞬に、シェルミアは相手の肩を掴み、中央の円の外へ引きずり出す。


『武器を捨てる?』


「記録にないことをするなら、何でもいいからね」


記録のシェルミアが円から離れた瞬間、全ての供給が乱れた。


複合されたゼラスとリュミエラの動きが止まる。


「今だ!」


シェルミアの声が響いた。




ゼラスは床を蹴った。


だが、中央の円へ向かったのではない。


足元で膨大な魔力が爆ぜる。


少年の体が、真上へ浮かび上がった。


「本当に飛んだ!」


リズナが思わず叫ぶ。


「疑ってたのか?」


ゼラスは空中で体を傾け、複合された自分の頭上を越える。


記録のゼラスが、遅れて上を見る。


飛翔は、この迷宮で一度も使っていない。


壁にも、床にも、その動きは記録されていなかった。


『飛べるのか』


「俺だからな」


ゼラスは空中から剣を振り下ろす。


複合体の肩を深く斬り裂き、その勢いのまま中央の円へ着地した。


膝を曲げ、右手の剣を床の中心へ突き立てる。


炎が刃を伝い、円の内側へ流れ込んだ。


「燃えろ」


圧縮された炎が、記録をつなぐ術式の奥で爆発する。


床の円へ大きな亀裂が走った。


リズナの風が、その亀裂へ一気に吹き込む。


リュミエラの術式が、残る接続線を切断する。


シェルミアは記録の自分を円の外へ押さえ込んだ。


壁から送られていた魔力が途切れる。


複合されたゼラスの体が、青年と少年へ分かれた。


二人は床へ倒れ、石の粒となって崩れていく。


複合されたリュミエラも三つの姿へ分裂し、それぞれ壁の中へ吸い戻された。


広間を埋めていた顔が、一斉に瞼を閉じる。


「接続が止まりました!」


リズナが告げる。


「壁の記録も動いていません!」


リュミエラが中央の円を調べる。


「術式そのものが壊れたわ。すぐに再び重ねることはできないでしょうね」


ゼラスは床から剣を抜いた。


「随分と燃費が悪いな」


「飛んだ方?」


リズナが尋ねる。


「ああ」


「ほんの少しだったでしょ」


「歩くより五倍以上減る」


「ゼラスの魔力量で、今さら細かいこと言わないでよ」


「多くても、無駄に使う理由はない」


「はいはい」


リズナは呆れながらも、僅かに笑っていた。




中央の円から引き離された記録のシェルミアは、床へ片膝をついていた。


体の輪郭が薄れている。


記録のリュミエラも、少し離れた場所で壁へ手をついていた。


二人とも、供給を失っていた。


『失敗した』


記録のシェルミアが、亀裂の入った円を見る。


「そうだね」


本物のシェルミアが短剣を拾い上げる。


「記録を増やしても、本人にはならなかった」


『足りなかった』


「何が?」


『選ぶもの』


記録のシェルミアが顔を上げる。


『同じ記録を持っていても、同じ選択にはならない』


「それが分かったなら、もうやめた方がいいよ」


『やめるという選択も、私にはない』


その声には、先ほどまでの確信がなかった。


記録のリュミエラが中央の円へ近づく。


『私たちは、先へ進むために作られたもの』


「誰にそう決められたの?」


リュミエラが尋ねる。


記録の彼女は答えない。


答えられないようにも見えた。


シェルミアが周囲を見渡す。


「この記録には、目的そのものが残ってないんだ。通った人の姿や魔力は写せても、なぜ進んだのかまでは正確に残せない」


「だから、迷宮の役目を自分の目的だと思い込んだのね」


リュミエラが静かに言う。


記録のシェルミアの指先が、白い粒となって崩れ始める。


『目的があれば、選べるのかな』


「それは自分で見つけるものだよ」


本物のシェルミアが答えた。


『自分で……』


その時だった。


亀裂の入った中央の円の奥で、何かが動いた。


リズナが振り返る。


「待って。別の魔力があります」


糸のように細い白いものが、床の亀裂から這い出してくる。


迷宮の記録とは違う。


七十二階層の門を抜け、先へ逃れた白い欠片。


「離れろ!」


ゼラスが叫ぶ。


白い糸が、記録のシェルミアの足首へ触れた。


シェルミアが短剣を振るう。


だが、刃が届くより早く、白いものは記録体の中へ潜り込んだ。


崩れかけていた指先が止まる。


薄れていた輪郭へ、再び色が戻っていく。


記録のリュミエラが後退した。


『何をしたの?』


記録のシェルミアが、ゆっくりと立ち上がる。


閉じていた瞼が開く。


その瞳の奥に、細い白い亀裂が走っていた。


『足りなかったものが、分かった』


声はシェルミアのものだった。


だが、その奥から、これまで聞いてきた幾つもの声が重なっている。


ゼラス。


リュミエラ。


リズナ。


そして、壁に残された名も知らない者たち。


記録のシェルミアが、初めて自分の意思で笑った。


『これで、選べる』




迷宮の記録に、白いものが目的を与えた。

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