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千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第三章 グラン・ラビリス編
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第四十三話 選ばなかった道



『どちらも、俺だ』


壁に刻まれた青年のゼラスが告げる。


『どちらも、私よ』


反対側では、千年前のリュミエラが同じように答えた。


右へ進め。


左へ進め。


百階層へ行くな。


百階層へ来い。


相反する言葉を発しながら、二つの顔に偽物らしい乱れは見当たらない。


「魔力はどう?」


シェルミアが尋ねる。


リズナは左右の壁へ風を送り、慎重に流れを探った。


「どちらも本人の魔力に見えます。白いものが混ざっている感じもしません」


「私の術式でも同じ結果ね」


リュミエラが壁から手を離す。


「姿も魔力も、ここに保存された本物の記録よ」


「なら、どちらかが嘘をついているわけじゃないのか」


ゼラスは青年の顔を見上げた。


『嘘をついているわけじゃない』


壁のゼラスが繰り返す。


現在のゼラスが眉を寄せる。


「やはり、俺ならこんな回りくどい話し方はしないな」


『回りくどい話し方はしないな』


「そこまで言われると腹が立つな」


「ゼラス、相手をしないでよ」


シェルミアは二つの顔を記録板へ写し取った。


「これは本人が残した言葉じゃなくて、記録された魔力や思考から、迷宮が返答を作ってるんだと思う」


「記録された当時の私たちが、同じことを考えていなかった可能性もあるわね」


リュミエラが左の通路を見る。


「下りた時と、地上へ戻る時では、考えていたことも違ったでしょうから」


「行きは進む道を探して、帰りは地上へ戻ろうとしていた」


リズナが言う。


「その両方が混ざってるってことですか?」


「たぶんね」


シェルミアが頷く。


「壁に残っているのは、一つの瞬間だけじゃない。ここを通った時の記録が、何層にも重なってるんだよ」


ゼラスが青年の顔へ問いかける。


「右の道を通ったのは、下りた時か?」


壁の奥で魔力が揺れた。


『下りた時だ』


少し遅れて、同じ口が再び動く。


『戻った時だ』


「両方言ったね」


「もう聞くだけ無駄だな」


ゼラスは壁から視線を外した。


青年の顔は、なおも何かを話そうと口を動かしている。


だが、声は出なかった。


反対側のリュミエラも、静かに目を閉じる。


「記録は参考にしても、案内としては信用できない」


シェルミアが二つの通路を見比べる。


「今ある情報で決めよう」


リズナが改めて風を送り込んだ。


右の通路は、緩やかな下り坂の先で大きな空間へ開いている。


空気は僅かに下へ流れていた。


左の通路は細く、途中から風が戻ってこない。


「右なら、先の様子をある程度探れます」


「左は遮断術式があるのかしら」


リュミエラが魔力を伸ばす。


「私が通った頃にも、幾つか隔離された区画があったわ。そこへつながっているのかもしれない」


「右の先には縦穴がある」


ゼラスが記憶を辿るように答えた。


「壁沿いに下りる道があった。途中で何度か崩れていたが、八百年前の話だからな」


「現在の安全を確認しやすいのは右だね」


シェルミアは迷わず右を示した。


「風が通るなら、退路も確保しやすい。今回は右へ行こう」


リュミエラは左の通路を一度だけ見た。


壁に刻まれた過去の彼女は、既に石の中へ消えている。


「ええ、それでいいわ」


「自分が通った道じゃなくても?」


リズナが尋ねる。


「今は一人ではないもの」


リュミエラは穏やかに微笑む。


「全員で安全に進める道を選ぶべきでしょう?」


ゼラスが僅かにリュミエラを見る。


「同じ意見だ」


「珍しく意見が合ったね」


シェルミアが言う。


「昔から、必要な時は合っていたわよ」


「必要がない時は?」


「聞かない方がいい」


ゼラスが先に右の通路へ入った。


リュミエラは何も言わず、その背中へ小さく笑みを向けた。




右の通路は、ゼラスの記憶どおり緩やかに下っていた。


壁に刻まれた顔は次第に少なくなり、代わりに縦へ伸びる細い溝が増えていく。


通路の先から、冷たい上昇気流が流れてきた。


「広い場所に出ます」


リズナが告げる。


四人が曲がり角を抜ける。


その先で床が途切れていた。


巨大な縦穴が、上下の闇へ伸びている。


向かい側の壁すら、魔法灯の光では届かない。


壁面には細い足場が螺旋状に刻まれ、遥か下へ続いていた。


所々で道が崩れ、代わりに石の橋や突き出した柱が複雑につながっている。


シェルミアは縦穴の縁へ膝をついた。


小石を一つ落とす。


石は暗闇へ吸い込まれ、いつまで待っても底へ当たる音を返さなかった。


「深いね」


声には警戒と同じくらい、隠し切れない興奮が混じっている。


「ここを下りたの?」


リズナがゼラスへ尋ねる。


「ああ、下まで半日ほどかかった」


「半日……」


「途中で魔物に襲われたからな。何もなければ、もう少し早い」


シェルミアが周囲の足場を調べる。


「今も魔物はいると思う?」


リズナが風を縦穴へ流した。


上昇気流へ乗せ、壁沿いを広く探る。


遠くで羽ばたくもの。


石の隙間を這う小さな魔物。


さらに下には、重い呼吸のような空気の動きもある。


「何体かいます。でも、すぐ近くにはいません」


「先回りされている気配は?」


「白い魔力は感じません」


「それなら、今のうちに下りよう」


シェルミアが最初の足場へ足を掛けた。


「リズナは風で道を確認して。崩れている場所は、無理に渡らない」


「分かりました」


「リュミエラは足場の補強をお願い。ゼラスは前を頼むよ」


「ああ」




螺旋状の道は、想像以上に傷んでいた。


一見すると丈夫に見える場所でも、体重を掛けた瞬間にひび割れる。


リズナが風で内部の空洞を探り、危険な足場を避けた。


崩れた箇所では、リュミエラが紫色の魔力で仮の橋を作る。


ゼラスは先頭を進み、壁の亀裂に潜む魔物を炎で追い払った。


しばらく下りたところで、ゼラスが足を止める。


壁から突き出した石柱に、三本の斬り傷が残っていた。


「これは?」


リズナが尋ねる。


「俺がつけた印だ」


「八百年前の?」


「ああ」


ゼラスは指先で傷をなぞった。


「同じ場所を何度も通らないように、分岐ごとに数を変えていた」


傷は古い。


周囲の石と同じ色へ変わり、触れなければ見落としてしまうほど風化している。


それでも、三本の線は確かに残っていた。


「右から二番目の橋だ」


ゼラスが縦穴を見渡す。


「この先で道が三つに分かれる。中央は途中で崩れていた」


「現在も同じ構造なら、右が通れるんだね」


シェルミアが記録板へ傷の位置を書き込む。


「昔の印が役立ったな」


「そうですね」


リズナが答えた直後、風の流れに小さな乱れが混じった。


「待って」


三本の斬り傷の下。


少し離れた石の表面に、細い白線が浮かび上がっている。


一本。


ゼラスが剣を抜く。


「俺の印じゃない」


白線がゆっくりと伸びる。


二本目。


三本目。


ゼラスが残した斬り傷と並ぶように、真新しい白い印が刻まれた。


「ついてきてる」


シェルミアが周囲を見回す。


「姿は見えなくても、私たちの進んだ道をなぞってるんだ」


リュミエラが白い印へ術式を向ける。


「これは白いものの魔力ではないわ」


「違うんですか?」


「この階層の壁が、自分で刻んでいる」


白い三本線は淡く輝いた後、石の中へ沈んでいった。


代わりに、その隣の壁が僅かに膨らむ。


柔らかな土を内側から押し出したように、石の表面が形を変えていく。


額。


瞼。


鼻。


口。


長い髪と、尖った耳。


現れたのは、リズナの顔だった。


「私……?」


壁に刻まれたリズナは目を閉じている。


魔力の流れを探ると、自分とよく似た風が黒い石の奥を巡っていた。


白いものの模造ではない。


この迷宮に残された、リズナ自身の記録だった。


「通った者を、その場で記録しているのね」


リュミエラが呟く。


「昔の記録が残っているだけじゃなかったんだ」


シェルミアはすぐに記録板を向けた。


「私たちの姿も、声も、魔力も、ここを進む間に保存されてる」


リズナは壁の自分を見つめる。


閉じていた瞼が、ゆっくりと開いた。


壁の中のリズナが、現在の彼女へ顔を向ける。


「何を記録したの?」


石の唇が動いた。


『白いものは感じません』


少し前に、縦穴へ風を送った時の言葉だった。


「声まで……」


『すぐ近くにはいません』


ゼラスが壁のリズナを見つめる。


「ウンコ」


『ウンコ』


壁のリズナが、彼女自身の声で真顔のまま復唱した。


「ちょっと! 何を言わせてるのよ!」


「新しい言葉も記録するのか確かめただけだ」


「他にいくらでもあるでしょ!」


シェルミアが口元を押さえながら、記録板へ視線を落とす。


「……でも、今の言葉をそのまま返したね。過去の記録だけじゃなく、こちらの声を随時取り込んでるみたいだよ」


「真面目に分析しないでください!」


リュミエラは小さく息を吐いた。


「ゼラス、確認方法はもう少し選びなさい」


「ああ、仕組みは分かった」


壁のリズナが、すぐに同じ声で続ける。


『仕組みは分かった』


「もう喋らないで!」


リズナが壁へ向かって叫ぶ。


壁のリズナは、表情を変えないまま口を開いた。


『もう喋らないで!』


「ああもう!」


リズナがシルフィードへ手を掛ける。


ゼラスがその手首を掴んだ。


「壁を斬るな」


「誰のせいよ!」


「俺は仕組みを確かめただけだ」


「絶対、少し面白がってたでしょ」


「そんなことはない」


返事は早かったが、ゼラスの視線は僅かに逸れていた。


リュミエラが静かに微笑む。


「昔から、こういうところは変わらないわね」


「何の話だ」


「何でもないわ」


シェルミアは笑いを堪えながら、記録板へ視線を戻した。


「とにかく、白いものがいなくても記録は続いてる。あれは、この仕組みを利用しただけなんだ」


「では、ここで見せたものは全て残る可能性があるわね」


リュミエラが言う。


「会話も魔法も、戦い方も」


「ウンコも?」


シェルミアが尋ねる。


「シェルミアさんまで言わないでください!」


壁のリズナが口を開きかける。


「言うな!」


今度はゼラスが先に制した。


石の唇が、ゆっくりと閉じる。


一瞬の沈黙。


「……言うことを聞いた?」


リズナが目を瞬く。


「いや、記録する言葉を選んでるのかもしれない」


シェルミアの表情から笑みが消える。


「さっきまでは、何でも返していたのに」


壁のリズナは四人を見つめたまま、ゆっくりと瞼を閉じた。


石の輪郭も薄れ、周囲の壁へ溶け込んでいく。


「黙ることまで覚えたらしいな」


ゼラスが呟く。


リズナが無言で睨む。


「……何だ?」


「今度は余計なことを教えないで」


四人は再び螺旋の道を下り始めた。




さらに二時間ほど進んだところで、縦穴の底が見え始めた。


黒い石で造られた円形の足場。


そこへ、二本の通路が左右からつながっている。


右は、ゼラスたちが下りてきた道。


左側の壁にも、別の螺旋路が続いていた。


リュミエラが左の道を見上げる。


「私が通ったのは、あちらね」


「結局、同じ場所へ出るのか」


ゼラスが言う。


「二つとも正しい道だったんですね」


リズナが底へ風を送る。


魔物の気配はない。


白いものも感じられない。


「昔の二人は、それぞれ違う道を選んで、ここで同じ場所へ着いた」


シェルミアは左右の道を地図へ書き込んだ。


「だから、壁の記録も両方を正しいと答えたのかもしれないね」


「警告も同じでしょうか」


リズナが尋ねる。


「百階層へ行きたいと思った記録と、行くべきではないと思った記録。その両方が残っているとか」


「あり得るわ」


リュミエラが答える。


「けれど、なぜ戻る時にそう思ったのかは、まだ分からない」


四人が最後の足場へ下りる。


その瞬間、左右の壁が同時に震えた。


黒い石の表面へ、新しい顔が浮かび上がる。


ゼラス。


リュミエラ。


シェルミア。


リズナ。


今の四人と同じ姿。


四つの顔が横一列に並び、同時に瞼を開いた。


リズナが風を巡らせる。


どの顔からも、それぞれ本人とよく似た魔力を感じる。


白いものの痕跡はない。


「もう記録されたみたいだね」


シェルミアが呟く。


壁のシェルミアが口を開いた。


『もう記録されたみたいだね』


壁のリュミエラが続ける。


『この先へ進みましょう』


壁のゼラスが答える。


『ああ』


最後に、壁のリズナが微笑んだ。


『四人なら大丈夫』


現実のリズナは、そんな言葉を口にしていない。


四人の間に緊張が走る。


「今のは、誰の記録だ?」


ゼラスが剣へ手を掛ける。


壁の四人が、同時に笑った。


その魔力は、最後まで本人たちと同じ流れを保っている。


白い亀裂も現れない。


それでも、四つの口から同じ声が響いた。


『ここから先は、私たちが代わりに進む』




迷宮の壁から、記録された四人の体がゆっくりと抜け出し始めた。

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