表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第三章 グラン・ラビリス編
43/83

第四十二話 八百年前の声



『百階層へ行くな』


壁に刻まれた青年のゼラスが、もう一度告げた。


少年の姿をした現在のゼラスは、赤黒い瞳を僅かに細める。


リズナは隣に立つ彼と、壁に浮かんだ顔を見比べた。


成長した顔立ち。


長い黒髪。


見た目は違っていても、目つきや声には確かにゼラスの面影がある。


「これ、本当に八百年前のゼラスなの?」


「少なくとも、俺の姿ではあるな」


「言った覚えは?」


「ない」


ゼラスは即答した。


壁の青年は口を閉ざし、現在の自分を見つめている。


白い人影が作った偽物とは違う。


表情はほとんど動かないのに、その視線には明確な意思が感じられた。


リズナは壁へ細い風を送る。


黒い石の表面を撫で、青年の顔を形作る魔力の流れを探った。


「白い魔力じゃありません」


「どんな流れ?」


シェルミアが尋ねる。


「ゼラスと同じです。今のゼラスより静かだけど、内側の流れ方はほとんど変わらない」


「八百年前の魔力が、壁に残ってるってこと?」


「そうだと思います」


リュミエラも青年の顔へ解析術式を重ねた。


紫色の光が黒い石へ薄く沈んでいく。


「この階層の術式に保存されているものね。白いものが作った像ではないわ」


「だったら、本当にゼラスが残した記録なんだ」


シェルミアは記録板を壁へ向けた。


「言葉だけじゃなく、姿と魔力まで保存されてる。第七十三階層そのものが、通過した者を記録してるのかもしれないね」


ゼラスは青年の顔から目を離さない。


「俺は、壁に向かってこんなことを言った覚えはないぞ」


「言葉をそのまま記録したとは限らないわ」


リュミエラが答える。


「強く残った思考や感情を、言葉の形にしている可能性もあるでしょうね」


「迷宮が勝手に俺の考えを読んだのか」


「可能性の話よ」


「趣味が悪いな」


壁の青年の口が動いた。


『趣味が悪いな』


リズナが思わずゼラスを見る。


「今のは、真似された?」


「いや」


シェルミアが記録板へ視線を落とす。


「壁の記録が、現在のゼラスの言葉に反応したんだと思う」


「会話ができるのか?」


ゼラスが一歩近づく。


青年の顔が、僅かに彼を追った。


「百階層で、俺は何を見た?」


しばらく返事はなかった。


壁の奥で、細い魔力の線が動く。


青年の唇が開いた。


『行き止まりだ』


「それは覚えてる」


『扉はない』


「それもな」


『道もない』


青年の声は淡々としていた。


だが、その言葉が重なるたび、黒い石の奥で何かが軋むような音が響いた。


『だから――』


声が途切れた。


壁の青年の頬へ、白い亀裂が走る。


「離れて!」


リュミエラが解析術式を切る。


四人が壁から距離を取った。


白い亀裂は青年の顔を横切り、目元から口元へ伸びていく。


その内側から、細い指が一本だけ現れた。


白い指は青年の唇へ触れ、言葉を止めるように押さえつける。


『だから』


青年の声が繰り返された。


だが、今度は抑揚が違う。


八百年前のゼラスではない。


聞いた音を並べ直した、白いものの声だった。


『だから、来い』


「やっぱり残ってたか」


ゼラスが剣を抜く。


白い指が増えていく。


二本。


三本。


青年の顔を内側から掴み、黒い壁の中へ引きずり込もうとしていた。


『百階層へ来い』


『扉はない』


『道もない』


『だから、開けろ』


「させません!」


リズナがシルフィードを振るう。


風の刃が壁の表面だけを浅く削り、白い指をまとめて切断した。


切り離された指が細かな光へ変わる。


リュミエラが青年の顔を囲むように紫色の術式を展開した。


白い亀裂が塞がれていく。


最後まで残っていた一本の指が、黒い石の奥へ引っ込んだ。


青年の顔も、ゆっくりと瞼を閉じる。


「もう一度、呼び出せる?」


シェルミアが尋ねる。


リュミエラは術式を維持したまま首を振った。


「今はやめた方がいいわ。記録へ触れれば、白いものも同じ場所へ接続してくる」


「聞けたのは途中までか」


ゼラスは剣を下ろした。


「百階層は行き止まり。扉も道もない。そこまでは、俺の記憶と同じだ」


「でも、その後に何か続いていた」


リズナが壁を見つめる。


「だから、百階層へ行くなって警告したんだよね」


「そうなるな」


ゼラスの返事には、珍しく迷いが混じっていた。


「俺は百階層へ着いた。隠し部屋を見つけて、レイスウィザードを持ち出した。それから地上へ戻った」


「その間に、警告を残すような出来事は?」


シェルミアが尋ねる。


「覚えていない」


「忘れた可能性は?」


「八百年前だから細かいことまでは覚えてないが、百階層で命に関わるような目に遭ったなら忘れない」


リュミエラは目を閉じた青年の顔を見上げた。


「記憶にない警告。それが本当にゼラス自身のものなら、百階層で見落とした何かがあったのかもしれないわね」


「俺とお前が、二人ともか」


「別々の時代に、同じ場所を行き止まりだと判断した。だからこそ、気になるのよ」


シェルミアは記録板へ青年の顔と警告を書き込んだ。


その手は僅かに震えている。


恐怖だけではない。


百階層に隠された可能性を前に、探索者としての興奮を抑え切れていなかった。


「先へ進もう」


記録を終えると、シェルミアは表情を引き締めた。


「ここで立ち止まっても、白いものに記録を使われるだけだよ。まずは第七十三階層の構造を確認する」


「百階層まで行くかは?」


リズナが尋ねる。


「七十三階層へ入ったばかりだよ。今決めることじゃない」


シェルミアは暗い石段の先へ目を向けた。


「それに、行くなと言われた理由も分からない。警告に従うにしても、何を避ければいいのか調べる必要があるからね」


「結局、進むのね」


「探索者だからね」


僅かに笑ってから、シェルミアは石段を下り始めた。




階段の先には、黒い石で造られた長い回廊が続いていた。


両側の壁には、無数の顔が刻まれている。


目を閉じた者。


苦しそうに口を開く者。


穏やかな表情を浮かべる者。


姿も年齢も異なる顔が、奥まで途切れることなく並んでいた。


先ほどの戦闘が終わってから、声を発するものはいない。


白い魔力の流れも感じられなかった。


それでも、四人が通り過ぎるたび、幾つかの顔が僅かに動いているように見えた。


「全部、ここを通った人たちなんでしょうか?」


リズナが声を抑えて尋ねる。


「人数が多すぎるね」


シェルミアは壁へ触れずに顔を確認していく。


「千年以上の記録なら、このくらいになってもおかしくはないけど……第七十二階層の門は、長い間閉じられてた」


「なら、門が閉じる前に通った者たちだろう」


ゼラスが答える。


「それか、別の場所の記録までここへ集められているかね」


「どちらもあり得るわ」


リュミエラが周囲の魔力を探る。


「壁の奥には、階層を越えて伸びる術式がある。第四十階層で見た構造図の流れと似ているわ」


「白いものが使っていた道ですね」


「ええ。記録も同じ経路を通って集められているのかもしれない」


回廊の途中で、道が二つに分かれていた。


右は緩やかな下り坂。


左は先の見えない暗い通路。


シェルミアが周囲を調べる。


壁の傷。


床の摩耗。


魔力の流れ。


だが、どちらにも人が通った痕跡はほとんど残されていなかった。


「地図はない。目印もない」


シェルミアの声に、期待が滲む。


「ここから先は、本当に未知の迷宮だね」


リズナが両方の道へ風を送った。


「右は奥で広い場所へ出ます。左は細い通路が続いていますけど、途中から風が戻ってきません」


「遮断されてる?」


「たぶん」


ゼラスが右の通路へ目を向ける。


「俺は右へ行った覚えがある」


「八百年前は?」


「ああ。しばらく進むと、大きな縦穴に出た」


リュミエラが左の通路を見る。


「私は左を通ったわ」


シェルミアが二人を交互に見た。


「別々の経路で、どちらも百階層へ着いたの?」


「そうらしいな」


「階層の構造が時代によって変わった可能性もあるわ」


二人が話している間に、左右の壁へ新しい顔が浮かび上がった。


右側には、長い黒髪の青年。


八百年前のゼラス。


左側には、現在とほとんど変わらない姿のリュミエラ。


二人の顔が同時に瞼を開く。


『右へ行け』


青年のゼラスが告げた。


『左へ進みなさい』


壁のリュミエラが続ける。


シェルミアの表情が険しくなる。


「二人の記録が、当時選んだ道を示してる?」


「待ってください」


リズナは二つの顔へ風を送った。


青年のゼラスから感じる魔力は、先ほどと同じだった。


八百年前の、ゼラス自身の流れ。


壁のリュミエラからも、現在の彼女とほぼ同じ魔力が感じられる。


「どちらも、本物の記録に見えます」


「なら、それぞれが通った道を案内しているのかしら」


リュミエラが左へ一歩近づく。


その瞬間、壁のゼラスが口を開いた。


『左へ行け』


全員の動きが止まった。


先ほどとは逆の言葉だった。


続いて、壁のリュミエラも告げる。


『右へ進みなさい』


「……変わったね」


シェルミアが低く呟く。


二つの顔が、同時に微笑んだ。


青年のゼラス。


千年前のリュミエラ。


どちらの表面にも、白い亀裂は現れていない。


魔力の流れにも、白いものが混じった痕跡はなかった。


それでも、二人の口は同時に動く。


『百階層へ行くな』


『百階層へ来い』


相反する言葉が、同じ声で重なった。


ゼラスが剣へ手を掛ける。


「どっちが本物だ」


二つの顔が、ゆっくりと彼へ向いた。


青年のゼラスが答える。


『どちらも、俺だ』


壁のリュミエラも同じ言葉を繰り返す。


『どちらも、私よ』




八百年前と千年前の魔力が、二人を異なる道へ誘っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ