第三十八話 偽物の輪郭
「なら、進もう」
五人目のゼラスが、本物と同じ声で言った。
誰も動かなかった。
細い通路を抜けてきた少年は、四人から数歩離れた場所で足を止める。
黒い髪。
幼い顔立ち。
右手に握られた片刃の剣。
黒い指輪まで、ゼラスの姿を正確に写し取っている。
呼吸もある。
衣服が擦れる音も、足が石床を踏む僅かな振動も感じられた。
「呼吸は、本当に五つです」
リズナは風を巡らせたまま告げる。
「体もあります。ただ……」
「ただ?」
シェルミアが偽物から目を離さずに尋ねる。
「魔力の流れが違います」
リズナは本物のゼラスを見る。
その体内では、炎を中心とした複数の魔力が複雑に循環している。
穏やかに見えても、必要な瞬間にはどこへでも力を集められる流れだった。
一方、偽物の中にあるのは白い魔力だけ。
表面では炎や無属性に似た揺らぎを見せているものの、内部には自然な循環がない。
「中身まで同じじゃないです。外側へ、それらしく魔力を並べているだけ」
「随分と器用になったものね」
リュミエラが紫色の魔力を指先へ集める。
偽物のゼラスが、同じように左手を上げた。
白い指先へ、紫色に似せた光が浮かぶ。
だが、リュミエラが魔力の形を瞬時に変えると、偽物の光は一拍遅れて歪んだ。
「やはり、見てから真似しているだけだわ」
『見てから真似しているだけだわ』
偽物がリュミエラの声で繰り返す。
直後、その顔が再びゼラスの表情へ戻った。
「だったら、偽物で間違いないね」
シェルミアが短剣へ手を掛ける。
『偽物で間違いないね』
「分かってるなら、帰ってくれない?」
『帰ってくれない?』
偽物は首を傾げた。
動作そのものは自然だった。
だが、返事を待つ者の動きではない。
覚えた仕草を、意味も分からず試しているように見えた。
ゼラスが剣を構える。
「退かないなら斬るぞ」
偽物も、右手の剣を構えた。
足の位置。
剣先の高さ。
重心の置き方。
全てが、ゼラスとよく似ている。
「俺が相手をする」
「一人で?」
リズナが思わず尋ねる。
「あいつが真似してるのは俺の動きだ。何を見て覚えたかも、大体分かる」
「でも――」
「一人で倒すとは言ってない」
ゼラスは偽物から目を離さない。
「動きを崩したら、全員で潰す」
リズナは僅かに目を丸くした後、シルフィードを抜いた。
「……分かった」
偽物の口元が持ち上がる。
本物のゼラスが見せたことのない、不自然に深い笑みだった。
『全員で潰す』
白いゼラスが床を蹴った。
本物も同時に踏み込む。
二本の剣が広間の中央で衝突した。
甲高い音が響く。
偽物の剣は白い物質で作られている。
見た目は市販の片刃剣と変わらないが、刃がぶつかった瞬間だけ、液体のように表面が揺れた。
ゼラスが剣を滑らせる。
偽物の刃を受け流し、そのまま首元へ斬り返す。
白いゼラスは身を低くしてかわした。
その動きも、これまでゼラスが魔物との戦いで見せたものだった。
「よく覚えてるな」
ゼラスが剣を返す。
偽物は右へ飛び退いた。
『よく覚えてるな』
左手を突き出す。
掌の前へ、淡い白色の球体が形成された。
「来るよ!」
シェルミアの声が飛ぶ。
偽物が魔力弾を放った。
ゼラスは正面から受けず、半歩だけ身をずらす。
白い球体が横を通過した瞬間、剣の腹で軌道を逸らした。
魔力弾が石壁へ激突し、浅い窪みを作る。
「黒鋼犀の時より強くなってる」
リズナが息を呑む。
「でも、バスターブリッツとは違う」
ゼラスが答える。
「圧縮が甘い。狙いも単純だ」
偽物の顔から笑みが消えた。
『圧縮が甘い』
左手へ、再び白い魔力が集まる。
今度は一つではない。
三つ。
拳ほどの球体が、偽物の周囲へ浮かんだ。
「言ったそばから直してきたね」
シェルミアが柱の陰へ移動する。
「撃たせるな!」
ゼラスが踏み込んだ。
偽物も剣を振るう。
刃が交差する寸前、ゼラスは急に腰を落とした。
白い剣が頭上を通過する。
その動きは、偽物がまだ見たことのないものだった。
ゼラスは空いた胴へ肩からぶつかり、偽物の体勢を崩す。
右足を払う。
白いゼラスが床へ倒れた。
「今だ!」
「はい!」
リズナがシルフィードを振り抜く。
風が三つの魔力弾を包み込み、天井へ押し上げた。
浮かんでいた球体同士が衝突し、白い光となって弾ける。
同時に、リュミエラの術式が倒れた偽物の四肢へ絡みついた。
紫色の帯が締まる。
偽物の体が白く波打った。
「完全には縛れないわ!」
「十分だよ!」
シェルミアが見ていたのは、偽物ではなく広間の床だった。
白い体から伸びる、細い魔力の線。
四本。
それぞれが床の異なる場所へつながっている。
「迷宮から魔力を供給されてる! 床の接続点を切らないと、何度でも作り直すよ!」
「場所は?」
「柱の根元に二つ! 右の壁際と、入口の前に一つずつ!」
リュミエラが右の壁へ魔力を放つ。
紫色の刃が石床へ突き刺さり、白い線の一本を断ち切った。
偽物の左腕が崩れる。
だが、床へ落ちる前に白い液体となり、再び肩へ這い上がろうとした。
「リズナ、入口!」
「はい!」
リズナは即座に風をまとい、入口へ飛んだ。
石床へシルフィードを突き立て、刃から圧縮した風を流し込む。
床の内部に隠されていた術式が裂け、白い線が消えた。
偽物の右脚が崩れる。
「残り二つ!」
シェルミアが柱の根元を指す。
ゼラスは偽物へ剣を突き立てたまま、足元へ炎を走らせた。
赤い火が石床を這い、左側の柱へ届く。
根元に隠されていた白い術式が焼き切れた。
偽物の体が大きく傾く。
残る一本へ、シェルミアが短剣を投げた。
刃は接続点の中心へ正確に突き刺さった。
白い線が、全て途切れる。
偽物のゼラスが動きを止めた。
『全員でやる必要はないだろ』
本物と同じ声で呟く。
ゼラスが僅かに眉を寄せた。
「そういう使い方を覚えたか」
顔の輪郭が崩れ始めた。
黒い髪が白く溶ける。
瞳も、鼻も、口も消え、鏡の中で見た顔のない人影へ戻っていく。
ゼラスは剣を引き抜き、距離を取った。
白い体が床へ広がった。
「終わった?」
リズナが風を送る。
呼吸はない。
魔力の流れも消えている。
だが、床へ染み込んだ白い液体は消滅していなかった。
広間の中央へ集まり、薄い板のような形を作っていく。
白い仮面だった。
そこには、ゼラスの顔が刻まれている。
閉じられていた瞼が開いた。
白い瞳が、リズナへ向けられる。
「まだ動く!」
リズナがシルフィードを構える。
ゼラスの顔を持つ仮面は、ゆっくりと形を変え始めた。
幼い輪郭が細く伸びる。
耳が尖る。
髪が長くなり、顔立ちが変わっていく。
現れたのは、リズナの顔だった。
白い仮面が、彼女自身の声で囁く。
『今度は、私』
リズナが剣を振り下ろす。
風をまとった刃が白い仮面を真っ二つに断った。
二つに割れた破片は床へ落ち、今度こそ細かな光となって消えていく。
広間に静寂が戻った。
シェルミアは接続点を一つずつ確認する。
「供給は止まってる。この場所では、もう体を作れないと思う」
「この場所では、か」
ゼラスが剣を払う。
「うん。白いものそのものを倒したわけじゃない」
リュミエラは破片が消えた床へ術式を重ねた。
「私たち全員の姿を覚えたと考えた方がいいわね」
「姿だけなら、まだ見分けられます」
リズナは風晶石を握った。
「魔力の流れまでは、完全に真似できていませんでした」
「今は、ね」
シェルミアが記録板へ四本の接続位置を書き込む。
「呼吸も、声も、動きも、少しずつ正確になってる。次に出てきた時も同じとは限らないよ」
ゼラスが第六十九階層へ続く通路を見る。
「なら、次に出てくる前に七十二階層まで行く」
「ああ、それしかないね」
四人は広間を離れた。
リズナは歩きながら、何度も風で仲間の位置を確かめる。
シェルミア。
リュミエラ。
ゼラス。
自分。
呼吸は四つ。
魔力の流れも、それぞれ違う。
間違いなく、四人だけだった。
誰もいなくなった広間で、シェルミアの短剣が僅かに震えた。
接続点へ突き刺さった刃の表面に、白い指が一本だけ絡みついている。
指は短剣へ触れたまま、シェルミアの魔力の流れを静かに覚え始めていた。




