表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第三章 グラン・ラビリス編
37/87

第三十六話 五人目



白い人影は、鏡のような壁の中で、ゼラスとリズナの間を歩いていた。


顔には何もない。


目も、鼻も、口も存在しない。


それでも、白い顔が言葉を形作るように動く。


『今は五人いるんだから』


誰も答えなかった。


四人は足を止めたまま、壁の中にいる五人目を見つめる。


リズナが周囲へ風を巡らせた。


自分の呼吸。


ゼラス。


リュミエラ。


シェルミア。


感じ取れる気配は、間違いなく四人分しかない。


「風で捉えられるのは、私たちだけです」


「なら、あれは像だけってこと?」


シェルミアが白い人影を観察する。


「いいえ」


リュミエラは鏡面の壁へ手をかざした。


紫色の魔力が薄く広がる。


「普通の幻影なら、何らかの魔力が像を作っているはずよ。でも、この壁からは何も感じないわ」


「魔力を使ってないのか?」


ゼラスが一歩横へ動く。


壁に映る四人の姿も、それに合わせて位置を変えた。


だが、白い人影だけは動かなかった。


ゼラスとリズナの間へ残るように、足を動かさず横へ滑った。


「反射じゃないね」


シェルミアの表情が険しくなる。


「この壁を使って、こちらを見てる」


『こちらを見てる』


白い顔が、シェルミアの声で繰り返した。


壁に映る人影が、一斉に動きを止めた。


現実の四人は動いている。


それなのに、壁の中の四人は先ほどの姿勢のまま、微動だにしない。


白い人影だけがゆっくりと振り返る。


顔のない頭が、壁の外にいる四人へ向けられた。


「……私たちの姿まで使い始めた」


リズナがシルフィードを抜く。


壁の中に映るリズナは、剣を抜かなかった。


代わりに白い人影が片腕を伸ばす。


その手に、白いシルフィードが形作られていく。


「姿だけじゃない」


シェルミアが低い声で告げる。


「武器まで覚えてるよ」


白い人影が剣を構えた。


リズナと同じ構えだった。


だが、足の位置が僅かに違う。


剣を振るうためではなく、見た形をそのまま並べただけに見える。


「形は真似できても、使い方までは分からないらしいな」


ゼラスが言う。


『分からないらしいな』


白い人影が、ゼラスの声で答えた。


その手にあったシルフィードが形を失う。


次に現れたのは、片刃の剣だった。


ゼラスが右手に持つものと、よく似ている。


「余計なこと教えないでよ」


「見れば分かることだろ」


「口に出す必要はないでしょ」


「二人とも、今は喧嘩しないで」


シェルミアは壁から目を離さず、記録板を取り出した。


「この階層を抜ける。立ち止まって観察を続ける方が危険だよ」


「この壁に触れずに進める?」


リュミエラが尋ねる。


「通路の幅はある。中央を歩けば大丈夫だと思う」


「思う、ですか?」


「絶対とは言えないよ」


シェルミアは地図を開いた。


「ここから第六十五階層への階段までは、それほど遠くない。ただ、途中に鏡壁で囲まれた広間がある」


「今より増えるのか」


ゼラスが周囲の壁を見る。


「たぶんね」


「面倒だな」


『面倒だな』


白い人影が同じ声で繰り返した。


今度は、僅かに笑うような響きが混じっていた。




四人は互いの距離を詰め、通路の中央を進んだ。


先頭はシェルミア。


その後ろをゼラスとリズナが並び、リュミエラが最後尾を守る。


リズナは四人の周囲へ風を巡らせ続けた。


呼吸。


足音。


衣服の擦れる音。


視界ではなく、空気の動きによって三人の位置を確かめる。


鏡面の壁には、四人の姿と白い人影が映っていた。


白い人影は、歩いていない。


足を動かすことなく、四人と同じ速度で壁の中を滑っている。


常にゼラスとリズナの間だった。


リズナがゼラスへ近づけば、白い人影は細くなる。


二人の隙間へ体を押し込むように形を変え、それでも決して消えようとはしない。


「どうして、ずっと私たちの間にいるの?」


「印を持ってるからだろ」


ゼラスが答える。


「それだけかな」


「他に何がある?」


「分からないけど……嫌な感じ」


『嫌な感じ』


白い人影が、リズナの声で囁く。


リズナは壁を見ないよう、正面へ視線を戻した。


「無視した方がいいよ」


シェルミアが前を向いたまま言う。


「反応を見て、言葉の使い方を覚えてる。返事をするほど、相手に情報を与えることになる」


「さっきからゼラスが一番返事してるんですけど」


「俺に言われても困る」


『俺に言われても困る』


「だから、黙って」


ゼラスは不満そうに眉を寄せたが、それ以上は何も言わなかった。




最初の分岐へ差しかかった。


正面と左右に、三本の通路が続いている。


鏡面の壁には、それぞれ異なる景色が映っていた。


右の壁には、下へ続く階段。


左の壁には、開けた広間。


正面の壁には、行き止まりの石壁。


だが、実際の通路を覗き込むと、どれも同じ暗闇が続いている。


「壁に映っている景色と、実際の構造が違います」


リズナが風を三方向へ送る。


正面の風は途中で戻ってきた。


右は緩やかに下へ流れている。


左は奥で大きく循環していた。


「右が階段?」


「いいえ」


シェルミアは床へ膝をつき、石の継ぎ目を調べる。


「第六十五階層へ続く階段なら、もっと先だよ。右は別の場所へ下りる短い通路だと思う」


白い人影が、右の壁へ移動した。


白い腕を伸ばし、階段の映像を指差す。


『こっちが正しいよ』


シェルミアの声だった。


「分かりやすく誘ってきたね」


「罠でしょうか?」


「少なくとも、私たちに右へ行ってほしい理由がある」


シェルミアは立ち上がり、左の通路を示した。


「正規の経路は左だよ」


四人が左へ進もうとした瞬間、鏡面の中に映る階段から、別の人影が上がってきた。


白いシェルミア。


白いリュミエラ。


白いゼラス。


白いリズナ。


顔のない四人が階段を上り、最初の白い人影の後ろへ並ぶ。


鏡の中に、五人の白い影が揃った。


『こっちが正しいよ』


五つの声が重なる。


シェルミア。


リュミエラ。


ゼラス。


リズナ。


そして、誰のものでもない声。


壁の表面が、水面のように揺れた。


「離れて!」


リュミエラが紫色の障壁を展開する。


鏡面から、五本の白い腕が突き出した。


障壁へ指先が触れる。


甲高い音とともに、紫色の表面へ白い波紋が広がった。


「通路を戻る?」


リズナが尋ねる。


「駄目だよ!」


シェルミアは左の通路へ走り出す。


「後ろの壁も動いてる!」


振り返ると、通ってきた通路の両壁から白い腕が伸び始めていた。


指先が互いへ絡み合い、道を塞ごうとしている。


「前へ行くぞ」


ゼラスがリュミエラの障壁を越え、左の通路へ踏み込んだ。


リズナとシェルミアが続く。


リュミエラも障壁を維持したまま後退し、最後に術式を弾けさせた。


紫色の衝撃が白い腕を鏡面へ押し戻す。


四人は通路を駆け抜けた。


左右の壁から、次々と白い指が伸びてくる。


リズナがシルフィードを振るい、前方を塞ぐ腕を斬り払った。


白い破片が宙へ散る。


それらは床へ落ちる前に形を変え、細い指となってリズナの背中へ伸びた。


「後ろだ!」


ゼラスがリズナの肩を引き寄せる。


同時に剣を振り抜き、白い指をまとめて切断した。


切断面から白い液体が飛び散る。


ゼラスは左手を向け、火球を放った。


白い破片が炎に包まれ、リズナの声で悲鳴を上げる。


『熱い!』


「もう効かないわよ!」


リズナは声を無視し、風で炎を前方へ押し広げた。


白い指が焼かれ、鏡面の奥へ引っ込んでいく。


「その先を右!」


シェルミアが叫ぶ。


四人は曲がり角を抜けた。


その先に、円形の広間が現れる。


床。


壁。


天井。


全てが黒く磨かれ、鏡のように四人を映していた。


無数のシェルミア。


無数のリュミエラ。


無数のゼラス。


無数のリズナ。


そして、その全ての間に白い人影が立っている。


十。


二十。


数え切れないほどの五人目が、広間を埋め尽くしていた。


『今は五人いるんだから』


声が四方から響く。


『今は五人いるんだから』


『今は五人いるんだから』


『今は五人いるんだから』


「階段は広間の反対側!」


シェルミアが正面を指す。


だが、壁に映る階段は幾つもあった。


同じ形。


同じ位置。


どれが実際の出口なのか、目では判別できない。


「リズナ!」


「探します!」


リズナが風を広間全体へ放つ。


空気が鏡面へ当たり、複雑に跳ね返る。


偽の階段には、風が通らない。


本物の空間へ続く場所だけが、僅かな流れを返してくる。


「左奥です!」


「走って!」


四人が左奥へ向かう。


鏡の中にいる白い影たちも、一斉に動き出した。


今度は滑るだけではない。


足を動かしている。


四人の走り方を真似て、壁の中を駆けていた。


その動きは、先ほどまでより遥かに自然だった。


白いゼラスが剣を振るう。


白いリズナが風をまとわせる。


白いリュミエラが両手を広げる。


白いシェルミアが出口を指し示す。


形だけだった動きに、徐々に意味が加わっていく。


「急いで!」


本物の階段が見えた。


シェルミアが最初に飛び込む。


続いてリュミエラ。


ゼラスがリズナを先へ押し込み、自分も階段へ踏み込んだ。


その背後から、白い腕が伸びる。


ゼラスの肩へ届く寸前、リズナが振り返った。


シルフィードの切っ先から風を放つ。


白い腕が鏡面へ叩き戻された。


「早く!」


「ああ」


ゼラスが階段へ入る。


リュミエラが入口へ術式を展開した。


紫色の膜が通路を塞ぐ。


鏡の中にいた無数の白い影が、膜の向こう側へ集まった。


顔のない頭が重なり、四人を見送る。


やがて、最前列にいた一体の顔へ窪みが生まれた。


目。


鼻。


口。


少しずつ形が作られていく。


現れたのは、リズナの顔だった。


白いリズナが微笑む。


『五人で行こう』


紫色の膜へ、白い掌が触れた。




第六十五階層へ下りると、壁は元の粗い石へ戻っていた。


鏡面はない。


白い人影も映っていない。


リュミエラが階段の入口へ封印を重ねる。


紫色の術式が幾重にも絡み合い、第六十四階層との通路を閉ざした。


「追ってくる気配は?」


シェルミアが尋ねる。


リズナは周囲へ風を広げた。


粗い壁。


乾いた床。


奥へ続く一本の通路。


白い腕も、魔力の揺らぎも感じられない。


「今のところは、何も……」


答えかけて、リズナの声が止まった。


「どうした?」


ゼラスが振り返る。


リズナは動かなかった。


風の流れだけへ意識を集中させる。


シェルミアの呼吸。


リュミエラの呼吸。


ゼラスの呼吸。


自分の呼吸。


それとは別に、もう一つ。


ゆっくりと空気を吸い込み、吐き出す音が混ざっている。


「全員、動かないで」


リズナの声が震えた。


四人が息を止める。


それでも、呼吸音は消えなかった。


誰もいないはずの、四人の輪の中央から聞こえている。


吸って。


吐く。


すぐ近くで、何かが呼吸していた。


「……呼吸が、五つあります」




暗闇の中で、五人目が静かに息を吐いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ