表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第三章 グラン・ラビリス編
34/92

第三十三話 先回り



第四十階層を離れてからも、壁の向こうの音は消えなかった。


こつん。


忘れかけた頃に、一度だけ響く。


右の壁から聞こえたかと思えば、次は天井の奥。


さらに進むと、今度は足元の石床から返ってきた。


白い何かは姿を見せない。


迷宮の構造に隔てられたまま、四人と並ぶように進んでいた。


「追いついてきてるんでしょうか?」


リズナは歩きながら、周囲へ風を巡らせていた。


「近づいたり離れたりしてるね」


シェルミアが記録板へ視線を落とす。


「私たちを一直線に追えてるわけじゃない。術式網の接続点を探しながら移動してるんだと思う」


「今のうちに距離を稼げるかしら」


リュミエラが尋ねる。


「分からない。でも、立ち止まるよりはいいよ」


シェルミアは足を緩めない。


「既知の経路を使って、七十二階層まで急ぐ。ただし、休息は削らない。疲労で判断を誤る方が危険だからね」


「ああ、それでいい」


こつん。


今度は左の壁から音がした。


リズナはそちらへ顔を向けたが、石壁には亀裂一つない。


「ずっと聞かされてると、嫌な音ね」


「向こうも、俺たちの足音を聞いてるのかもしれないぞ」


ゼラスが言う。


「やめてよ。余計に怖くなるでしょ」


「可能性の話だ」


「言わなくていい可能性もあるの」


二人のやり取りに、リュミエラが僅かに口元を緩める。


だが、シェルミアは壁へ意識を向けたままだった。


「静かに」


四人が足を止める。


風も、話し声も止まった。


こつん。


少し間を置いて、もう一度。


こつん。


「二回……」


リズナが呟く。


「さっきまでは、一回ずつだったよね」


シェルミアは音がした位置を記録する。


「何かを試してるのかもしれない」


「返事を待ってるとか?」


「返事はしない方がいいね」


シェルミアが即答した。


ゼラスは壁を見たまま、僅かに首を傾げる。


「叩き返したらどうなると思う?」


「絶対にやめて」


リズナとシェルミアの声が重なった。


ゼラスは壁へ伸ばしかけていた手を下ろす。


「まだ何もしてないだろ」


「しようとはしたよね?」


「少し気になっただけだ」


「好奇心で正体不明のものを呼ばないで」


シェルミアは珍しく強い口調で言い切り、再び歩き始めた。




四十一階層から先は、立ち止まって調査する場所を最低限に絞った。


それでも、迷宮が容易に通過を許すわけではない。


四十二階層では、床下から飛び出した穿石虫の群れが進路を塞いだ。


硬い口器で石壁を噛み砕く魔物だったが、地中を進む振動をリズナの風が捉えたため、不意を突かれることはなかった。


四十四階層には、淡く光る巨大な茸が森のように広がっていた。


刺激を与えると、周囲の魔力を乱す胞子を撒き散らす。


リュミエラが胞子の流れを封じ、ゼラスが根元だけを正確に焼き払うことで、通路を確保した。


四十六階層では、石像に擬態した魔物が四方から動き出した。


リズナとゼラスが前を切り開き、シェルミアが床に刻まれた停止術式を見つけるまで、リュミエラが後方を守った。


四十八階層へ到達した頃には、四人の連携は言葉を交わす前に動けるほど馴染んでいた。


ゼラスが右へ踏み込めば、リズナは左側の敵を引き受ける。


シェルミアが視線を向けた場所へ、リュミエラが先回りして術式を展開する。


互いの動きを邪魔せず、必要な場所だけを補う。


既知の階層に現れる魔物では、四人を長く足止めできなくなっていた。


だが、壁の音だけは途切れない。


こつん。


こつん。


時には遠く。


時には、耳元で鳴ったように近く。


休息中に響くこともあった。


眠りに入る直前、頭のすぐ後ろにある壁から聞こえた時には、リズナもさすがに飛び起きた。


「今のは近すぎるでしょ!」


シルフィードを抜いたリズナの隣で、ゼラスも既に剣を手にしていた。


リュミエラは周囲へ遮断術式を広げ、シェルミアが壁を調べる。


だが、何も残されていない。


「術式の接続が、一瞬だけこの場所へ近づいたのかもしれない」


シェルミアは壁から離れた。


「まだ、直接出てくる道は見つけられてないみたいだね」


「その言い方、いずれ見つけるみたいで嫌なんですけど」


「見つける前に、七十二階層へ着くしかないよ」


四人は交代で見張りを立て、短い休息を取った。




第五十階層へ到達したのは、第四十階層を離れてから五日後だった。


階段を下りた先には、巨大な石造りの闘技場が広がっている。


円形の床を何本もの太い柱が囲み、その上には無人の観客席のような段差が連なっていた。


向かい側にある第五十一階層への門は、固く閉ざされている。


そして、闘技場の中央には、一頭の巨大な魔物が横たわっていた。


黒い金属を思わせる皮膚。


丸太よりも太い四肢。


鼻先から伸びた一本の角は、ゼラスの身長を超えている。


「あれは?」


リズナが声を落として尋ねる。


「黒鋼犀。第五十階層の主だよ」


シェルミアが答える。


ゼラスは闘技場の中央へ目を向け、僅かに目を細めた。


「まだこいつが階層主なのか」


その声音には、ほんの少しだけ懐かしむような響きがあった。


シェルミアがゼラスを見る。


「八百年前にもいたの?」


「ああ、同じ種類だった。今の個体とは別だろうがな」


「戦い方は覚えてる?」


「正面の甲殻は硬い。脚の関節と顎の下は薄い。先に後脚を潰して、突進の軌道を崩せばいい」


シェルミアは小さく頷いた。


「現在の記録とも一致してるよ。ただ、昔の記録より角へ集める魔力が強い。正面から受けるのは避けた方がいいね」


「ああ、今の個体の動きは任せる」


ゼラスは収納から片刃の剣を取り出した。


その時、黒鋼犀がゆっくりと頭を上げる。


小さな赤い目が、四人を捉えた。


鼻から吐き出された息が、白い煙となって石床を這う。


巨体が立ち上がった。


それだけで、闘技場全体が低く震える。


「起きたよ」


シェルミアが記録板を収納する。


「リズナは突進の軌道をずらして。リュミエラは、動きを止められる時だけ拘束を。正面から無理に受ける必要はないよ」


「分かりました」


「ええ、任せて」


黒鋼犀の角へ、赤い魔力が集まり始めた。


ゼラスは片刃の剣を低く構える。


「右の後脚からだ」


黒鋼犀が床を蹴った。


轟音とともに、巨体が一直線に迫る。


四人は左右へ分かれた。


直前まで立っていた場所を巨大な角が通過し、その先にあった石柱へ突き刺さる。


太い柱が根元から砕けた。


だが、黒鋼犀は止まらない。


頭を振るだけで角を引き抜き、巨体に似合わない速さで方向を変えた。


「リズナ、そっちへ行くよ!」


「見えてます!」


リズナは風を足元へ集めた。


黒鋼犀が再び突進する。


正面から風をぶつけても、あの巨体は止められない。


リズナは進路の片側だけへ強い横風を叩きつけた。


黒鋼犀の前脚が僅かに流れる。


突進の軌道がずれ、巨大な角がリズナの横を通り過ぎた。


すれ違いざまに、シルフィードを右の後脚へ振るう。


風をまとった刃が、甲殻の継ぎ目へ食い込んだ。


黒鋼犀が後脚を跳ね上げる。


リズナは身を反らして蹄をかわし、風に乗って距離を取った。


「浅いです!」


「十分だ」


側面へ回り込んでいたゼラスが、同じ傷へ剣を突き入れる。


刃から放たれた炎が、甲殻の内側で弾けた。


黒鋼犀が咆哮し、巨体を振り回す。


ゼラスは足元を滑るように抜け、蹄の下から離れた。


「今よ」


リュミエラの声とともに、黒鋼犀の足元へ紫色の術式が広がる。


幾重もの魔力の帯が四肢へ絡みついた。


完全に拘束することはできない。


それでも、一瞬だけ動きが止まる。


「リズナ!」


「はい!」


リズナがシルフィードを振り抜く。


圧縮された風が、右後脚の傷へ集中した。


甲殻の隙間へ入り込んだ風が内側から広がり、傷口を押し開く。


黒鋼犀が力任せに拘束を引きちぎった。


同時に、右の後脚が大きく沈む。


「脚は潰れたよ!」


シェルミアが叫ぶ。


「でも、角に魔力が集まってる! 次で決めるつもり!」


黒鋼犀は三本の脚で踏みとどまり、頭を低く下げた。


巨大な角へ、先ほどまでとは比べものにならない魔力が集まっていく。


赤い光が角の表面を走り、闘技場の空気が震えた。


「来るわ」


リュミエラの表情が引き締まる。


ゼラスは右手の剣を下げ、空いた左手を前へ向けた。


掌の前へ、淡い白色の魔力が集まっていく。


炎でも、雷でも、風でもない。


純粋な無属性魔力が圧縮され、拳ほどの球体を形作った。


黒鋼犀が床を蹴る。


傷ついた後脚で石床を砕きながら、その巨体が凄まじい勢いで加速した。


「リズナ、頭をずらせ」


「任せて!」


リズナがシルフィードを振り抜く。


黒鋼犀がゼラスへ到達する寸前、横から爆発的な風が叩きつけられた。


巨体そのものは止まらない。


だが、頭部が僅かに傾き、巨大な角の根元が露わになる。


ゼラスは左手を突き出した。


掌の前で圧縮された白い球体が、激しく震える。


「バスターブリッツ!」


球形の魔力弾が撃ち出された。


淡い白光が黒鋼犀の突進を正面から迎え、角の根元へ正確に直撃する。


次の瞬間、圧縮されていた無属性魔力が弾けた。


鈍い衝撃音とともに、黒い角へ幾筋もの亀裂が走る。


黒鋼犀がさらに踏み込んだ瞬間、巨大な角が根元からへし折れた。


折れた角が宙を舞い、石床へ深々と突き刺さる。


均衡を失った黒鋼犀はゼラスの横を通り過ぎ、そのまま激しく床へ倒れ込んだ。


「顎の下!」


シェルミアの指示が飛ぶ。


「ああ」


ゼラスは倒れた黒鋼犀へ駆け寄った。


巨体が起き上がるより早く、その懐へ潜り込む。


右手の剣へ炎をまとわせ、甲殻に覆われていない顎の下へ深々と突き入れた。


刀身から流れ込んだ炎が、黒鋼犀の体内で弾ける。


巨体が一度だけ大きく震えた。


やがて四肢から力が抜け、黒鋼犀は石床へ沈んだ。


リズナが風を巡らせ、呼吸が止まったことを確かめる。


「倒したよ」


「討伐完了だね」


シェルミアは黒鋼犀へ慎重に近づき、折れた角と傷口を記録板へ収め始めた。


ゼラスは剣に付着した血を払い、倒れた巨体を眺める。


その横顔には、八百年前の戦いを思い出しているような、僅かに懐かしむ色が浮かんでいた。


リズナはそんなゼラスを見て、首を傾げる。


「昔は、これを一人で倒したんだよね?」


「ああ」


「だったら、今のも一人で倒せたんじゃない?」


ゼラスは当然のように答えた。


「今は四人いるんだから、一人でやる必要はないだろ」


リズナは一瞬だけ目を丸くした。


それから、どこか嬉しそうに笑う。


「……そうだね」


「何だ?」


「何でもない」


ゼラスは訝しそうにリズナを見たが、彼女は既にシルフィードを鞘へ収め、シェルミアの方へ歩き始めていた。


少し離れた場所で、リュミエラが二人を見つめている。


その口元には、微かな笑みが浮かんでいた。




やがて、第五十一階層へ続く門から重い駆動音が響いた。


閉ざされていた石扉が、ゆっくりと左右へ開いていく。


「先へ進めるよ」


シェルミアが門へ向かう。


リズナも続こうとして、ふと足を止めた。


「音がしない」


「何が?」


ゼラスが振り返る。


「壁を叩く音」


第五十階層へ入ってから、一度も聞こえていない。


戦闘中は気づかなかった。


だが、黒鋼犀が倒れた今も、迷宮の壁は静まり返っている。


シェルミアの表情から、戦いを終えた安堵が消えた。


「私たちを見失った?」


「それならいいんだけど……」


リズナは開いた門の向こうへ風を送った。


第五十一階層へ続く通路。


生き物の気配はない。


魔物の呼吸も、足音も聞こえない。


代わりに、石床の上へ何かが触れた痕跡を感じた。


四人は門をくぐる。


薄暗い通路の床に、白い跡が残されていた。


人の手に似た、細長い五本指の痕。


一つ。


その先に、もう一つ。


さらに奥へ、幾つも続いている。


白い何かが壁から這い出し、床へ手をついて進んだような跡だった。


シェルミアは第五十階層の門を振り返る。


門は黒鋼犀が倒れるまで、確かに閉ざされていた。


迂回できる通路も存在しない。


それなのに、白い手形は門の向こう側から始まっている。


「壁の音が消えたんじゃない」


シェルミアが低く呟いた。


「もう、私たちと並んで進む必要がなくなったんだ」




白い何かは、いつの間にか四人を追い越していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ