第三十二話 階層を越えるもの
「全員、部屋を出て!」
リュミエラの声に、四人は白い扉へ向かった。
壁一面を覆った構造図では、九百八十七階層から伸びた光が迷宮の外側を走り、真っすぐ現在地へ迫っている。
リズナが扉をくぐった直後、背後で台座を叩く音が一段と激しくなった。
こつん。
こつん。
こつん。
もはや指先で叩くような軽い音ではない。
閉じ込められた何かが、黒い石を内側から打ち壊そうとしている。
最後に出たゼラスが振り返る。
「閉めるぞ」
「お願い!」
シェルミアが答える。
ゼラスが扉の脇へ手を触れると、白い輪郭が強く輝いた。
黒い石の扉が動き始める。
だが、完全に閉じる直前、台座の内部で白い光が弾けた。
衝撃が隠し部屋全体を揺らす。
閉じかけた扉の隙間から、細い白線が伸びてきた。
ゼラスの指輪へ向けて、迷いなく進んでくる。
「ゼラス!」
リズナはシルフィードを抜き、白線へ斬りつけた。
風をまとった刃が光を断つ。
切り離された先端は床へ落ちる前に霧散したが、残った線はすぐに形を取り戻した。
「閉まれ!」
ゼラスが術式へ魔力を流し込む。
扉が重い音を立てて閉じた。
白線は石扉に挟まれ、今度こそ途切れる。
壁の表面から扉の輪郭が消えた。
同時に、円形の広間へ並んでいた二十枚以上の扉が、一斉に震え始めた。
「何が起きてるの?」
リズナが周囲を見回す。
一枚目の扉が開いた。
奥に続いていたのは、何もない行き止まりだった。
続けて、反対側の扉が開く。
その向こうにも短い通路しかない。
三枚目。
四枚目。
扉は広間を一周するように、次々と開閉を繰り返していく。
「道を探してる」
シェルミアが記録板を操作する。
「私たちのいる場所へつながる経路を、片端から確かめてるんだよ」
「九百八十七階層から、ここまで来ようとしているの?」
「普通の階段を上ってるわけじゃない」
シェルミアは先ほど記録した構造図を表示した。
九百八十七階層から四十階層へ伸びた線は、その間にある階層を一つも通過していない。
「隠し部屋同士を結んでる、別の経路があるんだと思う。探索者が使う通路とは完全に切り離された道がね」
リュミエラが表示へ目を細める。
「階層を維持するための術式網か、迷宮内部を管理するための通路……」
「どちらにしても、私たちには見えない道だよ」
広間の奥で、別の扉が開いた。
今度は行き止まりではなかった。
暗い通路の向こうから、複数の足音が響いてくる。
ゼラスが剣を取り出した。
だが、現れたのは敵ではない。
角を持つ獣型の魔物が、互いを押し退けながら広間へ飛び込んできた。
その後ろから、甲殻に覆われた虫型の魔物が続く。
どちらも四人には目もくれず、反対側の扉へ向かって走っていった。
「逃げてる……?」
リズナが呟く。
さらに別の通路から、数体の魔物が飛び出した。
縄張りの違う魔物同士が争うこともなく、ただ広間を通り抜けていく。
「来るよ」
シェルミアの声が低くなる。
「この先にいる魔物たちが、何かを避けてる」
暗い通路の奥から、音が届いた。
こつん。
先ほどまで隠し部屋の台座から聞こえていたものと同じ音だった。
それが、今度は通路の壁から響いている。
こつん。
音が近づくたびに、壁へ細い亀裂が走った。
亀裂の内側から、白い光が漏れ出す。
「壁から来ます!」
リズナがシルフィードを構える。
シェルミアは広間の出口を示した。
「ここを離れるよ! 本来の下層経路はあの扉!」
「逃げるのか?」
ゼラスが尋ねる。
「姿も仕組みも分からないものと、逃げ道の多すぎる場所で戦うつもり?」
「それは面倒だな」
「だったら走って!」
四人は円形広間の奥へ駆けた。
リズナが最後尾から風を広げ、壁の変化を探る。
亀裂は一か所ではない。
左右の壁。
天井。
床の下。
何本もの白い光が、四人を囲むように伸びている。
「追いつかれます!」
リズナの言葉と同時に、右側の石壁が内側から弾けた。
砕けた石の向こうから、白い腕が伸びる。
人の腕に似ていた。
だが、長さは三倍以上あり、表面は肉ではなく滑らかな白い骨に覆われている。
五本の指が異様に長い。
白い腕はシェルミアにもリュミエラにも目を向けず、ゼラスの背中へ真っすぐ伸びた。
ゼラスが振り返り、剣を振るう。
刃が白い指を斬り落とした。
床へ落ちた指は液体のように崩れ、すぐに腕の切断面へ戻っていく。
「また再生する!」
「根元を焼く」
ゼラスが左手を白い腕へ向けた。
圧縮された炎が、指先へ集まる。
「フレイムランス」
炎の槍が、白い腕の中央を貫いた。
赤白い火が腕の表面を走り、壁の奥まで一気に焼き抜く。
白い腕が大きく震えた。
音にならない叫びが、通路の空気を揺らす。
だが、崩れ落ちた白い破片は消えない。
炎から逃れるように床を這い、今度はリズナの風晶石へ集まり始めた。
「こっちにも来ます!」
リズナはシルフィードを振るう。
刃から放たれた風が、白い破片をまとめて壁へ叩きつけた。
その上へゼラスが炎を重ねる。
白い破片は高熱に包まれ、細かな光へ変わって消えた。
「今のうちだよ!」
シェルミアが開いた扉の前から呼ぶ。
四人が通路を抜けると、リュミエラが最後に両手を広げた。
紫色の術式が扉を覆う。
「閉じなさい」
扉が勢いよく閉まり、表面を幾重もの魔力の帯が縛り上げた。
直後、反対側から強い衝撃が加わる。
重い石扉が大きく揺れた。
一度。
二度。
三度。
それでも、リュミエラの封印は破られない。
やがて衝撃は止まった。
四人は薄暗い階段の途中で、息を整えた。
「今のが、九百八十七階層から来たものなんでしょうか?」
リズナが風晶石を押さえながら尋ねる。
「本体ではないと思う」
リュミエラは閉ざした扉から目を離さなかった。
「こちらへ伸ばした一部か、途中で作った仮の体でしょうね」
「本体だったら、壁の中を通る必要はないだろうな」
ゼラスが言う。
シェルミアは記録板へ、白い腕の形と動きを書き込んでいく。
「でも、あれは私たちを攻撃したかったわけじゃない」
「どういうことですか?」
「狙ってたのは、ずっとゼラスとリズナの印だよ」
白い腕はシェルミアたちを排除しようとはしなかった。
二人へ触れることだけを優先していた。
「捕まえようとしてたのかもしれないね」
「火の鍵と風の器を?」
「たぶん」
シェルミアは階段の先へ視線を向けた。
「四十階層の隠し部屋が起動したことで、私たちの位置が最深部へ伝わった。あれは同じ経路を使って、ここまで上がってきたんだと思う」
「なら、別の隠し部屋を通るたびに追いつかれる可能性があるわね」
リュミエラの言葉に、リズナが表情を曇らせる。
「この先にも、同じ部屋があるんですか?」
「構造図では、少なくとも七十二階層と百階層がつながっていた」
シェルミアが答える。
「隠し部屋そのものがあるかは分からない。でも、同じ術式網へ接続する場所はあるはずだよ」
ゼラスは黒い指輪を見下ろした。
「引き返しても、印を追ってくるんじゃないか?」
「可能性は高いわ」
リュミエラが頷く。
「それに、皇都や迷宮の入口まで連れていくわけにはいかない」
「だったら、先へ進むしかないね」
シェルミアは迷わず言った。
「七十二階層の扉は、この仕組みの大きな接続点になってる。あそこまで行けば、追跡を止める方法か、少なくとも仕組みを調べる手掛かりが見つかるかもしれない」
「あと三十二階層か」
ゼラスが階段の奥を見た。
「急げば、どのくらいで着く?」
「休息を削るつもりはないよ。疲れた状態で七十二階層へ着いても意味がないからね」
シェルミアは現在の地図を開いた。
「ただ、既知の安全な経路を優先して、調査を最低限に絞る。順調なら十日前後」
「十分速いの?」
リズナが尋ねる。
「分からない」
シェルミアは率直に答えた。
「相手がどのくらいの速さで術式網を移動できるのか、情報がないからね」
閉じた扉の向こうから、再び音がした。
こつん。
先ほどよりも遠い。
白いものが封印を破ろうとしている音ではなかった。
別の場所へ移り、次の入口を探し始めた音だった。
シェルミアは記録板を閉じる。
「急ごう。追いつかれる前に、七十二階層へ行くよ」
迷宮の壁の向こうで、白い何かが四人と並んで進み始めていた。




