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千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第三章 グラン・ラビリス編
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第三十一話 扉の向こう



白い線で描かれた扉の向こうから、三度目の音が響いた。


叩く音が止む。


円形の広間に、重い静寂が落ちた。


「今の、聞こえましたよね?」


リズナが声を抑えて尋ねる。


「聞こえたよ」


シェルミアは白い扉から目を離さず、記録板へ音の間隔を書き込んだ。


「中に誰かいるような叩き方だったね」


「でも、呼吸も動く気配もありません」


リズナは石壁の隙間へ細い風を送り続けていた。


風は確かに壁の向こうへ入り込んでいる。


だが、返ってくるのは冷えた空気だけだった。


生き物の体温も、呼吸による空気の揺れもない。


「部屋の広さは分かる?」


「ここからでは、あまり……。風が途中で遮られています」


「隠し部屋の中にも、さらに隔離術式があるのかもしれないわね」


リュミエラが扉の輪郭へ手を近づける。


触れない距離から魔力を流すと、白い線が僅かに脈打った。


中央に浮かぶ二つの印。


赤黒い炎と、渦を巻く白い風。


それぞれが、ゼラスとリズナの魔力に合わせて明滅している。


「これ、二人が近くにいるだけで反応してるよね」


シェルミアが印を観察する。


「遮断具は効いてるんだよね?」


「ええ、完全に反応を消せてはいないけれど、印から直接魔力を引き出されるのは防いでいるわ」


「外す必要はあるか?」


ゼラスが尋ねた。


「いいえ」


リュミエラは即座に答える。


「何が起きるか分からないもの。遮断具は着けたままにして」


「ああ」


ゼラスは白い扉の前へ進み、壁を軽く見上げた。


「開けるのか?」


「できれば調べておきたいね」


シェルミアは広間に並ぶ通常の扉を見回した。


「正しい経路が変わったことと、この隠し部屋が現れたことが無関係とは思えない。放置して先へ進んでも、また戻ってくることになるかもしれないよ」


「ただし、開けた瞬間に何かが出てくる可能性もあるわ」


リュミエラは収納から四本の細い杭を取り出した。


扉の周囲へ配置し、それぞれを紫色の魔力でつなぐ。


「扉の前に遮断領域を作るわ。内部から魔力が溢れた場合は、すぐに閉じ込める」


「私は中の構造を記録する」


シェルミアが記録板を構えた。


「リズナは風で内部を探って。危険を感じたら、すぐに止めていいよ」


「分かりました」


「ゼラスは?」


「何か出てきたら斬る」


「簡潔で助かるね」


四人の準備が整う。


リュミエラが扉の二つの印を見つめた。


「二人とも、同時に近づいてみて」


ゼラスとリズナは、それぞれ炎と風の印の前へ立った。


一歩近づく。


白い線が強く輝いた。


リズナの風晶石が震え、ゼラスの指輪が熱を帯びる。


それでも、遮断具は反応を押さえ込んでいた。


「もう一歩よ」


二人が同時に足を進める。


赤黒い炎の印が、ゼラスの前で回転した。


白い風の印も、リズナの魔力へ呼応するように渦を巻く。


壁の奥から、低い駆動音が聞こえた。


石同士が擦れ合い、白い輪郭に沿って細い亀裂が生まれる。


扉が、ゆっくりと内側へ開き始めた。


「下がって」


リュミエラの指示に従い、ゼラスとリズナが距離を取る。


扉の隙間から流れ出したのは、冷気でも白い光でもなかった。


長い間閉じ込められていた、乾いた空気だった。


リズナは風を内部へ送り込む。


「魔物はいません。部屋はそれほど広くないです」


「入れそう?」


「はい。ただ、奥の壁の向こうにも空間があります」


シェルミアの目が輝く。


「二重構造なんだ」


「まだ入るとは言ってないわよ」


リュミエラが穏やかに釘を刺す。


「分かってるよ。勝手には行かない」


そう答えながら、シェルミアの体は既に扉へ半歩近づいていた。


ゼラスがその外套の襟を掴む。


「進んでるぞ」


「半歩だけだよ」


「勝手に行くなと言われただろ」


「分かったから放して」


安全を確認した後、四人は慎重に隠し部屋へ入った。


円形の小さな部屋だった。


壁も床も黒い石で造られ、埃一つ積もっていない。


中央には腰ほどの高さの台座が置かれている。


だが、その上には何も載っていなかった。


「空ですね」


リズナが周囲を見回す。


「そうでもないよ」


シェルミアは壁へ近づいた。


黒い石の表面へ、極めて細い線が刻まれている。


遠目には傷にしか見えない。


記録板の光を当てると、線は部屋の壁を一周し、床から天井まで複雑につながっていた。


「迷宮の構造図だ」


シェルミアの声から、普段以上の熱が滲む。


「これが?」


リズナには、縦横に重なった線の集まりにしか見えなかった。


シェルミアは一つずつ線を追い、現在の地図と照らし合わせる。


「完全な地図じゃない。通路や部屋じゃなくて、階層を維持する魔力の流れが記されてるんだと思う」


リュミエラも壁面を調べた。


「この線は、禁書庫の石板にあったものと似ているわ。場所ではなく、術式同士の接続を表しているのね」


シェルミアが壁の一部を拡大して記録する。


幾つもの細い線が、一つの円へ集まっていた。


その横には、小さな文字で階層を示す数字が刻まれている。


「四十」


現在いる階層だった。


そこから伸びた線の一つが、さらに下の円へつながっている。


「七十二階層……」


別の線は、さらに深い場所へ伸びていた。


「こっちは百階層だね」


シェルミアの指が止まる。


四十階層。


七十二階層。


百階層。


三つの地点が、同じ線で結ばれていた。


「百階層の隠し部屋と、この部屋がつながっているの?」


リズナが尋ねる。


「直接行き来できるって意味ではないと思う」


シェルミアは慎重に答える。


「でも、同じ仕組みの一部なのは間違いないよ。七十二階層の扉も、この接続上にある」


「なら、あの扉は単なる階層の入口ではないのかもしれないわね」


リュミエラが七十二階層を示す円へ触れないよう手を近づける。


「この仕組み全体を区切るための門か、複数の術式をつなぐ中継点か……」


「開ければ、百階層の隠し部屋までの仕組みも動き出す可能性があるってこと?」


「あるでしょうね」


リズナはゼラスを見る。


ゼラスも壁の図を黙って見つめていた。


「俺たちの印が、これを起動させるためのものか」


「火の鍵と、風の器……」


リズナが風晶石へ触れる。


その瞬間、部屋の中央にある台座から音が響いた。


こつん。


四人が一斉に振り返る。


台座の上には、何もない。


だが、確かに先ほどと同じ音がした。


こつん。


今度は、台座の内部からだった。


「これが、扉の外で聞こえていた音?」


シェルミアが台座へ近づこうとする。


「待って」


リズナが手を上げた。


風を台座の周囲へ巡らせる。


表面に継ぎ目はない。


内部へ通じる穴も、魔力の流れも感じられない。


それでも、音だけが繰り返されている。


こつん。


こつん。


一定の間隔で、内側から何かが叩いていた。


リュミエラが台座へ解析術式を重ねる。


紫色の光が表面を走り、内部の構造を映し出した。


黒い石の中心に、細長い空洞がある。


その中に閉じ込められていたのは、小さな白い欠片だった。


巨獣の核から回収したものと、よく似ている。


ただし、こちらは黒い石へ何本もの細い線で固定されていた。


白い欠片が僅かに動く。


固定する線へぶつかり、再び音を立てた。


こつん。


「外へ出ようとしてる……?」


リズナが息を呑む。


「いいえ」


リュミエラは台座の内部へ視線を集中させた。


「この欠片は、自分で動いているわけではない」


「じゃあ、何が動かしてるの?」


「外から力を送られているのよ」


その言葉と同時に、白い欠片が強く光った。


壁に刻まれた構造図へ、白い光が走る。


四十階層から七十二階層へ。


七十二階層から百階層へ。


そして百階層の円を越え、さらに下へ伸びていく。


壁面に刻まれていた無数の線が、次々と浮かび上がった。


百一。


百二。


百三。


数字は瞬く間に増えていく。


これまで見えていなかった線が、黒い壁の奥から現れていた。


シェルミアは息をすることさえ忘れたように、光を追う。


二百。


三百。


五百。


壁を一周しても線は止まらず、天井へ上り、さらに重なり続ける。


やがて、最も深い位置にある一つの円で光が止まった。


刻まれていた数字を見て、リズナは言葉を失う。


九百八十七。


推測ではない。


少なくとも、そこまでの階層が、この構造図には記されていた。


「千階層近いっていうのは……本当だったんですね」


シェルミアは返事をしなかった。


壁一面を埋め尽くした階層の記録を見つめ、瞳を大きく見開いている。


その表情には、興奮よりも先に、圧倒された者の畏れが浮かんでいた。


白い光は、最下部の円で一度脈打った。


次の瞬間、そこから一本の線が逆向きに伸び始める。


九百八十七階層から、百階層へ。


百階層から、七十二階層へ。


そして、四十階層へ。


光が現在地へ到達した瞬間、ゼラスの指輪とリズナの風晶石が同時に強く輝いた。


台座の白い欠片が、内側から激しく打ちつけられる。


こつん。


こつん。


こつん。


音は次第に速くなっていく。


リュミエラが遮断領域を展開した。


「全員、部屋を出て!」


四人が扉へ向かう。


最後にゼラスが振り返った時、壁の構造図に新しい白い線が浮かんでいた。


九百八十七階層から始まったその線は、迷宮の階層を通っていない。


壁の外側を回り込み、真っすぐ四十階層へ伸びていた。


まるで、迷宮そのものを無視して上がってくるように。




最深部にいた何かが、二人の居場所へ向かって動き始めていた。

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