第三十話 白い導線
巨獣の胸に埋まっていた白い欠片から、細い光が伸びている。
光は凍りついた床を這い、第三十階層の奥へ続く通路を指していた。
リズナは風晶石を押さえた。
遮断具として取り付けた銀の留め具は、今も淡い光を放っている。
「反応は強い?」
リュミエラが尋ねる。
「黒風の森の時ほどではありません。でも、呼ばれているような感じがします」
「ゼラスは?」
「ああ、こっちも少し熱い」
ゼラスは黒い指輪をはめた手を開いた。
掌の印は見えない。
それでも、遮断具の下では火の魔力が僅かに揺れている。
リュミエラは白い欠片へ視線を戻した。
「距離が近すぎるせいで、遮断し切れていないのかもしれないわね」
「このまま置いていくの?」
シェルミアが尋ねる。
「いいえ、回収するわ。ただし、直接触れないようにしましょう」
リュミエラは収納から小さな黒い容器を取り出した。
表面へ幾重もの術式を刻み、魔力の膜で白い欠片を包み込む。
巨獣の焼けた核から欠片が引き抜かれた瞬間、床を走っていた白い光が大きく揺れた。
リズナの風晶石が震える。
ゼラスの指輪も赤黒く明滅した。
「来ます!」
リズナが身構える。
だが、白い光は二人へ向かわなかった。
床の上をさらに奥へ走り、通路の暗がりへ消えていく。
リュミエラが欠片を容器へ収め、蓋を閉じた。
術式が起動すると、白い光も完全に途切れる。
「今のは、道を示していたんでしょうか?」
「そう見えるけれど、素直に案内してくれているとは考えない方がいいわね」
「罠かもしれないってこと?」
「ええ、私たちを必要な場所へ誘導している可能性もあるわ」
ゼラスが光の消えた通路を見る。
「どちらにしても、進む方向は同じだろ」
「そうだね」
シェルミアは記録板へ白い光の進路を書き込んだ。
「でも、あれだけを頼りに道は選ばないよ。迷宮の構造と、今までの記録を優先する」
「分かりました」
リズナが頷く。
シェルミアは巨獣の周囲をもう一度調べた。
白い欠片以外に、不自然なものは見つからない。
「この魔物が元から冷気を使えたのか、それとも欠片によって性質を変えられたのかは、今の段階では分からないね」
「異常な再生力は、欠片の影響だと思う?」
リュミエラが尋ねる。
「可能性は高いと思う。ただ、決めつけるには情報が足りないよ」
シェルミアは記録板を閉じた。
「先へ進もう。ここに長居しても、分かることはもうなさそうだからね」
第三十一階層から先では、冷気は徐々に弱まっていった。
氷に覆われていた通路も、二階層ほど進む頃には本来の石壁を取り戻している。
代わりに、迷宮の魔物たちが再び姿を現し始めた。
第三十二階層では、甲冑を身につけたような外殻を持つ鎧鬼の一団が、通路を塞いでいた。
二本の角を持つ大柄な魔物で、手には石と金属を組み合わせた大盾を構えている。
正面から斬りかかったリズナのシルフィードも、表面へ浅い傷を残すだけだった。
「盾の後ろに核がある!」
シェルミアが鎧鬼の胸元を指す。
「でも、正面からじゃ届かない!」
「なら、盾ごと抜く」
ゼラスが右手を前へ向けた。
炎が掌へ集まり、細長く圧縮されていく。
周囲へ広がる熱はほとんどない。
その代わり、赤白い光が一点へ凝縮されていた。
「フレイムランス」
放たれた炎が、一本の槍となって通路を走った。
鎧鬼の大盾へ突き刺さる。
一瞬の抵抗の後、炎の槍は盾を貫き、その奥にある外殻まで焼き抜いた。
鎧鬼の巨体が後方へ倒れる。
「今の、名前があったんだ」
リズナが思わず呟く。
「魔法なんだから、名前くらいある」
「いつも何も言わずに撃つじゃない」
「言わなくても使えるからな」
「じゃあ、今はどうして言ったの?」
ゼラスは僅かに考えた。
「何となくだ」
「絶対、見せたかっただけでしょ」
「違う」
否定は早かったが、視線が僅かに逸れている。
リズナは疑わしそうに見たものの、残る鎧鬼が迫ってきたため、追及を諦めた。
風を足元へ集中させ、大盾の側面へ回り込む。
鎧鬼が振り返るより早く、シルフィードを外殻の継ぎ目へ差し込んだ。
刀身から放たれた風が内側へ入り込み、胸元の核を切り裂く。
残る魔物も、四人の連携を崩すことはできなかった。
その後も、階層ごとに異なる危険が待っていた。
第三十四階層では、魔力を吸い取る蔦が通路全体を覆っていた。
不用意に焼けば、蓄えられた魔力が一斉に爆発する。
リュミエラが根へ集まる魔力の流れを見抜き、シェルミアが安全に切断できる順序を割り出した。
第三十六階層では、天井から落ちてくる岩の魔物を、リズナが風の乱れから事前に発見した。
第三十八階層では、下へ続く階段そのものが移動していた。
古い地図には存在しない壁の前で、シェルミアは僅かな擦れ跡と魔力の残滓だけを頼りに、隠された操作盤を見つけ出した。
「この迷宮、本当に道まで動くんですね」
壁の奥から現れた階段を見て、リズナが呟く。
「言ったでしょ。地図だけを信じると迷うって」
シェルミアはどこか得意そうだった。
「でも、これを見つけるのは地図があっても無理じゃないですか?」
「だから、壁と床と魔力の流れを見るんだよ」
「全部ですか?」
「迷宮は全部見ないと駄目」
シェルミアは当然のことのように答え、階段を下り始めた。
リズナはその背中を見ながら、ゼラスへ小声で話しかける。
「本当に迷宮のことしか考えてないのね」
「今さら気づいたのか?」
「分かってはいたけど、想像以上だったの」
先を歩いていたシェルミアが振り返る。
「聞こえてるよ」
「すみません」
「褒め言葉なら気にしない」
そう言うと、再び楽しそうに階段を下りていった。
第三十階層を出てから六日後。
四人は第四十階層へ到達した。
そこは、円形の広間と無数の扉で構成された階層だった。
石壁に沿って並ぶ扉は、確認できるだけでも二十を超えている。
そのほとんどは途中で行き止まりになるか、別の扉へ戻ってくる仕掛けになっているという。
「正しい道は一つだけ?」
リズナが尋ねる。
「今まで使われていた経路はね」
シェルミアは記録板へ表示された地図と、目の前の扉を見比べた。
「でも、扉の位置が変わってる」
「またか」
ゼラスが広間を見回す。
「ここまで大きく変わるのは珍しいよ」
シェルミアは一枚ずつ扉を調べていった。
取っ手の傷。
床に残された足跡。
扉の隙間から漏れる空気。
現在の地図と照らし合わせながら、可能性の低いものを除外していく。
リズナも広間へ風を巡らせた。
幾つかの扉の向こうには空間がある。
だが、風が戻ってくるものや、途中で流れが途切れるものばかりだった。
「シェルミアさん」
「何か見つけた?」
「扉じゃない場所から、風が流れています」
リズナが示したのは、扉と扉の間にある何もない石壁だった。
見た目には、周囲と変わらない。
亀裂もなければ、隙間も見当たらない。
シェルミアが壁へ近づき、指先で石の表面を調べた。
「私には流れを感じない」
「本当に僅かです。でも、向こう側に空間があります」
リュミエラも壁へ手をかざした。
「魔力を遮断する術式があるわ。百階層の隠し部屋に残されていたものと、構造が似ている」
ゼラスの指輪が、微かに熱を帯びた。
同時に、リズナの風晶石も小さく震える。
「また反応した」
リズナが留め具へ触れる。
壁の表面に、細い白い線が浮かび上がった。
一本。
二本。
線はゆっくりと伸び、石壁の上へ扉の形を描いていく。
シェルミアは白い線に触れないよう注意しながら、記録板へ全てを写し取った。
「地図にはない。私が前に来た時にも、こんな扉はなかったよ」
「最近現れたのかしら」
「それとも、今まで条件を満たしていなかっただけかもしれないね」
白い線で描かれた扉の中央へ、二つの小さな印が現れた。
一つは赤黒い炎。
もう一つは、渦を巻く白い風。
ゼラスとリズナの印を、そのまま写し取ったような形だった。
「やっぱり、俺たちを待ってたらしいな」
ゼラスが呟く。
リズナは壁の向こうへ風を送り続けた。
何もないはずの空間から、微かな音が返ってくる。
石を引っかく音でも、魔物の呼吸でもない。
誰かが扉の反対側から、指先で叩いているような音だった。
一度。
二度。
そして、三度。
白い扉の向こうで、何かが二人の到着を知った。




