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千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第三章 グラン・ラビリス編
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第二十九話 火竜を超える炎



青白い氷の装甲が、軋む音を立てながら持ち上がっていく。


床へ積もっていた霜が崩れ落ち、その下から四本の太い脚が現れた。


巨獣の姿は、大型の熊にも、地を這う竜にも見える。


全身を覆う氷は単なる付着物ではなかった。


透明な氷の奥で青い光が脈打ち、巨獣の動きに合わせて形を変えている。


頭部から伸びた二本の角。


岩盤さえ切り裂きそうな長い爪。


そして、火竜よりもさらに大きな体。


立ち上がっただけで、広大な空洞が狭く感じられた。


「記録にある魔物じゃない」


シェルミアは巨獣から目を離さず、記録板を操作する。


「少なくとも、三十階層までに確認された種類とは一致しないよ」


巨獣が低く息を吐いた。


白い冷気が床を這い、四人の足元へ迫る。


リズナはシルフィードを抜き、正面へ風を放った。


冷気を左右へ押し流す。


だが、風に触れた霧は消えるどころか、その場で細かな氷の粒へ変わった。


「風まで凍らせるの……?」


「風そのものじゃない」


ゼラスが巨獣を見上げる。


「空気中の水分を、触れた端から凍らせてる」


巨獣が頭を下げた。


青く輝く二つの目が、四人を捉える。


「来るよ!」


シェルミアが叫んだ。


巨獣が床を蹴る。


その巨体からは想像できない速さだった。


一歩目で氷が砕け、二歩目にはゼラスの目前まで迫っている。


巨大な爪が振り下ろされた。


ゼラスは横へ飛び、紙一重で爪をかわす。


床が深く抉られ、亀裂から氷が噴き上がった。


氷の棘がゼラスを追う。


「ゼラス、下!」


リズナが風を叩きつける。


ゼラスの体が僅かに浮き、地面から伸びた氷の棘を飛び越えた。


空中で身を捻り、収納から取り出した幅広の剣を巨獣の前脚へ振り下ろす。


刃が氷の装甲へ衝突した。


硬い音が空洞へ響く。


剣は表面を僅かに削っただけで弾かれた。


「火竜の鱗より硬いな」


ゼラスが着地する。


削られた氷は、すぐに青い光へ覆われた。


細かな亀裂が閉じ、傷そのものが消えていく。


「再生してる!」


リズナが声を上げる。


「体内から氷を補ってるんだ」


シェルミアは巨獣の全身へ視線を走らせた。


「表面だけ削っても意味がない。氷の内側にある本体まで届かないと――」


巨獣が咆哮した。


冷気が一気に広がり、空洞の壁と床を白く染める。


リュミエラが四人の周囲へ魔法障壁を展開した。


冷気が障壁へ衝突する。


透明な表面へ霜が広がり、僅かな時間で分厚い氷へ変わっていった。


「長くは保たないわ」


リュミエラが障壁へ魔力を流し込む。


「このままでは、障壁ごと凍らされる」


「炎なら溶かせるんじゃないですか?」


リズナが尋ねる。


「普通の氷ならね」


シェルミアは火竜の血が残る爪へ視線を向けた。


「火竜の炎でも、あの装甲を破れなかったんだと思う。そうでなければ、相性のいい火竜が一方的に追い詰められるはずがないよ」


巨獣が再び前脚を持ち上げる。


氷に覆われた爪が、障壁へ叩きつけられた。


轟音が響く。


障壁に大きな亀裂が走った。


「次は保たないわ」


リュミエラの言葉と同時に、ゼラスが前へ出た。


「障壁を開けろ」


「何をするつもり?」


「炎で押し返す」


シェルミアがゼラスを見る。


「火竜の炎でも駄目だったんだよ」


「俺は火竜じゃない」


リュミエラは僅かに目を細めた。


それから、障壁の正面だけを開く。


巨獣の口元へ青い光が集まっていた。


冷気が圧縮され、空間そのものが軋み始める。


「ゼラス、来るよ!」


シェルミアが叫ぶ。


巨獣の口から、白い奔流が放たれた。


触れた床を瞬時に凍結させながら、圧倒的な冷気がゼラスへ迫る。


ゼラスは避けなかった。


右手を前へ突き出す。


少年の小さな体から、赤い炎が噴き上がった。


最初は掌を覆う程度だった火が、一瞬で広がる。


熱が空洞を走った。


ゼラスの足元を覆っていた氷が蒸発し、白い霧となって吹き飛ぶ。


次の瞬間、炎が巨大な壁となって冷気へ衝突した。


赤と白が正面からぶつかる。


爆発的な蒸気が広がり、空洞全体が激しく震えた。


リズナは目を見開いた。


火竜の放った炎も、広間を埋め尽くすほどの威力だった。


だが、ゼラスの炎はそれとは違う。


広く焼き払うのではなく、全ての熱が正面の一点へ向けて圧縮されている。


白い奔流が押し止められた。


均衡したのは、ほんの一瞬だった。


ゼラスが指先を僅かに前へ押し出す。


炎の色が、赤から白に近い輝きへ変わった。


冷気の流れが崩れる。


巨獣の放った白い奔流を焼き払いながら、炎が正面へ進んでいく。


「押し返してる……」


シェルミアの声が震えた。


「火竜の炎でも破れなかった氷を……」


炎は巨獣の目前まで到達した。


青白い氷装甲へ触れた瞬間、その表面が激しく蒸発する。


巨獣が苦痛の咆哮を上げ、前脚で顔を庇った。


氷が溶ける端から再生していく。


だが、再生の速度よりも、ゼラスの炎が装甲を奪う速度の方が速い。


「この火力……火竜を上回ってるよ!」


シェルミアが叫ぶ。


リュミエラは驚いた様子もなく、炎の向こうに立つゼラスを見つめていた。


「ゼラスの炎を、竜種の火力で測らない方がいいわ」


その声音には、長く彼を知る者だけが持つ確信があった。


巨獣が力任せに前脚を振るう。


炎の流れが一瞬だけ乱れた。


ゼラスは即座に火力を落とし、横へ跳ぶ。


巨大な爪が、先ほどまで立っていた場所を粉砕した。


「今ので装甲が薄くなった!」


シェルミアが巨獣の胸元を指し示す。


氷が大きく失われた部分から、灰色の毛皮が覗いている。


その奥では、青い光が規則的に脈打っていた。


「胸の内側に核がある! あれが氷を作ってるんだよ!」


「リズナ、右から回れ」


ゼラスが言う。


「うん!」


リズナはシルフィードへ風をまとわせ、巨獣の右側へ駆けた。


巨獣が彼女を追って頭を向ける。


その足元へ、リュミエラの魔力の帯が伸びた。


「シェルミア、左脚をお願い」


「任せて!」


シェルミアは巨獣の左前脚へ走る。


氷が薄くなった関節へ短剣を差し込み、そのまま全体重を掛けて刃を捻った。


巨獣が脚を引こうとする。


リュミエラの帯が後脚を締め上げ、動きを止めた。


「リズナ!」


シェルミアの声が飛ぶ。


リズナは風を足元で爆発させた。


一気に高度を上げ、巨獣の肩の上まで跳ぶ。


シルフィードを両手で握り、胸元を覆う氷へ振り下ろした。


風を圧縮した刃が、薄くなった装甲へ食い込む。


氷に亀裂が走った。


「もう少し……!」


リズナは刀身へさらに風を流し込む。


だが、亀裂の奥から青い光が溢れ、氷が再び閉じ始めた。


巨獣が上体を大きく振る。


リズナの体が肩から放り出された。


「リズナ!」


ゼラスが炎を細く絞って放つ。


巨獣の顔面を狙った火線が氷装甲を焼き、視界を奪った。


その隙に、リュミエラの魔力が落下するリズナを包む。


リズナは空中で姿勢を整え、風を使って着地した。


「大丈夫か?」


「うん。でも、すぐに塞がる!」


「なら、塞がる前に壊す」


ゼラスは巨獣の胸元を見た。


先ほどまで使っていた幅広の剣を収納へ戻す。


代わりに取り出したのは、刀身の細い長剣だった。


レイスウィザードではない。


炎を通しやすく、狙った場所へ深く突き入れるための普通の剣だ。


「もう一度、胸を開ける」


ゼラスが剣を低く構えた。


「今度は俺が中まで焼く」


巨獣が咆哮する。


全身の氷が一斉に膨れ上がった。


背中や肩から無数の氷柱が伸び、四人へ向けて放たれる。


「伏せて!」


シェルミアが床へ飛び込む。


リュミエラが正面へ障壁を展開した。


氷柱が次々と突き刺さり、障壁が激しく揺れる。


全てを防ぎ切ることはできない。


左右から回り込んだ氷柱を、リズナが風で逸らす。


一本が風を突き破り、ゼラスの肩へ迫った。


ゼラスは剣を振り、氷柱を真っ二つに斬る。


そのまま前へ出た。


氷の雨の中を、最短の動きで駆け抜ける。


巨獣が爪を振り下ろす。


ゼラスは速度を落とさず、その内側へ入った。


巨獣の胸元へ左手を向ける。


先ほどよりも狭く、さらに密度を高めた炎が放たれた。


氷装甲が白く輝く。


表面が溶けたのではない。


一瞬で蒸発し、内部から爆ぜた。


青い光を守る氷が吹き飛ぶ。


「今だ!」


ゼラスが露出した胸元へ剣を突き入れた。


刃が毛皮と肉を貫き、その奥にある硬いものへ触れる。


青い光が激しく明滅した。


巨獣が暴れ、前脚を振り上げる。


「動かさない!」


リズナがシルフィードを床へ突き立てた。


四方から風が巨獣の体へ巻きつき、振り上げた前脚を僅かに押し戻す。


リュミエラの魔力の帯も重なり、巨体の動きが止まった。


シェルミアが反対側の脚へ短剣を突き入れる。


「今しかないよ!」


ゼラスは剣を握ったまま、巨獣の体内へ炎を流し込んだ。


外へ広がる炎ではない。


刃を通して、内部だけを焼くための火。


巨獣の胸の奥で、青い光とゼラスの炎が衝突した。


空洞全体へ、低い唸りが響く。


氷装甲が次々と崩れ始めた。


巨獣の体から放たれていた冷気が弱まっていく。


それでも、青い核は消えない。


ゼラスの炎へ抵抗するように光を強め、再び氷を作ろうとする。


「まだ足りないか」


ゼラスの瞳が細くなる。


周囲の温度が、さらに上がった。


剣を伝う炎が白く変わる。


リズナの頬を、熱風が打った。


先ほど冷気を押し返した時よりも、さらに強い。


離れているだけで肌が焼けるほどの熱量を、ゼラスは巨獣の体内だけへ押し込めている。


「ゼラス、迷宮まで焼かないでよ!」


シェルミアが叫ぶ。


「分かってる」


「本当に?」


「たぶん」


「たぶんって言った!」


次の瞬間、巨獣の胸の奥で青い光が弾けた。


白い炎が傷口から噴き出す。


巨獣が空洞を震わせる絶叫を上げた。


全身を覆っていた氷が砕け、巨大な塊となって床へ落ちていく。


ゼラスは剣を引き抜き、後方へ跳んだ。


巨獣の体が大きく揺れる。


一歩。


二歩。


最後まで立とうとした前脚が折れ、巨体が床へ沈んだ。


衝撃で氷の空洞全体が震える。


天井から無数の霜が降り注いだ。


リズナは風を広げ、巨獣の気配を探る。


荒かった呼吸は、もう聞こえない。


胸元にあった青い光も消えていた。


「……倒しました」


シェルミアは慎重に近づき、巨獣の瞳と胸元を確認する。


「うん。完全に止まってる」


リュミエラが障壁を解除した。


凍りついていた空洞には、今もゼラスの炎の余熱が残っている。


氷の大半が溶け、床を流れる水から白い蒸気が上がっていた。


シェルミアは周囲を見回し、呆然と息を吐く。


「本当に、火竜より強い炎だった……」


「だから言ったでしょう?」


リュミエラが穏やかに微笑む。


「竜種を基準にしない方がいいって」


リズナは剣を収納へ戻すゼラスを見た。


火竜を倒した時には、レイスウィザードの力を使っていた。


だが、今回は違う。


魔剣に頼らず、純粋な炎だけで、火竜さえ追い詰めた巨獣の氷を焼き破った。


「……また本気じゃないって言うつもり?」


リズナが尋ねる。


ゼラスは少し考えてから答えた。


「さっきよりは出した」


「答えになってないでしょ」


「必要な分は出したぞ」


「それ、前にも聞いた」


リズナは呆れたように言いながらも、僅かに笑っていた。


シェルミアは二人の会話を聞きつつ、巨獣の胸元へ向かう。


砕けた氷の奥には、焼けて黒くなった核が残されていた。


記録板を近づけ、魔力の痕跡を読み取る。


やがて、その表情が変わった。


「待って」


「どうしたの?」


リズナが近づく。


シェルミアは黒く焼けた核の中心を指した。


そこには、氷とも巨獣の体とも異なる、小さな白い欠片が埋まっていた。


骨のようにも見える。


だが、表面には細い線が幾重にも走り、微かな光が脈打っている。


リュミエラの表情から笑みが消えた。


「黒風の森で見つけたものと似ているわ」


ゼラスも白い欠片を見下ろす。


「こいつが本来持っていたものじゃないな」


シェルミアは直接触れず、記録板で周囲を調べた。


「たぶん、体内へ入り込んでる。これが核の働きを変えて、異常な冷気と再生力を与えてたのかもしれない」


白い欠片が一度だけ強く光った。


同時に、リズナの風晶石が僅かに震える。


ゼラスの掌に残された印も、遮断具の下で熱を帯びた。


「反応してる……」


リズナが風晶石を押さえる。


白い欠片から伸びた細い光が、巨獣の胸元を離れた。


それは床の上を這い、第三十階層のさらに奥へ続く通路を指し示す。


まるで、進むべき道を教えるように。




白い痕跡は、再び二人を深層へ導こうとしていた。

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