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千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第三章 グラン・ラビリス編
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第二十五話 竜の痕跡



暗い通路の奥から、低い振動が近づいてくる。


一度。


二度。


響くたびに、足元へ細かな石片が落ちた。


「リズナ、何がいるか分かる?」


シェルミアが暗闇から目を離さずに尋ねる。


「一体です。岩甲狼よりずっと大きい……こっちへ向かってきます」


リズナは風晶石へ意識を集中させた。


風が捉えたのは、荒い呼吸と重い足音。


巨体が狭い通路の壁へ何度もぶつかりながら、こちらへ迫っている。


「全員、広間へ戻って」


シェルミアの声が鋭くなる。


「この狭さで迎え撃つのは危険だよ」


四人が横穴から離れた直後、暗闇の奥で石壁が砕けた。


巨大な影が、崩れた通路から広間へ飛び出す。


岩甲狼よりも遥かに大きな、熊型の魔物だった。


盛り上がった背中は灰褐色の毛皮に覆われ、両腕の先には岩を容易く抉りそうな三本の爪が伸びている。


その爪の幅は、壁に刻まれていた痕と一致していた。


「剛爪熊……」


シェルミアが呟く。


「普段は八階層より下にいる魔物だよ」


剛爪熊の口元には、岩甲狼のものらしき血が付着していた。


群れを第一階層まで追い上げたのは、この魔物で間違いない。


だが、剛爪熊も無傷ではなかった。


毛皮の一部が焼け焦げ、脇腹には何かの牙に抉られたような深い傷が残っている。


呼吸は乱れ、目には獲物を狙う獣の鋭さではなく、追い詰められたものの恐怖が浮かんでいた。


「こいつも逃げてきたのか」


ゼラスが剣を取り出す。


「たぶんね」


シェルミアは短剣を構えた。


「でも、今は私たちを敵だと思ってる。来るよ!」


剛爪熊が咆哮を上げた。


巨体が床を蹴り、真っすぐゼラスへ突進する。


ゼラスは正面から受けず、直前で左へ身をかわした。


振り下ろされた爪が石床を抉る。


砕けた石片が周囲へ飛び散った。


リズナはシルフィードを抜き、剛爪熊の右側へ回り込む。


風をまとった刃を前脚へ振るうが、厚い毛皮と硬い筋肉に阻まれ、浅い傷しか残らなかった。


「硬い……!」


剛爪熊が腕を横へ薙ぐ。


リズナは風で体を押し、爪の軌道から飛び退いた。


その直後、ゼラスの剣が反対側の前脚へ入る。


だが、こちらも骨までは届かない。


「傷を狙って!」


シェルミアが剛爪熊の脇腹を示した。


「右側なら守りが薄い!」


「分かりました!」


リズナは床を蹴った。


剛爪熊が迎え撃つように爪を振り上げる。


その足元へ紫色の光が走った。


リュミエラの放った魔力の帯が後脚へ絡みつき、巨体の動きを一瞬だけ止める。


「今よ、リズナ!」


普段の「リズナちゃん」ではなく、呼び捨てで放たれた指示だった。その切迫した声音に、リズナの意識が一瞬で研ぎ澄まされる。


「はい!」


剛爪熊が魔力の帯を引きちぎるより早く、リズナは懐へ踏み込んだ。


焼け焦げた脇腹の傷へ、シルフィードを突き入れる。


刀身へまとわせた風が傷口から体内へ流れ込み、内側から肉を切り裂いた。


剛爪熊が苦痛の咆哮を上げる。


振り下ろされた爪を、ゼラスが剣で横へ逸らした。


「もう一度だ!」


「うん!」


リズナは傷口からシルフィードを抜き、身を翻す。


ゼラスが剛爪熊の注意を引きつけている間に背後へ回り、今度は後脚の腱を斬った。


巨体が大きく傾く。


シェルミアがその動きを待っていた。


短剣を逆手に持ち、倒れかけた剛爪熊の首元へ飛びつく。


毛皮の奥へ刃を差し込み、守りの薄い場所を正確に示した。


「ここ!」


ゼラスが一歩で距離を詰める。


シェルミアが離れると同時に、片刃の剣を首元へ深く突き入れた。


剛爪熊の巨体が震える。


数歩よろめいた後、広間の中央へ重い音を立てて倒れた。


リズナは風を広げ、暗い横穴の奥を探る。


「後ろから来るものはいません」


「こっちも大丈夫よ」


リュミエラが魔力の帯を消す。


シェルミアはすぐに剛爪熊の脇腹へ近づいた。


焼け焦げた毛を避けながら、深く抉られた傷を調べる。


「岩甲狼は、この剛爪熊に追われて上がってきた。でも、この熊も何かに襲われて逃げてきたんだね」


「火を使う魔物か?」


ゼラスが焦げた傷へ視線を落とす。


「それだけじゃない」


シェルミアは脇腹の傷へ記録板を近づけた。


「この牙の間隔、剛爪熊の頭より広いよ。噛みついた相手は、これよりずっと大きい」


リズナは倒れた巨体と、奥へ続く暗い通路を見比べた。


「そんな魔物が、もっと下にいるんですか?」


「グラン・ラビリスだからね。何がいても不思議じゃないよ」


そう答えたシェルミアの表情に、普段の楽しげな笑みはなかった。




四人は一度入口へ戻り、管理所へ新しい通路と剛爪熊について報告した。


浅層へ移動してきた魔物の情報は既に集められていたが、その原因まで確認されたのは初めてだった。


管理所は第一階層の一部を一時的に封鎖し、調査に当たる探索者を集めることになった。


四人は記録を渡すと、本来の経路から改めて深層を目指した。




第二階層から先は、既に多くの探索者によって調べられた領域だった。


それでも、歩みは決して平穏ではない。


第三階層では、天井へ張りついていた毒牙蝙蝠の群れが襲いかかってきた。


第五階層では、岩に擬態した蜥蜴型の魔物が、足元から突然牙を剥いた。


狭い亀裂が続く第六階層では、リズナもシルフィードを収め、双短剣エアリアルを抜いた。


左右から迫る魔物を二本の刃で捌きながら、風で死角の動きまで捉えていく。


シェルミアは迷宮の変化を読み、危険な通路を避けた。


リュミエラは古い仕掛けや魔術式を見抜き、ゼラスは前方を塞ぐ魔物を最小限の動きで斬り伏せる。


既知の階層では、四人の歩みを長く止められるものはいなかった。


それでも、休息を挟みながら慎重に進み、第十階層へ到達するまでには四日を要した。




第十階層は、巨大な地下渓谷だった。


深い谷の底には黒い水が流れ、両側の岩壁を細い石橋が結んでいる。


本来なら、水辺に棲む魔物の声が絶えず響いている場所だという。


だが、その日は妙に静かだった。


「何もいませんね」


リズナが風を送りながら呟く。


水の流れる音以外、動くものの気配がない。


「隠れている感じでもないよ」


シェルミアは周囲を見回した。


「この辺りの魔物も、移動したみたいだね」


石橋を渡った先で、ゼラスが足を止める。


「シェルミア、これを見ろ」


岩壁の一部が黒く焼け焦げていた。


その前には、巨大な獣の骨が幾つも散乱している。


骨には噛み砕かれた痕があり、周囲の岩には長い尾で薙ぎ払ったような傷が残っていた。


リュミエラが焦げた岩壁へ手を近づける。


「古い痕ではないわね。まだ僅かに熱が残っている」


シェルミアは焼けた骨の間へ屈み込んだ。


何かを見つけ、慎重に指先で拾い上げる。


掌に載っていたのは、硬質な黒赤色の鱗だった。


リズナの手のひらよりも大きく、表面には細かな傷が刻まれている。


「これは……?」


シェルミアは鱗を光へかざした。


瞳の奥に、警戒と抑え切れない興奮が同時に浮かぶ。


「竜の鱗だよ」


リズナは思わず、渓谷の奥へ目を向けた。


剛爪熊を襲い、浅層の魔物たちを押し上げた存在。


その痕跡は、さらに下へ続く通路へ向かっていた。


「どのくらいの大きさだ?」


ゼラスが尋ねる。


「鱗だけでは断定できない。でも、剛爪熊を噛み上げられる体格なら、少なくとも小型ではないね」


「面倒なのがいるな」


「あれを見て、面倒で済ませるんだ」


シェルミアは呆れたように言いながらも、鱗から目を離さなかった。


「でも、これで浅層の魔物が移動した理由は見えてきた」


黒赤色の鱗を記録袋へ収め、立ち上がる。


「竜は、私たちより先に下へ向かったみたいだね」




第十階層のさらに奥で、巨大な竜が息を潜めていた。

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